モチーフで読む浮世絵

赤【最終回】
魔除けの色 祝祭の色

赤ほどその色みで表情を変える色はないかもしれません。 本連載最後のテーマはそんな「赤」を取り上げます。 期待、驚き、祈り……江戸の人たちの心を映した赤い浮世絵を!
図1 歌川国芳「金太郎の猪退治」 天保(1830~44)後期頃 東京都立中央図書館蔵

 赤ん坊に赤い産着を着せたり、還暦を迎えたお祝いに赤いちゃんちゃんこを贈ったりするように、赤という色には魔除けの意味が込められている。浮世絵においても、赤い絵が魔除けとして用いられることがある。

 歌川国芳の「金太郎の猪退治」(図1)は、金太郎が大きな斧を振り上げながら、猪を踏みつけている場面を描く。金太郎の絵としてはごくありふれた平凡なものだが、一つだけ特殊な点がある。それは赤色の濃淡だけで摺られていることだ。

 この絵は「疱瘡絵」と呼ばれている。子どもが疱瘡(ほうそう)(天然痘)という死亡率の高い病気に罹った際に部屋の棚や枕元の屏風に貼る絵で、病を追い払うことを願って赤一色となっている。金太郎や桃太郎、鐘馗(しようき)といった力の強いキャラクターや、達磨やミミズク、春駒といった子どもが好きなおもちゃがモチーフとしてよく登場する。

 江戸時代の赤い絵具は光に弱いため、退色しやすい。護符として貼られ続ける疱瘡絵となると、現存しているものは、何が描かれているか分からなくなるほど色が薄くなっていることが多い。しかもおまじないとして消費されるものなので、綺麗な状態で保存されていること自体が稀なのである。ボロボロの疱瘡絵は、子どもたちの健康を願う江戸時代の人々の祈りが、赤という色に強く込められていたことを物語っている。
 

図2 三代歌川広重「東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」明治15年(1882) 山口県立萩美術館・浦上記念館蔵

  さて、赤は明治時代の浮世絵ではまた異なる意味合いを帯びる。三代歌川広重「東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」(図2)は、明治十五年(一八八二)の銀座の街並みを描いた名所絵である。レンガ造りの洋風建築が立ち並び、ガス灯も設置されている。ちょうどこの年、馬が車両を牽引する馬車鉄道が新橋と日本橋の間に開通し、その隣を負けじと人力車が並走する。まさに時代の最先端である繁華街の様子を伝えていよう。

 空の色に注目してほしい。明らかに昼間の時間帯でありながら、夕焼けよりもどぎつい真っ赤な色に染まっている。文明開化した街並みを描いた名所絵を「開化絵」と呼んでいるが、開化絵では空がこのように真っ赤になっている作例がしばしば見られる。

 明治時代に入ると、西洋からコチニールという昆虫由来の染料や、エオシンという合成染料が輸入されるようになった。安価でありながらこれまでにない鮮やかさを発揮する、舶来の新しい赤ということで、文明開化を題材とする絵の中で好んで採用されたのだ。

 開化絵の赤は、現代の私たちにはかなりけばけばしく感じられてしまう。そのため、浮世絵愛好家たちの間ではあまり美しくないものとされ、評判がよくない。しかしながら、明治時代の人々からすれば、この鮮やかな赤こそが、文明開化によって発展する街並みを寿いでくれる祝祭の色であった。色に対する感覚は時代の移り変わりと共に変化していく。