みんな”普通

第14回 大人が考える、友だち作りで「しちゃいけないこと」

プロフェッショナルから小学生、ママパパ友、がん患者まで各方面に友だちがいる幡野さんが友だちとのいい関係づくりのために大切にしていることとは?

「幡野さんって、年齢や職種に関係なくお友だちが多いですよね。ぜひ友だち付き合いについて書いてくれませんか」

編集者さんからこう言われて、なるほど、と机に向かって考えた。

ぼくはたしかに友だちが多い。割とだれとでも仲よくなれる。一般的に「すごい人」と言われるプロフェッショナルから小学生、ママパパ友、がん患者までいろんな友だちがいる。会うとみんな、話が弾む。

その理由を考えてみたところ、つねづね意識している2つの要素が関係しているんじゃないか、という気がした。せっかくの機会なのでまとめてみようとおもう。

 

 

まず、基本的に下心がまったくないことは大きい。

下心っていうのは「あの女性と仲よくなりたい」みたいな異性間の話だけじゃなく、「この人と一緒にいるとトクがあるぞ」と考える心だ。クラスでいいポジションにいるとか、いい仕事をもらえそうとか、有名人だからお近づきになりたいとか、損得やメリットの有無で人付き合いを判断するゲスな心。

下心ってほんと一利なしだよ。下心は相手に伝わる。100パーセント伝わる。そして下に見られるか嫌われる。人を利用しようとするんだから信頼されなくて当然だよね。

それに下心を持って接していると「どう返事すれば気に入られるかな」って話を合わせたり顔色をうかがったりするわけで、しゃべっててたのしくないでしょ。「この人と仲よくなりたいな」っておもうことはだれにでもにあるけど、そこに計算が入ったらいい空気は作れない。意味ないし楽しくないしで、最悪なの。

ぼくレベルですら、だれかと知り合ったとき「このひと下心すげえな」と感心して0.1秒で心のシャッターを下ろすこと、あるからね。有名人や資産家は大変だろうし、そんな人は見る目もあるわけで、まずは下心を捨てよう。

友人関係は、損得勘定のうえには成り立たない。相手からなにを得られるか考えないことが、いい関係づくりの基本その1だ。

 

 

もうひとつ、ぼくに友だちが多い理由。「他人に期待しないから」だ。

ほんとうに一切、「これくらいしてくれてもいいのに」っておもわないの。友だちはもちろん、家族にも仕事相手にもなんにも期待しない。何をしてても、してなくても受け入れる。

人間関係の不和は、ほとんど期待のせいで生まれる。勝手にハードルを設定して、相手がそこを越えてこないと「なんで?」とか「もういい!」とか責める気持ちが生じる。期待を持った瞬間、関係破綻への第一歩を踏み出していると言っていい。

もちろん「察して」なんて論外だよ、きみの脳内なんてだれもわかりっこないって。どれだけ仲がよくても独立した人間同士。他人だ。ドライだと思うかもしれないけど、人間の心が混ざり合うことなんてないんだから、若いうちからそこの線引きはしっかりしておいたほうがいい。

って、いまこんなふうにエラそうに言ってるぼくも、昔は妻とか仕事相手に対して「どうしてこれをやってくれないんだろう」「おれだったらこんなふうにするのに」って期待してがっかりして……って時期がありました。ありがちだけど「麦茶がこれくらい減ったら補充してよ」とか「ふつう、これくらいのレベルの仕事はするでしょ」って。

でもその不毛さに気づいて期待を一切やめたら、めちゃめちゃラクになったんだよね。怒り、イライラ、がっかりみたいなネガティブな感情って疲れるでしょ。人付き合いがラクになるし疲れなくなるしで、「他人に期待しない」の幸福効果は絶大だった。

期待するくらいなら自分が「やる側」に回るほうがいいよ。たとえば「誕生日会、開いてくれるかな?」って期待して、何もなかったらがっかりする。それで不機嫌になるくらいだったら、自分で企画するの。麦茶がなくなりそうなら自分で補充する。みんなが見落としてる仕事のボールがあったら拾ってあげる。淡々と、感情を動かさずに手を動かす。

してもらうことばっかり考えてると、自力で幸せになれなくなるよ。幸せは与えてもらうものじゃなくて、与えるもの。無条件に与えてもらえるのは親の庇護下にある子どもまでだ。一人前の人間としてだれかといい関係を築きたかったら、「自分が動く」を徹底しよう。

 

 

さて、「友だちが多くなる基本の姿勢」をお伝えしたところで、ここからは「とはいえ明日からどうしよう」って人のためにちょっとノウハウ的な話をしようと思う。人付き合いの技術論ね。

人と仲よくなるためにいちばん手っ取り早いのは、「感情をコピーする」だ。友だちが笑ってたら一緒に笑って、泣いてたら一緒に泣いて、怒ってたら一緒に怒る。最悪、共感してるフリでもいい。

『ミッドサマー』というスウェーデンが舞台の映画に、印象的なシーンがある。

1組のカップルがあるコミューン(共同体)に行って、男性のほうがその中の女性と体の関係を持ってしまう。当然、彼女は嘆き悲しむ。すると、村の女性たちが一緒になってめちゃめちゃ悲しんでくれるの。同じように嗚咽して、激しく呼吸する。そうして共感を得たことで彼女のほうはコミューンに絶大な信頼を持つようになって……。

全体的にけっこう怖いことが起こる映画なので、興味と勇気と覚悟のある人はぜひ見てみてほしい。ぞっとしちゃうよ。でも、感情を重ねることで共感しあい、理解者だと感じてもらえることがわかるとおもう。

態度だけじゃなく「言葉」をコピーするのも手だ。同じ言葉を使うことで、仲間意識を持つことができる。

たとえば、若い人が使う「えぐい」。すごい、感動した、ウケる、ひどい……そういう感情をぜんぶ「えぐくない?」「えぐっ」とえぐえぐ言い合うことで、わかりあえた感覚を持てる。ちなみに、いまのおとなたちが若いころに使ってたスーパー便利な共感ワードは「やばい」だった。みんなでやばやば言ってたの。

ただ、これは犬の遠吠えみたいなもので、言葉だけど言葉じゃないんだよね。あくまで群れという名のコミュニティ内で通用するもので、ほかのコミュニティでえぐえぐ言ってたらバカだと思われちゃうから気をつけよう。

こうして感情や言葉をコピーすることで、相手の仲間意識を多少はコントロールできる。頭のいい人には見抜かれちゃうこともあるけど、まあまあ通用する技術だ。

 

 

下心を持たない、期待しない、ひたすら共感する、共感できなくてもコピーする。ここらへんを守っていれば、大多数の人とうまくいくはずだ。

ただ……若いみんなにいちばん伝えたいのは、「友だち付き合いはそこまで気に病まなくていい」ということだ。

友だちとの関係に悩むのは、学校という存在のせいだったりする。毎日通う場において友だちは絶対的な存在だし、うまくやっていけるかどうかが死活問題だけど、おとなになると友だちのことではあんまり悩まなくなる。

なんでかって、平日も会うし休日も遊ぶみたいなオールマイティな友だちがいなくなるんだよね。飲み友だち、趣味の友だち、仕事で知り合った友だち、よくわからない友だち、みたいにいろんな属性の友だちが増えてくるの。だからあんまり悩まない。

当事者だとなかなかそう思えないのもよくわかるけど、友だちにはもっと気軽な気持ちで向き合えばいいと思うよ。最悪こじれても「ま、いっか。どうせいまだけだし」とやりすごそう。