本書を一読した読者のなかに消しがたい印象を残すエピソードのひとつに、「旧版あとがき」に記されている、『レーニン全集』の邦訳の購入をめぐる経緯があるだろう。まだ修士課程の学生だった著者は、約50冊にものぼるそれを古書店で驚くほどの安値で買い取って、院生共同研究室に「台車に小山のごとく積み上げて」持ち込んだというのである。拙宅の書架にも収まっているその茶色の膨大な塊は、私見によれば、同じ大月書店から刊行されている、補巻と別巻あわせて全53冊におよぶ『マルクス=エンゲルス全集』とともに、およそ〈戦後日本〉における書籍文化の最良の成果と呼ばれるべきものだ。紙媒体の書籍が限りなく減少してゆく可能性に鑑みても、今後、質・量ともにこれらに匹敵する「書籍」が日本で出版されることはまずないだろうと推測することができる。
それにしても、これらの二つの全集に注がれた労力を思うと、私はほとんど眩暈がしてくる。生半可にできる仕事でないことは、誰の目にも明らかだ。しかも、『マルクス=エンゲルス全集』の場合には、監訳者として大内兵衛・細川嘉六の名が記され、各巻の冒頭に当該の巻の訳者名と「統一者」の名が並べられ、それぞれの訳文の末尾には、その担当者の個人名が書き入れられている。それにたいして、『レーニン全集』の場合には、訳者名として「マルクス=レーニン主義研究所 レーニン全集刊行委員会」と記されているだけで、個人名はいっさい登場しないのだ。そのうえで、「訳者はしがき」の最後にこう断られているのである。
翻訳は、それぞれ担当の訳者がまず訳出し、これに校閲者団が、各国語訳および旧邦訳をも参照しつつ、厳密に校閲をくわえ、さらに統一者が術語、用語、文体などの整理、統一をおこなって完成したものである。(『レーニン全集』第1巻、大月書店、1953年、2頁)
つまり、『レーニン全集』においても、当然のごとく各篇の翻訳担当者がおり、「校閲者団」なるものが存在し、さらに各巻の「統一者」が立てられてもいたのである。しかも『マルクス=エンゲルス全集』が必要としたドイツ語の読解能力の持ち主はそれなりに存在していただろうが、『レーニン全集』のほうはもちろんロシア語である。ロシア語の読解能力を持つ当時の左派知識人がいわば片っ端から総動員されたことは疑いないのだ。しかし、それらのひとびとは「レーニン全集刊行委員会」の名のもとにあくまで身を潜めているのである。『レーニン全集』の刊行は1953年からなので、当時激しく展開されていたレッドパージを逃れる意味合いもあったかもしれない。
ともあれ、この『レーニン全集』のありかたは、まったくべつの文脈で、荒地派の詩人、鮎川信夫が自らのエコールの理念として掲げていた「無名にして共同なるもの」(「Xへの献辞」)という言葉を私に呼び起こさずにいない。もとより、鮎川の想定していた共同性とレーニン全集刊行委員会の体現していた共同性では、背馳するところのほうが大きかっただろう。しかし、戦後の左派知識人の知的エネルギーが結集していったその仕方には、鮎川の「無名にして共同なるもの」という言葉がまことにふさわしく思えるのだ。
その〈戦後日本〉の宝の山のような『レーニン全集』に、名を伏せた訳者たちの、おそらく孫さらには曾孫の世代にも相当するであろう著者が、果敢に取り組んだのである。その優れた成果が『未完のレーニン』(講談社選書メチエ、2007年刊。現在、講談社学術文庫)であり、本書『「物質」の蜂起をめざして――レーニン、〈力〉の思想』(作品社、2010年刊)だった。
一方で、中沢新一氏の『はじまりのレーニン』(岩波書店、1994年刊。現在、岩波現代文庫)がレーニン研究に向かうきっかけのひとつを与えたと、著者は明確に述べている(『未完のレーニン』「あとがき」)。『はじまりのレーニン』は中沢氏ならではの、従来のレーニン研究とはまったく異なる、きわめて特徴的かつ挑発的な著作であって、『哲学ノート』のレーニンを軸に読み解き、「レーニン主義の三つの源泉」を「古代唯物論、グノーシス主義、そして東方的三位一体論」に見定めたものである。その当の中沢氏によって記された帯文のもと、著者は『未完のレーニン』という書物を携えて、まさしく彗星のごとくわれわれのまえに登場したのだった(中沢氏にも、自分の蒔いた種が十数年してようやく芽吹いたという深い感慨があったことだろう)。
