ちくま文庫

新田次郎『火の島』 解説

新田次郎『火の島』について、作家の熊谷達也さんが「解説」をご寄稿くださいました。リアリスト新田次郎の眼が冴えるドキュメンタリー小説集を、熊谷さんはどう読まれたのか。ぜひお読みください。(新田次郎『火の島』から転載)

きわめて個人的な話で恐縮なのだが、新田次郎作品とは、私の読書人生の中で二度、大きな出会いをしている。

 最初の出会いは高校生のときで、作品は『アラスカ物語』(一九七四年新潮社刊)だった。

 当時の私にとって、普通であれば手を出さないたぐいの本である。というのも、そのころせっせと読んでいたのは、海外のSFやミステリーを中心とした翻訳ものばかりで、日本文学は学校の教科書で触れるだけという、かなり偏った読書をしていたからだ。その私が『アラスカ物語』を手にしたのは、読書感想文コンクールの課題図書だったことによる。

 明治元年に宮城県石巻に生まれた安田恭輔(のちにフランク安田)は、十五歳で見習い船員としてアメリカに渡ったあと、アラスカ北部での遭難をきっかけに、先住民のイヌイット(作中ではエスキモーとの表記)と深く交流を持ち、やがてリーダー的存在となってひとつの村を築くことになる。先住民たちから尊敬され、「ジャパニーズ・モーゼ」とも呼ばれた彼の生涯(第二次世界大戦をはさんだことで決して幸福な晩年ではなかったが)を丹念に描いた作品だ。

 半世紀も前に読んだ本なので、細部はすっかり忘れてしまっているものの、読んでいるあいだ中、真夏にもかかわらずとにかく寒い思いをしたことだけは鮮明に覚えている。肌感覚としてあれだけ寒い思いをした読書体験はいまに至るまで皆無に近い。

 そのときと同じような読書体験を、それから四半世紀あまり経って、再び新田次郎作品で味わうことになる。新田次郎の処女作であり、第三十四回直木賞受賞作でもある『強力伝』を読んだときだ。

 強力とは、徒歩で山小屋への荷揚げ作業を行う人々のこと。作中の強力小宮正作は、五十貫(百八十七・五キログラム)もある花崗岩の風景指示盤を背負って、白馬山頂にのぼることになる。今度は寒いのではなく、苦しかった。全身にずしりと伸し掛る桁外れの重量に、読んでいるあいだ中、息が詰まり、えもいわれぬ疲労感に襲われた。当時デビューから三年目で駆け出しの小説家だった私は、ひとりの書き手として圧倒され、言葉を失って立ち尽くすしかなかった。とりわけ印象深く心に刻まれたのは、小宮がついに花崗岩を山頂に運び上げたあとの描写だ。「―そこで彼は血のように赤い小水をした。」とあるだけなのだが、このわずかな一文に、強力という仕事の過酷さがすべて凝縮されている。

 新田次郎作品の大きな魅力のひとつであるこの「肉体性」あるいは「身体性」がどこから来るのか、さまざまな批評家によって語られてきてはいるものの、少し違った視点から触れておきたい。

『サピエンス全史』で広く知られるようになったイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが、人類の未来を予測した著作『ホモ・デウス』のなかで、サピエンス(現生人類)は三重の現実のなかで生きている、と述べている。オオカミやチンパンジーは、岩や木や川といった自分の外にある客観的なもの(ひとつめの現実)をよく知っていると同時に、恐れや喜びや欲求といった自分の中の主観的な経験(ふたつめの現実)も自覚しており、二重の現実のなかで生きている。それに対してサピエンスは、三重の現実のなかで生きているという。ハラリによれば、サピエンスにとっての三番目の現実とは、お金や神々、国家、企業についての物語である。どれも客観性もなければ主観的な経験でもない。ここで肝要なのは、この三つめの現実が「物語」であるという点だ。つまり、サピエンスが言葉を獲得することによって構築が可能になった、幻想とも言える仮想の世界であるものの、私たちにとっては、それなしでは生きることができない紛れもない現実なのである。

 だからこそ、サピエンスの世界では「物語」としての「小説」がごく自然に成立する。言葉によって創造されたいわゆるフィクションは、お金や神々、国家、企業についての物語と、なんら変わらぬ現実なのである。

 私たちが小説世界に没頭しているときは、先の二つの現実との回路が遮断されているのが普通だ。座っている椅子の硬さや背もたれの感触が意識にのぼって来ることもないし、明日の食べ物を案じて不安を覚えることもない。それは、読み手側の資質や努力に頼る部分もあるのだが、それよりも、小説の書き手の技量によるところが大きい。巧みな書き手は、文章や文体、ストーリイを駆使して、ほかの二つの現実にアクセスするドアを巧妙に閉ざしているのである。

