世の中ラボ

【第173回】
「虎に翼」が稀有な「攻めの朝ドラ」になった理由

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年10月号より転載。

 9月末で最終回を迎えるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)、「虎に翼」(2024年4月〜)が好評だ。
〈日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、一人の女性の実話に基づくオリジナルストーリー。困難な時代に立ち向かい、道なき道を切り開いてきた法曹たちの情熱あふれる姿を描く〉(公式HPより)という内容で、脚本は吉田恵里香、主演は伊藤沙莉。主人公のモデルは日本で女性初の裁判所長になった三淵嘉子だ。
 この欄でも朝ドラや大河ドラマは何度か取り上げ、特に朝ドラは政治的な要素を排し、史実をマイルドに改変する癖があると論じてきた。が、「虎に翼」はそれらと少しようすが違う。
 ドラマは初回、ナレーション担当の尾野真千子による日本国憲法第一四条の朗読から始まる。〈すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない〉。
 画面は河原に座り、憲法の条文が記された新聞を読む主人公の佐田(旧姓猪爪)寅子。おおーここから始まるのか、である。改憲に意欲を燃やし、かつ有形無形のメディアへの圧力が感じられた安倍晋三政権時代だったらこうはいかなかったかもな、と余計なことまで私は考えたのだが、実際、たとえば「週刊金曜日」(7月26日号)が「虎に翼」特集を組んでいることからも、この作品がリベラル陣営にも好意的に受け止められていることがうかがえよう。いったい人気の秘密はどこにあったのか、改めて振り返ってみたい。

