金利とはなにか。
一言でいえば、「お金のレンタル料」です。より正確に書くと、レンタル料そのものは利息であり、その元金に対する比率が金利です。金利の代わりに利子率という言葉もよく使われますが、同じ意味です。
「100万円の金を1年間借り、1年後に101万円返す」という約束なら、1万円が利息で、年利1%。この「1%」がお金のレンタル料率としての金利です。
……このあたりまでは誰でも知っているシンプルな話です。
しかし、この金利の水準が、なにで決まっているのか、という問いへの答えは、いろいろな要素が交錯していて、それほどシンプルではありません。
「もうけ」の対価としての金利
まず、一国全体としてみると、金利を決めるもっとも基本的な要素は、インフレ(物価上昇)と「借りたお金を使って得られるもうけの大きさ」です。
一国全体としてみると、と書きはじめましたが、同じ意味で、しばしば「マクロ的にみると」、などの表現も使います。マクロの対義語はミクロで「ミクロ的にみると」、という場合は、個人、家計、企業などを検討対象にすると、という意味になります。ミクロの話は次章で取り上げますが、一国全体の金利のトレンドは、その経済全体における「もうけを産む力」ないし成長の可能性を反映するはず、ということになります。
もうけを産む力の源泉は、むろん、個別的なものです。
バーナード・マラマッドの「最後のモヒカン族」という小説に、イタリアに住むジュスキントというユダヤ人がフィデルマンというユダヤ系アメリカ人の旅行者からなんとか金を引き出そうという場面が出てきます。
ジュスキント 「わたしに2万リラ貸してください、それでわたし、婦人用のナイロン靴下を買う。売りさばいたら、そのお金は返す」
フィデルマン「ジュスキント、ぼくには投資するような資金はないよ」
ジュスキント「資金は取り戻せるよ、利息も付いて*」
*引用はバーナード・マラマッド『マラマッド短編集』(加島祥造訳、新潮文庫、1971年)に拠っています。
この場面でジュスキントは、「靴下に投資したもうけが利息を生む」とフィデルマンを説得しようとしています。「儲け」の大きさがここでの金利の原動力になります(しかし、フィデルマンはジュスキントの申し出を断り、金を貸しません。その理由は次の章で考えます)。
マクロ的にみると、もうけを産む力が生まれやすい環境は存在します。敗戦直後の日本のようにあらゆるものが不足し飛ぶように売れる、という「焼け跡経済」や、先進国の技術が輸入でき、追いつくための成長機会に溢れている高度成長期の新興国経済などでは、投資には高い見返りが見込めます。
当然、お金を借りてもうけたい、という人たちは数多くいます。そうした人たちが競り上げるので、金利は高くなります。この場合、他の用途でお金を借りるにしても、高い金利を払わざるを得ません。経済が多くの投資機会に恵まれ、高い潜在成長力を持っている場合、金利は経済全体として高くなります。
逆に、あらたな発展への道筋がなかなか見いだせない停滞期ないし成熟期の経済では、大きな儲けにつながるようなお金の使い道を見つけるのは困難です。この場合、金利は経済全体として低くなります。
中央銀行は金利を「なぜ」・「どのように」動かすのか
一国経済全体の金利という観点では、中央銀行の金融政策の存在は避けて通れません。金利がその経済の「もうけを産む力」ないし成長力を反映するはずだとすれば、金融政策で金利を動かすとされる中央銀行は、いったい、何をしているのでしょうか。以下では、① なんのために金利を動かすのか(金利を動かす目的)
② なぜ、金利を動かすのか(金利を動かす効果)
③ どうやって金利を動かすのか(金利を動かす方法)
の三つの点から説明したい、と思います。