 その物語に引き込む力が、新田次郎の多くの作品は並外れて強い。しかもである。技巧がどうのと些末な部分にこだわるような姑息なことを考えなくてもなにも困ることはない、と言わんばかりのごつごつした手触りの文章が、誤解を恐れずに言えば、物語世界のなかで読み手を執拗に痛めつける。それが「肉体性」や「身体性」というキーワードに結びつくのだが、いったいなにがそうさせるのか、具体的かつ明確に答えるのはとても難しい。

 だが、そのヒントになりそうなものを、今回復刻された作品集『火の島』を読んで発見できた気がする。

 表題作の『火の島』とは、東京から六百キロメートル近く離れた伊豆諸島南部に位置する火山島、鳥島のことである。その名の通りアホウドリの一大生息地で、羽毛や食肉を目当てに、かつては人が住んでいた。だが、明治三十五年八月の噴火で出稼ぎ労働者百二十五人全員が死亡したのをきっかけに、その後もアホウドリの捕獲は続けられたが、大正期には無人島に戻った。その後、南方海上の気象状況を知るための気象観測所が設けられるのだが、昭和四十年の秋、台風の夜に、観測員の房野八郎は噴火が迫っているようないやな予兆を感じる。のみならず、同じ夜に三人乗りの小型漁船が遭難して、船長は救助できたが、ひとりが行方不明に、もうひとりの乗組員が死亡するという不吉な出来事が重なる。それがきっかけになったかのように、地震と火山性微動が頻繁に観測され始めるものの、気象庁からは「今回の地震は直接火山の噴火と関係はないと判断される」との電信が送られてくる。収容した遺体から死臭が漂い始めるなかで、一刻も早い避難かそれとも島に踏みとどまるか、その選択を迫られる職員たちの葛藤が克明に描かれており、長年気象庁に勤めていた著者でなければ書けなかっただろう作品になっている。

 この表題作もさることながら、より注目されるべきは、今回の復刻版にも収録されている二編の短編『毛髪湿度計』と『ガラスと水銀』かもしれない。

 現在ではデジタル化され、一般家庭にも当たり前に普及している湿度計であるが、以前は湿度による毛髪の伸縮性を利用した「毛髪湿度計」が製造され、初期のころは、北欧女性の金髪が最良の素材として使われていた。

 作品の舞台は、戦時下にある一企業の研究室である。日本女性の毛髪で造ることができれば大いに宣伝になるとの社長の発案で、研究員の喜村正一が開発に携わることになる。最初、喜村は乗り気ではない。日本女性の黒髪が湿度計の素材には向かないことをすでに知っていたからだ。ところが、研究室の助手として配属された社長の姪、十九歳の園子の毛髪が抜群の成績を示したことで、吉村は一変し、強い執着を女性の毛髪に抱くようになる。遺体からも毛髪を採取しようとする異常なまでの執着や、湿度計の開発にかける執念は、薄気味悪くあるとともに、性描写は一切ないにもかかわらず、妖しいエロチシズムを垣間見させる。この匙加減が実に秀逸で、機器の開発研究という無機質なテーマに人間臭さを存分に与えている。

『ガラスと水銀』は海中の温度を測定する転倒寒暖計の製造をめぐる技術者の執念を描いた作品だ。転倒寒暖計の原理は作中に示されているので割愛するが、その製造は極めて難しく、神業的な技術を持つ職人でないと不可能で、世界中でドイツにひとり、日本にふたりの三名しかいなかった。主人公は計測機器製造会社の社長、菅浦房吉であるが、元々は職人であった。会社経営は順調だったものの、昔のふたりの兄弟子から、貴様には転倒寒暖計は作れない、と揶揄されたのをきっかけに、自らの手で造る決意をする。経営者からひとりの職人に戻った房吉の執念はすさまじい。が、製造は困難をきわめ、失敗の連続が続いていたところで、行方不明と思われていたもうひとりの兄弟子が見つかり、製造法の秘密を明かしてもらえるのだが、職人が扱う素材はガラスと水銀である。兄弟子は水銀中毒でまともに喋れないほどにまで衰えており、それはまた安吉の近い未来の姿でもあった。

『火の島』に収録されたこの三作品から浮かび上がってくるのは、文学者であると同時に科学者としての顔も持っていた新田次郎である。ものごとを客観的に、そして俯瞰的に見つめる科学的な眼差しを持っているからこそ、人間を描いてここまで説得性を持った作品を産み出せたのかと、妙に納得した次第だ。それを踏まえたうえでいま一度ほかの作品も読み返してみると、随所に懐の深い科学者としての眼差しを読み取ることができ、それが新田次郎作品の「肉体性」や「身体性」を下支えしていることがよくわかる。

 現代は、ハラリが言う第三の現実が肥大化して、先のふたつの現実を支配しようとしている時代かもしれない。だがしかし、「なあきみ、所詮人間は食わなければ生きていけぬ動物であるとともに、自然の前では実にちっぽけな存在にすぎんのだよ」と、この道の大先輩はあの世で笑っているに違いない。

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