昔から、他人の靴でぎゅうぎゅうになった玄関の三和土を見るのが好きだった。「今この場所に、人が集ってきたんだな〜」と意味もなく嬉しくなる。向きが揃った靴で「心同じくして」の雰囲気が、そして「これを履いてやってきた、そして履いて帰る」という前後の人生が、三和土には詰まっている。
親戚が集まるお正月のおばあちゃん家では、赤ちゃんのおもちゃみたいに小さいスリッポンと、おじさんの名称のわからない靴の間に自分のスタンスミスが挟まっていた。大学の映画サークルでは、誰かの狭いアパートで撮影するたび、スニーカーの上にスニーカーが重なった。若手芸人の打ち上げ会場では、あっちもこっちもニューバランスだらけ。
時を経て、だんだん思い出が立体的になることはよくある。「あの靴スリッポンっていうんだ」と覚えた時期は、まだスウェードという素材を知らなかった時期でもあるし、みんながニューバランスを履いていたと記憶している時期はすなわち、ニューバランスを履かない程度で自分の個性を守れていたような気になっていた青い時期でもある。
せっかくなら靴の集合写真でも撮っておけばよかった、と後悔しなくはない。しかしあの頃はまだあの頃ではなく、今で、今は未来の私のために存在していなかった。カメラはいつもピースサインを写した。
やがて自然に薄れていくならそれもいい。
若手時代、ネタ番組のオーディションのためによくテレビ局に通った。
「お前ら靴汚いなー」
いつも私たちの足元を見て笑うディレクターさんがいた。その人は昨日買ったみたいな靴を履いていた。
なぜ靴が汚いことがそんなに面白いのか、よくわからなかった。二足目の靴より欲しいものがあった。劇場の座席を埋めたかったしテレビに出たかった。そしてニューバランスみたいに売れたかった。
数年後、同じディレクターさんにテレビ局で会った。
「靴キレイになりましたねー昔はめっちゃ汚かったですもんねー」
新しい靴は敬語を連れてきた。態度を変えやがって、とは思わなかった。事務所ですれ違う若手の足元を見ても、みんなキレイな靴を履いている。靴の汚れは、私の現在地ではなく私だった。足元が汚れているのは良くなかった。
私のことが嫌いな人のスニーカーは、キレイで高そうだった。誰かの汚いやり方にムカつく日と、うまくいかなくて下を向くと靴だけがキレイな今の自分にムカつく日が来る。キレイな靴を履くために頑張っていると思われながらたどり着いた日々は、靴が汚れたらもう終わりで、今日は履きたい靴がなくて、そんなことでもう全部がいやになって、泣きそうになって、あの時同じ場所に集っていた靴も、みんなも、そんなやりきれない日があるだろうか、あるに決まっている。そんな当然のことを本で、映画で、他人の創作で確認する。みんなみんな、って言うけど、みんなって誰?って思うけど、みんな今日も一人で、一足だけ履いて、行って帰る。その事実で息が吸えることもある。