浮世絵版画で基礎となる色と言えば、黒である。そもそも浮世絵版画の歴史は黒で始まった。初期の頃は鮮やかな色は用いられず、墨による黒い輪郭線が摺られるだけの墨摺絵だったのである。
その後、時代が進むにしたがって色の数は増えていくのだが、摺りの工程で最初に摺られるのが輪郭線となる黒であることは変わらない。しかもその黒の線を基準にして、いくつもの色が摺り重ねられていくことになる。
黒は輪郭線以外にも、髪の毛や着物、漆器など、さまざまなモチーフに使われている。だが、黒がその持ち味を十分に発揮するのは夜の闇を表現した時であろう。鈴木春信「夜の梅」(図1)は、背景となる漆黒の闇が印象的な作品である。
場面は、日がすっかり暮れて、辺りがはっきりと見えなくなってしまった夜の時刻。振袖姿の少女が縁側を歩いていると、どこからか芳しい香りが漂ってきたようだ。少女が足を止めて闇に包まれた庭に手燭をかざしてみると、満開の梅の花が咲き誇っていた。
まず注目すべきは、夜の闇を表現した黒の存在感であろう。通常よりも色が濃く、しかもこれだけ広い面積をムラなく均一に摺るとなると、摺師の技量も必要で、かなり力を込めて何回も摺ったことだろう。さらにポイントとなるのが、梅の花の白色との対比である。闇の中に白い梅が浮かび上がることによって、黒の濃さがより一層引き立てられている。
春信とは違った形で夜の闇を表現しているのが、小林清親の「池の端花火」(図2)である。場所は上野の不忍池のほとり。打ち上げ花火を見ようと大勢の見物客たちが押し寄せている。少年たちはちょっとでも見やすい場所を求めて、柳の木によじ登っている。画面右奥の対岸には、不忍池の島にある弁天堂のシルエットがうっすらと見える。
清親は、明治初期、西洋の油彩画や石版画、写真などの表現を浮世絵版画に取り込み、光や影のうつろいを巧みに捉えた風景画を制作した。その特徴から「光線画」と通称されているが、図2はまさしく清親の光線画らしい一枚である。
黒の使い方に注目すると、花火の見物客たちには従来の浮世絵に見られる輪郭線がなく、顔さえ見えない影絵のような真っ黒なシルエットになっている。また、背景全体がやや薄めの黒色で塗りつぶされており、池と夜空の区別はつかない。
だが、これほど黒い絵でありながら、目の前に風景が広がっていると感じられるのは、人工的な光の輝きがあるからだろう。夜空には花火が垂れ下がり、手前には赤い提燈が吊られている。対岸には点のような提灯の灯りがずらりと連なり、その光が水面に反射して細い線となっている。
橙色の光と対比されることによって、何も描かれていないはずの黒色の中に、花火を楽しむ人の笑顔や不忍池の水面のゆらめきが思い浮かんでくるのである。