些事にこだわり

MLBの球場の外野の「壁」を臆面もなく「フェンス」と呼び続けるアナウンサーたちに、小さな声ながら異をとなえたい

蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第21回を「ちくま」9月号より転載します。MLBもいよいよ佳境に入っていますが、その中継を見て、というか聞いて、蓮實少年の映画視聴のように、知らず英語力を鍛えている少年たちがいるのかもしれません。学習は「する」ものではなく「している」ものという箴言が思い出されます。ご覧下さい。

 一九四五年八月十五日のアメリカ合衆国を初めとする連合国軍への日本帝国の無条件降伏によってもたらされた敗戦後の市民的な自由を多少とも満喫することができたのは、そのとき小学校の三年生だったわたくしが数年後に中学に進み、先生たちを合法的に虐めることの快楽を享受する術を体得できたときのことだった。「合法的に虐める」とは、英語なら英語の先生に向かって、彼が絶対に答えられないはずの英語をめぐる難問をぶつけ、その当惑ぶりを見てクラス全員で歓声を上げるといったごく他愛もないものばかりだった。
 例えば、ある仲間が、授業中に、いきなり「彼らは名誉の戦死を遂げた」って、英語では何といえばよいのですかと問うと、教師は一瞬、ウーンと言葉を詰まらせる。すると、その仲間は、クラスのほとんどが見てきたばかりのラオール・ウォルシュ監督の傑作『壮烈第七騎兵隊』の原題They Died with Their Boots on (1941)をすらすらと口にして、「先生、帝大も出ているのに、こんな簡単なことを知らないんですか」と大っぴらに嘲笑する。多少とも当惑気味の先生の顔を見て、誰もがこれで授業が大幅に遅れるぞとひそかに、いや、かなり大っぴらに快哉を叫んだものである。
 かと思うと、「先生は野球がお好きですか」、と別の仲間が口にしたりする。「ああ、嫌いではないが……」という答えを聞くが早いか、じゃあ、先生、野球の「空振り」って英語で何というのですかと口にして、またもや先生を深く当惑させる。ここで「別の仲間」と指示された匿名の主体が、いまこの文章を書きつつある「わたくし」だった可能性も一概には否定しがたいのだが、そんなことは、ひとまずどうでもよろしい。その時期、同級生の誰もが、ジャズと親しむために、占領軍の放送局であるFENを聞いていたのであり、そこには合衆国の大リーグの中継も含まれていた。いま大谷翔平が所属しているドジャーズというチームが、LAなどという西海岸のすがすがしい国際都市ではなく、貴重なまでの猥雑さで知られていたNYのブルックリン地区を本拠地としていた時期のことである。
 細かいことはほとんど理解しがたい野球中継――とはいえ、録音されたものの再現だろう――に耳を傾けながら、誰もが最初に覚えたのは、というより「空振り」に違いあるまいと見当をつけた語彙が《a Swinging miss》という語彙だった。もっとも、あとで辞書類にあたって確かめて見たところ、《a Swinging miss》と聞こえた音は、どうやら《a Swing in(a)miss》と綴るのが正しい表記のようだった。

