ちくま新書

プロフェッショナルに徹しきれなかった日本の資本主義ーー停滞脱却のヒントとは?

賃金が上がらない、ハンコが無いと書類も回せない、停滞から30年も抜け出せない。日本は資本主義の落第生なのか? 長期停滞の原因は日本の「アマチュアな資本主義」であるとし、デジタル化、人材育成投資、新しい豊かさへのアプローチに停滞脱却の出口を模索する『投資で変わる日本経済』より「はじめに」を公開します。

 本書は、『生産性とは何か』に次ぐ2冊目の新書である。前著では「生産性」という概念をキーワードに、それを向上させるための様々な考え方を紹介した。生産性の向上のためには、企業レベルでも政策レベルでも様々な取り組みを必要とするが、本書で取り上げる「投資」または「資本」はその中心に位置している。その意味で、本書は前著の姉妹編と言える。

 経済は、大きく「消費」と「投資」の二つに分けることができる。

 このうち「消費」は、食料や衣料などのように短期で使い尽くすような支出を指し、その支出は、経済全体の大半を占めるため、短期的な経済の動きに大きな影響を与え得る。一方「投資」の方は、将来の消費のための財・サービスの提供に不可欠な生産要素への支出である。例えば、半導体製造機械や鉄道車両への支出は「投資」にあたる。この「投資」によって生み出される生産は、将来の所得の源泉となり、ここから将来の「消費」が行われる。このように「投資」は将来の経済社会のあり方に大きく影響する。例えば、ICT革命(情報通信革命)のときに積極的に投資をしなかったために、その後、この革命に対応する教育や社会システムが構築されず、ICTに関するリテラシーの低い社会が出来上がってしまうといったことを想像してもらえばよい。

 日本は、1990年代にバブルが崩壊して以来、この「投資」を積極的にしてこなかった。つまり企業も政府もこの国の未来を真剣に考えてこなかったのだ。今になって、「日本は世界に立ち遅れている」「日本は貧困化した」と嘆いているが、それは時代に合った果敢な「投資」をしてこなかったことの当然の帰結なのだ。

 なぜ日本で積極的な「投資」が行われてこなかったかについては、本書第2章で詳しく述べるが、一つ確かなのは、日本の経営者たちが言ってきた「長期的な視点からの経営」という言葉には根拠がなかったということだ。

 もし経営者が本当に「長期的な視点」を持ち、それを経営に反映した結果が今日の日本経済の姿だとすれば、それは彼らの大いなる見込み違いだったと言える。本書は、この見込み違いを、そもそも日本の経営者と労働者が、ともにプロフェッショナルに徹しきれなかったからだと結論付け、合理的な経済計算が優先されるべき「プロフェッショナル」な世界に、その場限りの言い訳を持ち込んでいる日本経済を「アマチュア資本主義」と名付けている。

 日本企業のもう一つの誤算は、「人材不足」である。これまで、日本の経営者は口癖のように「ヒト(労働者)を大事にする」と言い続けてきた。しかし現実を見てみると、非正規雇用者の比率が大きく増え、日本の労働者の働く意欲は低い。その上、賃金も上がらないので、世界的に見ても日本企業は魅力のない職場になってしまった。それを改善し、人材を引き付けるためにも積極的な「投資」は不可欠だ。

 本書は、このような「投資」の重要性を、これまでの日本経済の動きを追いながら解説していく。

 まず序章では、本書で扱う「投資」や、その「投資」が積み重なった「資本」について、できるだけわかりやすく解説する。前著の序文でも「生産性」という概念の定義について述べたが、日本では、きちんとした用語の使い方がある言葉について、自分勝手な解釈で自説を展開する人が多い。SNSが普及してからは一層その傾向が強まり、かなりの地位がある人たちでも、驚くほど稚拙な考え方を披露することがある。

 言葉の定義は、正確な議論の第一歩である。よく「言論の自由」と言われるが、「言論」の「論」は「論理」の「論」であり、言葉の正確な定義から生まれる正確な議論のない意見のばらまきは、公道にごみをまき散らすような行為だと、私は思う。そのような思いもあって、序章では、その後の議論の展開に必要な「投資」「資本」さらには「資本主義」という言葉について簡単な説明を試みている。

 続く第1章から第3章では、日本経済の転落の原因に投資不足があることを指摘している。第1章では、新型コロナウイルスの感染拡大に揺れた3年間の日本経済に焦点を当てている。西欧諸国に比べ、このウイルスによる死者は少なくて済んだが、それは日本の政策が優れていたからではなく、曖昧な行動抑制策に「我慢」して協力する国民の努力によるものでしかなかった。この事実は、バブル崩壊後の日本の経済的・技術的後退を象徴する出来事として記憶されるべきで、このままでは将来の感染に対してもまた無為無策が繰り返されるのではないかとの懸念を示している。

