†「勤労の義務」を問いなおす
ただし、本書が法律学的なアプローチをとると決定しても、それだけで、日本の社会保障に存在する無数の問題点のうちのどれを取り上げ、どう検討するのかが決まるわけではない。よって次に、本書に一貫する検討の視点を定めたい。
本書が考えたいのは、「新しい時代」の社会保障である。それは、情報技術の発展や社会の変容、それに伴う価値観の変容により、人々の働き方が現在以上に多様化し、それとともに人々の生き方も多様化したような時代に適合する社会保障である。
人工知能(AI)が人間の代わりに「働く」ようになれば、人間の働き口が大きく減ると言われている。働き口が残った場合でも、定時に出社して決められた労働時間を働くような、現在の会社員のような働き方は必要なくなり、AIの成果物を人間がスポット的にチェックするような形になるかもしれない。そうすると必然的に、多くの人は、働くこと以外の行為に多くの時間を割くようになるだろう。そのような局面において、従来の働き方を前提として組み立てられている、現在の社会保障を維持することが妥当なのか、あるいはそもそも可能なのか。
このような「新しい時代」を念頭に置けば、カギとなる視点は「働き方」と社会保障の関係である。そして社会保障が、すべての人々が日々の生活に不安を持つことなく、健康で文化的に生きていくための生活保障をめざすのであれば、「ノーマル」な働き方をしない人、あるいは働けない人の生活を、いかにして保障していくかを考える必要がある。
ところが、これを考えるうえでは法的な障壁がある。日本国憲法27条1項の「勤労の義務」規定である。「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」というこのシンプルな条文について、有力な学説は、勤労の義務を果たさない者には国家は生存権の保障(社会保障)を与えない、という法的意義を有するものであると解釈する。しかしながら、この解釈の正当性や必然性について、これまであまり注目されることはなく、深く検討されたこともなかった。
そうすると、新しい時代の社会保障を検討するうえでは、この「勤労の義務」規定の意義を問いなおすことが必須である。よって本書は、「勤労の義務」の法的な意義という視点を中心に据える。
†人々の意識と法的権利
さらに本書としては、法解釈の局面だけではなく、法や制度をめぐる人々の意識(法意識)の面にも着目したい。というのは、いかに法的観点から見て理想的な社会保障の仕組みを構想しようとも、実際にそれを利用するのは生身の人間であるからである。
すでに筆者自身の経験として述べたように、やはり多くの局面において、社会保障の仕組みを利用することに対する抵抗感は存在する。その抵抗感に対して何らかの対策を施さない限り、社会保障の仕組みは想定通りの効果を発生させることはない。つまり、法的権利の実効性を確保するうえで、人々の法意識は重要な要素である。このことをより本書の問題関心に引き付けて言えば、次のようになる。
日々の食事にも困り、家賃や光熱費の支払いも滞り、いまにも住居を追われそうなほど貧困にあえいでいる人が、生活保護の仕組みを知ってさえいれば、その人は必ず生活保護の利用申請を行うであろうか。
憲法に「勤労の義務」規定があるとはいえ、同じく憲法上には生存権規定が存在し、それを受けて生活保護を受ける権利が保障されている。このように、生活保護の権利があることを知っており、自らの現状に鑑みれば生活保護を受給できる可能性があると認識していてもなお、その権利を行使しようとしない人は、現実には決して少なくない。
このように考えると、法的な意味での「勤労の義務」と密接に関連しつつも、なお区別可能なものとして、人びとの意識のレベルにおける「勤労」ないし「働くこと」に関する規範意識のようなものが存在するのではないか。そのような意識が、社会保障の権利を実際に行使する際の、ブレーキとして作用しているのではないか。このブレーキに目を向けない限り、新しい時代の社会保障を構想しても、その権利は実際に使われることはなく、絵に描いた餅になるだろう。
このような考えに基づき、本書では人々の「勤労」「働くこと」に関する規範意識にも注意深く目を向けていきたい。