言霊の幸う国で

美しき国のクィアの闘争と再生

『言霊の幸う国で』刊行記念イベント@プライドハウス東京

李琴峰『言霊の幸う国で』刊行記念イベントとして、7月26日にプライドハウス東京で行われた李琴峰と高井ゆと里の対談を一挙掲載。

 今回、『言霊の幸う国で』という五〇〇ページ超、原稿用紙一〇〇〇枚近い鈍器本を出しました。これだけ長い本を書いたのも、こういうテイストで書いたのも初めてでしたし、こうして日本のクィア・コミュニティ限定で、この場所でイベントをやるのも初めてです。

高井 こういうイベントをやるのは大抵書店さんだもんね。プライドハウス東京でやると聞いたとき、面白いなと思いました。

 クィア・コミュニティとのつながりは大事にしたいと思っているんです。
 もうこの本を読んだという方も、まだ読んでないという方も、読んでいる途中という方もいらっしゃると思いますが、一言で言うと、めちゃくちゃ重い本です。物理的にも内容的にも(笑)。
 ざっと概要を言うと、二〇二一年の七月に芥川賞を受賞した、Lこと柳千慧(りゅう・ちさと)という作家がいて、初めて芥川賞を受賞した台湾籍の作家になったというところから物語が始まります。ここだけ聞くと「おまえのことじゃん」と思われるかもしれませんが、読んでいくと、これは李琴峰じゃないよねというエピソードも出てきたり、明らかに虚構という部分もあったり、いわゆる私小説や自伝的小説とくくれないものになっています。
 一方で、この作品を私は小説とは位置付けていなくて、小説と論考、フィクションとノンフィクションの間のものとして考えています。明らかに現代日本で起きていることを記録しているノンフィクションの側面を持ちながら、でも明確にフィクションだろうということも入っている。そのフィクションとノンフィクションの間にはグラデーションがあって、何が本当で何が虚構なのか、一般の読者にはわからないような仕掛けになっています。
 さらには、章立てした物語が基本的には進んでいくんですが、章と章の間に「厄払いの断章」と銘打って論文やエッセイのようなひとかたまりの文章が入ってくる。つまり、小説としても読めるし、ルポルタージュや論考としても読めるというのが今回の作品の特徴かなと思っています。
 では、なぜこういう作品を書こうと思ったのか。きっかけとしては、もちろん私自身が二〇二一年七月に芥川賞を取って、いわゆるネトウヨや自称愛国主義者のひとたちから、排外主義的だったり女性蔑視的な誹謗中傷を浴びせられて辛い思いをしたということがありました。そこで自分は作家なのだから、それで傷ついたことを小説の養分にしたいと思って、私小説的なものを書こうかなと考えていたんです。そうしたら翌年、また違う種類の差別が身近なところやネット上で、なぜか私に降りかかってきた。著名作家のトランスヘイト言説に対して、異議申し立てをしたところ、トランスヘイターたちが私を攻撃してくるようになって、これもやはり記録しておかなければいけないと思ったんですね。そこでどのようなかたちで記録するのがいいのかと考えたんですけど、これまでフィクションとして小説を書いてきたので、あまり私小説や自伝的小説という形式には興味を感じなかった。なぜ私小説に興味を感じないのかというと、日本で形作られた「私小説」というジャンルは個人に注目しがちだと思っていて、けっきょくすべてが個人の内面の問題に収斂してしまう。私は、個人だけでなくてもっと広い社会や構造の問題としての差別について書きたかったんです。そこで、私小説的な枠組は借りるが私小説ではけっしてない、ノンフィクションの部分がありながら明らかなフィクションもある、論考と小説それぞれの強みをどちらも取り入れた作品として今回の作品を書きました。
 高井さん、読まれてみていかがでしたか。

高井 私はこの本の帯に推薦文を寄せていまして、本になる前にゲラ刷りで拝読したのですが、まずこのゲラがものすごくずっしりと重かった(笑)。内容も重かったので、紙をめくるのが正直辛かったです。いまではこんな感じでみんなで集まれていますけど、小説家の主人公が芥川賞を取ったときはコロナ真っ盛りで、というところから物語が始まっていて、あの頃の、みんなどこにも行けない、何もできないという閉塞した空気や、そこから生じるやり場のない怒りがSNSなどで渦巻いていたのを思い出して、沈んだ気持ちになりました。
 後半からは、主人公が自分の生を取り戻すという話になっていって、私と同じ名前の人間も出てきたりするので、楽しく明るく読めましたが。