 第2章では、こうしたコロナ禍における日本の経済的・技術的後退が、バブル崩壊後のいわゆる「失われた30年」の結果であり、特に、将来への備えを考えてこなかった投資不足にその主因があることを示している。ここでは経済学の観点から、この投資不足を説明しているが、この30年以上にわたる投資不足には、合理性だけでは説明できないような構造的な問題が横たわっていると考えざるを得ない。

 続く第3章では、投資不足という問題について「アマチュア資本主義」「ムラ社会」といった言葉を利用して説明を試みている。この章は、他の章とは異なり、あまりデータを使わずに持論を展開している。ただ「投資」を中心とした日本の長期停滞が仮に構造的な問題だとしても、将来のことを考えれば、その停滞にただ納得して済ませるわけにはいかない。また長期間の停滞の中で、どのような「投資」が望ましいかも十分に議論されていない。

 第4章から第6章では、こうした日本の将来に不可欠な「投資」とは何かについて議論する。その一番手は「デジタル化」である。日本のデジタル化は遅れに遅れているが、これはそのまま済ませておいてよい問題ではない。我々はコロナ禍を経て、デジタル化が単に経済的収益性の観点だけではなく、国民の安全や安心を確保する手段としても重要であることを認識している。

 第4章では、このデジタル化に関して、日本社会の現状と、今後克服していかなくてはならない課題について述べている。デジタル化の推進のために、高度な人材の供給は不可欠である。すでにみたように、日本企業は表面上の掛け声とは裏腹に、専門教育の進展を重視せず、会社内での育成も不十分なままであった。

 第5章では、こうした日本における人材育成の状況をマクロ的なデータとアンケート調査から考察する。なお、この章では企業における職業訓練に関する叙述が中心だが、学校教育に関する人的資本経済については、『増補 学校と工場 ―― 二十世紀日本の人的資源』(猪木2016)を参照されたい。

 最後となる第6章では、もう少し広い視点から「投資」について考えてみたい。ただでさえ「投資」が少ないのに、それ以上「投資」の範囲を広げて実現できるのか、という批判は承知の上だ。しかし日本が単に利潤追求だけの「投資」をよしとしないのであれば、より社会に貢献する、または生活水準を向上させる投資があることを紹介しておくのも無駄ではないと考えた。このような考え方に基づき、ここでは私たちの生活水準に関わる自然環境や健康なども含む、社会に必要な「資本」を考察する。

 前著の最終章では、楽観的なシナリオと悲観的なシナリオを用意した。現在は前著執筆時(2018年)よりも日本経済の状況がより深刻になっている。不良債権についても生産性についても、実際の日本経済は、筆者の不吉な想像以上に悪い方向へと傾いてしまったことから、なかなか楽観的な見通しを描きにくいのだが、その中で第6章はできうる限り、これまでの日本経済の流れに沿った方向性を示したと考えていただいてよい。

 本書の執筆中であった2024年6月には、政府が2024年度の「骨太の方針」を発表している。これを読むと、本書と同様の危機意識がにじんでいる。もちろん政府の文書は、国民を突き放すような内容にはなっていないが、それを真に受けて政府が何とかしてくれるとは思わない方がよい。2010年代にあれほど派手に期待を持たせたアベノミクスも、今では円滑な経済政策の足かせとなっている。アベノミクスの教訓は、政府の経済政策には限界があるということだ。

 2008年に米リーマン・ブラザーズの破綻によって表面化した世界金融危機時の円高を機に、すでに日本の生産能力の多くが海外へ移転した。2024年2月の日本経済新聞「経済教室」にも書いたが、このままでは、日本からさらに有能な人材やカネが流出することになるだろう。政府頼りの社会主義的な政策は、短期的には心地よいかもしれないが、長期的には衰退を進めるだけだ。20世紀初めに「次の先進国」と期待をかけられたアルゼンチンと同じような末路を辿り、最終的には、チェーンソーを持った過激な自由主義者か、より国家主導の経済を主張するリーダーを抱かなければ国の再興が望めなくなるのだろうか。そこまでに至らないように願いながら、多くの人が危機感を持って、明日のために今日とは違うアイデアを実践してくれることを期待したい。

【目次より】
はじめに  
序 章 日本は資本主義の落第生なのか?  

Ⅰ 投資なき長期停滞  
第1章 なぜコロナ前を容易に超えられなかったのか?  
第2章 なぜ長期停滞から抜け出せなかったのか?  
第3章 なぜ「アマチュア資本主義」を続けるのか?  

Ⅱ 日本経済の選択肢  
第4章 デジタル化なくして前進なし  
第5章 人材投資の復権  
第6章 「アマチュア資本主義」2.0  

あとがき  
参考文献  

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