「女性の一代記」を超えて
 まずノベライズ(『連続テレビ小説 虎に翼』上)を参考にドラマのストーリーをざっとさらっておくと……。
 朝ドラには珍しく主人公の幼少時代は描かれず、物語は猪爪寅子17歳の昭和6(1931)年から始まる。猪爪家は銀行に勤める父の直言、母はる、兄の直道(22歳)、弟の直明(5歳)の五人家族で、さらに書生の佐田優三(23歳)が同居している。
 寅子は御茶ノ水の名門女学校で二番の成績を誇っていたが、見合いは断られてばかり。同級生で親友の花江は良妻賢母になることが両親への恩返しだというが、ピンと来ない。その花江が兄の直道と結婚、猪爪家の一員となり、その後二人は苦楽をともにしながら、ともに人生を歩んでいくことになる。
 寅子が法律と出会ったのは明律大学の夜学で学ぶ優三に弁当を届けにいった時だった。寅子はそこで聞き捨てならない言葉を耳にする。〈婚姻状態にある女性は無能力者〉という一節だ。〈「は? 女が、無能力?」/思わず大声が出た〉。教壇に立つ裁判官の桂場等一郎に寅子は食い下がった。〈「それは、女性が無能ということですか?」/「そうではない。結婚した女性は準禁治産者と同じように責任能力が制限されるということだ」/「いいえ、ありますよ。責任能力」〉〈「私の家では、家のことは、お金回りから何から何まですべて母が責任を持ってやっておりますが」〉
 このやりとりを聞いていた穂高重親(明律大学教授で父の大学時代の恩師)に〈きみ、法律家に向いているよ!〉といわれてその気になった寅子は、父の後押しもあって、昭和7年、創設されたばかりの明律大学女子部法科に進学。ここで多彩な同級生と出会い、昭和13年に本科を卒業。在学中に高等試験司法科(司法試験)に落ちて落胆するも、弁護士事務所に勤めながら二度目の挑戦で合格、先輩の女性二人とともに日本初の女性弁護士となった。
 以上が序盤、第六週(「女の一念、岩をも通す?」)までの内容。この後寅子は優三と結婚して佐田姓となり、一児(娘の優未)を授かるも、出征した優三は戦病死。兄の直道も戦死。終戦後すぐに父と母も相次いで亡くし、戦後は裁判官となって一家の経済を支える一方、新民法の起草や家庭裁判所の創設にも関わっていく。
 では、モデルの三淵嘉子はどうだったか。ドラマ化決定後に出た複数の評伝の中から、青山誠『三淵嘉子――日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』を参考に見ておくと……。
 三淵(旧姓武藤)嘉子は大正3年(1914年)、台湾銀行に勤める父・貞雄の赴任先だったシンガポールで生まれた。母ノブの実家・武藤家は香川県丸亀市の資産家で、貞雄は入り婿。嘉子二歳の時に父はニューヨーク勤務となり、母子は丸亀で父の帰りを待つことになる。貞雄が当時の男性らしからぬ自由な発想の持ち主だったのは海外勤務の経験が影響していたかもしれない。
 やがて嘉子は女子の最高学府である東京女子高等師範学校の附属高等女学校から明治大学専門部女子部(明治大学短大の前身)の法律科に進み、さらに明治大学法学部を卒業した昭和13年、高等試験司法科試験に一度で合格。久米愛、田中正子とともに日本初の女性弁護士となった。家族構成の違いなどはあるにせよ(史実では嘉子には四人の弟がいた)、武藤家の書生だった和田芳夫と結婚したのも、一児(史実では男児)を授かったのも、夫と兄弟(史実では弟)を戦争で亡くしたのも同じである。
 なんだけど、評伝はドラマよりおもしろくないのだな。理由はわりと単純。評伝はしょせん「成功した女性の一代記」でしかないからだ。逆にいうと「虎に翼」は女性の一代記という朝ドラの定石をはみ出している。今日的な価値観や社会問題を積極的に取り込み、視聴者への問題提起すら行っているようだ。
 憲法一四条の朗読から始まるのもそう。寅子が「婚姻状態にある女性は無能力者」に楯突くのもそう。戦後はさらに間口が広がり、同級の留学生(崔香淑)などにからめて朝鮮人虐殺を含む民族差別を描いたり、大学の同級生(轟太一)がじつは同性愛者で恋人と結婚できないわだかまりを抱えていたり、二度目の結婚をするに当たり寅子は改姓を疑問視して事実婚を選んだりする。明らかにこれは今も進まぬ同性婚や選択的夫婦別姓を意識していよう。
 この「攻めの姿勢」はちょっと稀有なことといわなければならない。先にも述べた通り、これまでの朝ドラは不都合な事実は物語から排除し、社会派的な要素はなべてスルーしてきたからだ。
 小篠綾子を描いた「カーネーション」(11年10月期)では妻子ある男性との長年のパートナー関係をなかったことにし、村岡花子を描いた「花子とアン」(14年4月期)ではヒロインの宗教的な背景や政治活動や略奪婚にふれず、牧野富太郎をモデルにした「らんまん」(23年4月期)では故郷に残してきた正妻を「姉」に置き換えることで夫唱婦随の物語に仕立てた。
 結果、ヒロインは無難な愛されキャラの範囲に収まり、社会問題や暗部を含む原案本や評伝のほうがおもしろい、という現象が起きる。一方「虎に翼」は逆で、評伝のほうが社会性が薄くぼんやりした印象を与える。なぜこのような逆転が起きたのだろうか。

