ちくまプリマー新書

被災地で出会う「幽霊」とフィールドワークの「嗅覚」について
『フィールドワークってなんだろう』より本文を一部公開

フィールドワークの目的は、「ブラックスワン」を探すこと。自分の半径5メートルから飛び出してはじめての世界に飛び込む方法を伝える『フィールドワークってなんだろう』より本文の一部を公開します!

ブラックスワン

 現在、ネットという強い味方があり、ちょちょっとググればそれこそ寝ながら検索し、いろいろなことを調べることができます。それなのに、なぜ時間とお金をかけて苦労して調査をするのでしょうか。それを一言でいえば、「ブラックスワン」を探すためです。直訳すれば黒い白鳥。ホワイトスワンつまり普通の白鳥は、ネットで検索すれば、すぐに見つけ出すことができます。しかし、ブラックスワンは検索ではでてきません。

 また、一羽でも黒い白鳥をみつけることができれば、白鳥はすべて白いとは言えなくなります。そのため、白鳥という概念そのものを考えなおす必要が生まれてきます。この概念を問いなおすほどのなにかを発見することが、苦労してフィールドワークする意味です。地道で苦労したデータを現場で拾い上げるフィールドワークは自らが持っている当たり前、難しい言葉でいえば「通念」を根本から問いなおします。それには若い感性を必要とします。

 一例を挙げましょう。学生と編んだ金菱清編『呼び覚まされる霊性の震災学』(新曜社)の中では、工藤優花さんという学生さんが東北の被災地のなかでタクシードライバーから幽霊の話を聞き取ってきました。

 大津波の現場では、幽霊に会った人に出会います。とりわけ、タクシーの運転手は幽霊に出会ってしまうことがいろいろとあったようです。

 ある日の真夜中、お客さんを待っていると、夏なのになぜか冬服を着た三〇代くらいの女性がタクシーに乗り込んできました。行き先は? と聞くと、「南浜(宮城県石巻市の地名)まで」と答えが返ってきました。運転手さんは不思議に思って、「あそこはもうほとんど(津波のせいで)更地ですけど大丈夫ですか? どうして南浜まで? コートは暑くないですか?」と聞くと、突然「私は死んだのですか?」と震えた声で答えてきたため、驚いた運転手さんが、「え?」とミラーから後部座席に目をやると、そこには誰も座っていませんでした。

 寒気がしたでしょうか。幽霊に出会ったら、どう感じるでしょうか。もう勘弁してって首を横に振りながら二度と出てくるなって願うことでしょう。

 ところが、タクシー運転手さんの感想はそういったものではありませんでした。

 最初はただただ怖かった。しばらくその場から動けなかったとのこと。けれど、今となっては別に不思議なことではなく、起こりうることのように思えます。理由としては、東日本大震災でたくさんの人が亡くなったから、この世に未練がある人だっていて当然だから。今はもう恐怖心というものはなく、また同じように季節外れの冬服を着た人がタクシーを待っていることがあっても乗せるし、普通の人と同じ扱いをする。ちなみに、このドライバーは震災で娘さんが他界しています。

 この感想を聞き返すことができた点がフィールドワークにおけるポイントになります。

 アンケート調査は基本一回しか答えを聞けないので、その準備のために問いを突き詰めていきます。一方、インタビューの場合は、幽霊に出くわしたという話を聞いた際、その幽霊に対してどういうふうに思っているのかを聞き返すことができます。みなさんが親や兄弟、友達といった身近な対象に話を聞く際にもこうしたことは可能でしょう。当事者の言葉に対して疑問を持って再度質問を変えて聞き直すことができるのは、聞き取りの大きな利点になります。

 その強みを活かして、先ほどの幽霊とのやりとりとその幽霊に対するドライバーの反応を聞き取ったわけです。幽霊と出会い、怖かったという感想であれば、当たり前でわざわざ調べる必要はないでしょう。それはホワイトスワンと同じものだからです。一方、彼女が遭遇したものは、幽霊に対する「畏敬の念」だったのです。この事実は、ブラックスワンになります。

 この事実は、私たちの既存の死生観に変更を迫るものといえるでしょう。それまで宗教学では、死者は彼岸に送って、「さよなら」という形で別れる存在でした。それが乗客が幽霊であってもいつでもタクシーに乗せても構わないということは、即座に彼岸に送らないことを意味するからです。

 もともと石巻地域で幽霊現象が目撃されていることについては、うわさも含めて夥しい数の報告がネット上にあがっていました。工藤さんは、その現象を調べようと、現地に赴くわけですが、調査の中では、とりとめもない話で終わったり、現地の方に怒鳴られたりと簡単にはうまくいきませんでした。それでも粘り強く調査を重ねていくと、タクシー運転手の方がかなりリアルな形で体験されていることがわかってきました。そこで指導教官である私はタクシーの運転手に絞って事例を集めてみるよう指示しました。そうして先のようなブラックスワンを見つけることができたのです。

 もうひとつ、『呼び覚まされる霊性の震災学』からエピソードをあげてみましょう。

 タクシー回送中に手を挙げている青年を発見してタクシーをとめると、マスクをした男性が乗車してきたが、恰好が冬の装いで、ドライバーが目的地を尋ねると、「彼女は元気だろうか?」と答えてきたので、知り合いだったかなと思い、「どこかでお会いしたことありましたっけ?」と聞き返すと、「彼女は……」と言い、気づくと姿は無く、男性が座っていたところには、リボンが付いた小さな箱が置かれてありました。ドライバーは未だにその箱を開けることなく、彼女へのプレゼントだと思われるそれを、常にタクシー内で保管しています。

 先ほどのドライバーと同じように、これからも手を挙げてタクシーを待っている人がいたらそれが幽霊であっても乗せるし、たとえまた同じようなことがあっても、途中で降ろしたりなんてことはしないよとインタビューに答えています。さらには、いつかプレゼントを返してあげたいと回答しています。

 ドライバーはこの幽霊に出会った話を良い思い出として家族や同僚にも話さず自分のなかだけで大切にしていました。では、なぜ家族や同僚にも話さない内容を調査者である工藤さんに話したのでしょう。

 それは調査者自身の工夫と調査態度に大きく左右されていると言えます。もちろん上から目線に立って話を聞いても口を開くようなことはありません。

 地元の人に怒られていた工藤さんは、はじめから聞き取りを行わず、海岸で釣りをしたり、ギターが得意だったので、石巻駅前のロータリーでギターの弾き語りなどをしながら、話をしてくれる人と距離を縮めていく努力をしました。そして、このようなブラックスワンにあたる情報を聞き取ることができたのです。

 私が専門家や研究者よりも学生に信を置く理由は、この水準のデータを拾ってくることに長けているからです。専門家や研究者はすぐに研究上の回答から推察してそれを現場に当てはめようとします。震災の現場でたくさんそういった事例をみてきました。そのような態度では、現場にいる人は口を噤んでしまいます。都合のよいデータのみが採用されて理論が作られる可能性があります。

 専門家では必ずしも捉えられない「嗅覚」を学生は持っています。それは知識や偏差値とは関係ありません。現象それ自体を見て、従来の枠組みを壊したりずらしたりすることが、可能になるのは、余計な先入観を持っていないからといえるでしょう。



『フィールドワークってなんだろう

10月10日頃発売!

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