つまり、『レーニン全集』という「無名にして共同なるもの」と中沢新一という強烈な批評的個性、この二つがぶつかり合う場所で、レーニンをめぐる著者の思考は最初の火花を発したに違いないのである。その後著者は、よく知られているように、『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版、2013年刊。現在、講談社+アルファ文庫)という著作で、〈戦後日本〉にたいする若手の鋭利な批判的論客として文字どおり脚光を浴び、その系列の著作をつぎつぎと著して現在にいたっている。
それにしても、レーニンと〈戦後日本〉ではずいぶん批評の対象が異なっていると思われるかもしれない。本書『「物質」の蜂起をめざして』は、この一見異なる著者の批評対象を明快に繫いでくれるものでもある。つまり、レーニンをめぐる著者の関心の中心に当初からリベラル・デモクラシー批判があったことを、あらためて本書は告げているのである。西欧の政治思想史のなかでリベラル・デモクラシーが抱えている原理的な困難と、それゆえに歴史のなかで繰り返されてきた数々の欺瞞……。それについて著者は本書『「物質」の蜂起をめざして』において再三再四言及しているのだが、まさしく私たち自身の現実において、そのリベラル・デモクラシーの欺瞞性は「自由民主党(自民党)」といういささかカリカチュアめいた姿で、現に存在しているのだった。これにたいする批判をあの手、この手で提示し続けることは、著者にとって喫緊の課題ともなったのである。
『未完のレーニン』から『「物質」の蜂起をめざして』における著者のレーニン論の大事な柱のひとつに、レーニンとフロイトの並行関係を強く打ち出す読み方がある。これは中沢氏の『はじまりのレーニン』においてもまったく未解明にとどまっている点であって、著者の優れた着眼点を示すものといえる。レーニンは『何をなすべきか?』において大衆運動の「自然発生性」に依拠することを断固拒否して、労働者に階級意識を外部注入する必要性を強く説いた。一党独裁をもたらした元凶としてレーニンにたいする批判が集中しやすいこの一点に、著者はフロイトの精神分析の立場を重ねる。本書に登場する言い方では、「レーニンにおける「革命家-労働者」の関係は、フロイトにおける「精神分析家-神経症患者」の関係に類似している」(本書、294頁)ということである。労働者の自然発生性に水平的に向き合っているだけの態度は、患者の病理をなんの解釈も抜きに見ているだけの、精神分析家ならざる精神分析家に等しい、ということである。事態を垂直的・超越的に解釈し得る視点がはじめて、その症候の背後にある真の欲望とそれに見合った現実を摘出し得るというのが、著者の考えである。
このようなレーニン=フロイトという著者の視点は、現在にいたるまでの著者自身の盛んな批評活動の要点を私たちに教えてくれるものでもある。要するに、『永続敗戦論』とそれに続く著者の執拗なまでの議論は、〈戦後日本〉という神経症患者の無意識に、精神分析学の垂直的な解釈をくわえる営みにほかならない、ということである。日本がアメリカ合衆国に敗戦したことなどおよそすべての日本人に周知のことだが、その周知のことを同時に日々「否認」し続けているのが、われわれの神経症的現実なのだ。「敵」を浮き彫りにしつつ、そのことをあらゆる局面であくまで暴露し続けること――。それこそが、本書の「増補新版まえがき」で「レーニンのように書くこと」(16頁)と著者が記していることにほかならない。
『レーニン全集』という宝の山に切り込んだ著者は、〈戦後日本〉にたいする最大の批判者であるとともにその最大の救済者のひとりでもあるということを、私たちは肝に銘じなければならない。