 では、どうして、いきなり「名誉の戦死」だの「空振り」だのといった英語の語彙がここでの問題となっているのか。それは、現今のテレヴィジョンで行われている大リーグ中継など見ていると、そこに頻出している日本語の語彙に苛々させられることが少なくないからである。
 例えば、さる七月十六日(現地時間)にテキサス州のアーリントンに位置しているテキサス・レンジャーズの本拠地グローブライフ・フィールドで行われたMLBオールスター・ゲームにナショナル・リーグの指名打者として二番で出場した大谷翔平が、その第二打席で、アメリカン・リーグを代表するボストン・レッドソックスのハウク投手の投げた第三球を軽々とライトスタンドに運び、それが大谷にとってのオールスター戦での最初のホームランとなったことは、記憶に新しかろう。だが、問題は、そのときの解説者やアナウンサーの言葉にほかならない。それは、ことによるとニュースで見直した画面であったかもしれないが、「日本人選手としての、オールスターでの初めてのホームラン」といってから、「初めての柵越えホームラン」と訂正していたものだ。
 その訂正は、ひとまず正しいといっておこう。MLBのオールスター・ゲームで初めてホームランを打ってその勝利に貢献し、かつまたMVPにも輝いた日本人の選手は、あのアメリカン・リーグのシアトル所属だったイチローをおいて、誰一人として存在しないからである。その奇跡は、二〇〇七年七月十日(現地時間)に起こったものである。だが、サイトで閲覧可能なNumber Webのバックナンバーによれば、
「「1番・中堅」で出場し、3打数3安打1本塁打。MLB 球宴史上初のランニングホームランでMVPとなった。/AT&Tパーク(当時の球場名)は右翼フェンスの形状が歪でクッションボールの処理が難しいことで知られている。5回にイチローさんが放った右中間最深部のフェンスを直撃した打球は思いもよらぬ右翼ポール方面へ跳ねた。右翼手ケン・グリフィーJr.も対応できずイチローさんは悠々とホームを駆け抜けた。」(number.bunshun.jp/articles/-/848803?page=2)
 引退した選手をあえて「さん」づけで呼ぶことでジャーナリストとしての義務をはたしたつもりになっている誰かが書いたこの文章には、いくつかの問題点が含まれている。まず、「ランニングホームラン」などという語彙など、英語にはいっさい存在していないからである。実際、この場面をYouTubeで見直してみると、Fox TVのアナウンサーは、まぎれもなく《Inside the Park Home Run!…》と絶叫している。だが、ここではさらにつけ加えるべき事態が存在する。それはNumber Webの記事で「右翼フェンス」と呼ばれていたものが、Fox TVの中継では、ごく単純に「壁」《Wall》と呼ばれているという点である。要するに、日本のアナウンサーや解説者の誰もがごく普通に「外野のフェンス」と呼んでいるものは、合衆国では、たんなる「外野の壁」でしかないのである。
 実際、ボストンに存在しているレッド・ソックスの本拠地であるフェンウェイ・パークのレフト側に屹立しているいわゆる《Green Monster》など、「フェンス」などとは到底呼べまい怪物じみた巨大な緑の「壁」にすぎない。にもかかわらず、誰の目にも「壁」としか映るまいこの絶壁を、何の衒いもなく「フェンス」と呼び続けている日本のアナウンサーや野球解説者たちの言語意識を、深く疑わずにはいられない。実際、東京ドームのいったいどこにフェンス=柵があるというのか。そこには、誰の目にも明らかなように、「壁」しか存在していない。

 では、「名誉の戦死」や「空振り」はどうなってしまったのか。それらの語彙が問題だったのは、連合国、というより実際的にはアメリカ合衆国による占領時代の東京の私立中学でのことである。そこでの同級生の多くは、かつての敵国だったアメリカ合衆国で語られている英語という言語を、学校の授業などで修得できようなどとは間違っても思っていなかった。まずはFENを聞こう。そして、ハリウッド映画を見まくり、その題名を記憶しよう。実際、それがわたくしたちの仲間が誰いうとなく口にしていたことだったのである。
 例えば、それは、形容詞goodの最上級なら、ウイリアム・ワイラー監督の『我等の生涯の最良の年』(The Best Years of Our Lives)(1946)を思いだせばよい。感嘆文としてのHowの使用法なら、ジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』(How Green Was My Valley)(1941)を記憶しておけばよい。Womanの複数形の発音なら、マーヴィン・ルロイ監督の『若草物語』(Little Women)(1949)の場合を想起しておけばよい。アメリカ合衆国の首都の綴りを記憶するには、フランク・キャプラ監督の『スミス都へ行く』(Mr. Smith Goes to Washington)(1939)を何度か手書きしておけばよい。キング・ヴィダー監督の『摩天楼』(Fountainhead)(1949)では、日本公開時の題名とは縁もゆかりもない「水源」という単語を記憶せよ、等々、といったいずれも他愛のないものばかりである。だが、この時期に覚えたハリウッド映画の原題のあれこれが、ある程度まで当時の中学生の英語力を高めたことは間違いのない事実だといえる。
 実際、このわたくし自身は、高校に進学したとたんに英語授業の受講を放棄して、フランス語を習うことにした。だが、それでいて、英語で本格的に苦労したことは、今日にいたるまで一度もない。後期高齢者となってからも、ハリウッド映画だけは見続けながら、ときにはMLBの中継などを見るともなく目にすることで、日々を過ごしている。