攻めの姿勢の裏に執拗な取材あり
 秘密の一端がうかがえるのが、清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』である。この本に収録された清永による評伝「三淵嘉子と家庭裁判所の時代」は他の評伝と一線を画しており、嘉子の実子である和田芳武や末弟の武藤泰夫への取材が行われているほか、通り一遍の評伝にはない新事実がかなり盛り込まれている。
 最たるものが嘉子が関わった「原爆裁判」だろう。1955年、原爆投下は国際法違反だとして広島と長崎の被爆者が国家賠償を求めた裁判だ。8年後の判決は原爆投下を違法と断じ、被曝者への救済が必要としながらも〈それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である〉として原告の請求を棄却した。判決文には〈われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである〉という一文も入り、後の法整備につながった。
 嘉子は生前、この件について一言も語らなかったようだが、ドラマは判決文の読み上げまで堂々と取り上げている。
 清永はNHKの解説委員(司法担当)で『家庭裁判所物語』(2018年)という著書があり、本を読んだプロデューサーから〈「三淵嘉子さんをモデルにした朝ドラってできると思いますか?」と相談され、ドラマの話が動き出しました〉とインタビューで答えている(プレジデントオンライン8月31日)。しかし〈三淵さんの評伝自体はいくつかあったんですが、それだと縦軸 ―― つまり、彼女の人生の物語は描けるけど、家庭裁判所の創設や少年法の問題や原爆裁判など、いわゆる横のイベントについてはあまり詳しくない〉。〈「司法の歴史」を朝ドラで伝えたいという思いがありました。(略)女性目線あるいは庶民目線で見た憲法の問題であり、刑事司法の問題であり、民法の問題であり、家庭裁判所の問題であり、少年事件の問題であり〉がわかるドラマにしたいと。
 だからこそ「虎に翼」は執拗な取材の裏打ちと、プロデューサーや脚本家の思いが合体した「攻めの朝ドラ」になったのだ。
 清永の評伝によれば、〈戦後の記述だけを根拠に、彼女が生涯を通じて性別を超越した人間主義であったとされるような意見も見られるが、それは少なくとも戦前に弁護士だった時点での嘉子自身の記述や、私が直接聞いた遺族の証言と一致しない。/実子の芳武は生前、私の取材に対して「母は女性の差別問題に敏感で、生涯女性の味方でありたいという言葉を話していました」と明言している〉。
 事実、ドラマの寅子は差別に敏感な人物として描かれた。
 それが人気を博したのは、司法の歴史のみならず、女性差別や少年犯罪からジェンダー規範や家族のあり方まで、作中の出来事が今日のアクチュアルな問題と直結していたからだろう。「はて?」と口にし、いちいち疑問を呈しては憤慨する寅子に視聴者は共鳴する。そしてたぶん背中を押されるのだ。そうだ言ってもいいのだ、と。

【この記事で紹介された本】

『NHK 連続テレビ小説 虎に翼 上』
吉田恵里香作、豊田美加ノベライズ、NHK出版、2024年、1760円(税込)

 

朝ドラ「虎に翼」のノベライズ版。一週一章仕立てで、上巻には戦後父母が他界し、寅子が特例判事補になり、家庭裁判所のPRに奔走する第一三週「女房は掃きだめから拾え?」までを収録(下巻は9月9日発売予定)。ドラマの内容をざっと知る(確認する)には便利な本。ほかに、出演者のインタビューなどを収めたドラマ・ガイド(Part1・2)やシナリオ集も出版されている。

『三淵嘉子 ―― 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』
青山誠、角川文庫、2024年、858円(税込)

 

ドラマ化に合わせて書き下ろされた三淵(武藤)嘉子の評伝。父母のルーツを遡る、嘉子と同時に弁護士になった久米愛や田中正子にも言及するなど、ドラマでは描かれなかった部分も紹介。当初から職業的なモチベーションが高かったのは久米や田中で、嘉子が職業意識に覚醒したのは戦後だったと述べる。類書の中では詳しいほうだが「本からつくった本」の印象で、平坦なのは否めない。

『三淵嘉子と家庭裁判所』
清永聡編著、日本評論社、2023年、1320円(税込)

 

編著者は「虎に翼」の制作にも「取材」担当で参加するNHKの解説委員。嘉子の貴重な写真から、彼女を取り巻く司法関係者の紹介、嘉子を直接知る人へのインタビューまで、内容がギュッと詰まったムックだが、特筆すべきは優に書籍一冊分に相当する充実した評伝で、編著者が集めた一次資料や遺族の証言を通して、変容する司法の現場とそこで闘う嘉子の姿が立体的に浮かび上がる。

PR誌ちくま2024年10月号

 

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