 読んでいて楽しい作品ではないとは思います(笑)。

高井 フィクションとノンフィクションの強みを活かして境目がわからないように書いたと言われましたけど、私は小説を読み慣れていないこともあって、最初はすべて事実として読んだんですね。たしかにこんなこともあったし、あんなこともあったというのがあって、すべてを琴峰さんに重ねて読んでしまって、こんなに辛いことが……ととても小説を読んでいるとは思えない、それこそノンフィクションの重みを感じて、しんどかったです。

 高井さんがあまり小説を読んでこなかったというのは何故なんですか。

高井 子どもの頃はふつうに読んでいたんですけど、八~九歳くらいから小説を読むのをやめてしまったんですね。理由はいくつかあるんですけど、ひとつは賢くなってしまったというのがあって、私はあまり子どもっぽく生きる余裕のない家と地域に育ったので、勉強してても親から「勉強して、何の意味があるんだ」と言われるし、遊びに行くにもお金もないしで、あまり子ども子どもした時間を過ごせなかったんです。その結果、頭だけ賢くなってしまって、いまも哲学研究者をしているんですけど、言葉によって世界について考えるのをやめられなくなって、身の回りのもの、すべてが嫌いになったんです。そうなると、小説というものがまったく頭に入ってこなくなって、小説を読むくらいだったら図書館で新書を借りて読むという人間になった。当時は、天皇制をどうしたらなくせるかとかそんなことを考えていました。大人になってからも小説を読む暇があったら研究したいといった感じで、たぶん自分を重ねることができる小説なんてないんだなとどこかでわかっていたんですね。小説ってだいたい男か女が出てきますけど、私はノンバイナリーなので、ぜんぜん関係ない世界の話なんです。現実で、男と女ばかりの世界にいるのが辛いのに、小説の中でまで男と女の物語を読まされるのはなんだかなという感じで。

 いま、ゆと里さんの話をしていただきましたけど、これは大きく言うと表象の不均衡にもつながっていて、大抵の小説やドラマは男と女の話でできていて、そこに自分のような存在の表象を見出せなかったということですよね。

高井 そうですね。現実逃避にもならないし感情移入もできないし、物語を享受するくらいだったら、自分の大嫌いな現実のことをもっと考えて変えられるようになりたいというのがありました。

 私は逆に哲学にあまり興味が持てなかったんです(笑)。大学は文学部でしたけど、文学だけではなくて言語学や哲学も必修だったので、主に老子や荘子、論語といった中国哲学を学んだのですが、言っていることが抽象的すぎて、あまり興味が持てなかった。一方、言語学は性に合っていて、なぜなら言語学は研究対象が人間の言語という具体的なものなので、そっちを主に研究していきました。

高井 なんで仲が良いのかわからないくらい正反対だよね。小説も読まないし、私は琴峰さんと違ってあまりセクマイのコミュニティを頼ることもなかったし、なぜ私たちが繋がったのかいまだに不思議な気がしている。でも、いまあまりにも差別がひどすぎるからね。

 そういう意味では必然的な出会いだったとも言えますね。作用・反作用というか、マイノリティの権利促進運動が盛り上がって権利回復がある程度進もうとするときに、差別側のバックラッシュが起こり、それによってマイノリティ側も団結するという流れが必ずあって、その流れの中で私たちが出会うのは必然だった。

2024年9月4日更新

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李 琴峰(り ことみ)

李 琴峰

1989年生まれ。中国語を第一言語としながら、15歳より日本語を学習。また、その頃から中国語で小説創作を試みる。2013年、台湾大学卒業後に来日。15年に早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程を修了。17年、「独舞」にて第60回群像新人文学賞優秀作を受賞しデビュー(『独り舞』と改題し18年に刊行)。20年に刊行した『ポラリスが降り注ぐ夜』で第71回芸術選奨新人賞(文学部門)を受賞。21年、「彼岸花が咲く島」で第165回芥川賞を受賞。その他の作品に『五つ数えれば三日月が』『星月夜』『生を祝う』などがある。

高井 ゆと里(たかい ゆとり)

高井 ゆと里

群馬大学准教授。専攻は哲学・倫理学。著書に『極限の思想 ハイデガー――世界内存在を生きる』(講談社選書メチエ、2022年)、共著に『トランスジェンダー入門』(集英社新書、2023年)、『トランスジェンダーQ&A――素朴な疑問が浮かんだら』(青弓社、2024年)、訳書にショーン・フェイ『トランスジェンダー問題――議論は正義のために』(明石書店、2022年)などがある。

関連書籍

李 琴峰

言霊の幸う国で (単行本 )

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