ちくま新書

管理職、人事職必読! VUCA時代のマネジメント、まずはここから

「リーダーシップを発揮するには、組織内でその根拠となる何らかの『権限』が必要だ」と考える人は多いだろう。本書で紹介するのは、そういった権限の有無や強弱によらず、参加する人すべてが発揮する新しいリーダーシップだ。個々人のキャリアアップに結びつく一方で、柔らかく強い組織づくりにもつながるその習得法、実践法を紹介する。

†そもそもリーダーシップとは?
 私はこれまで20 年近くリーダーシップ教育に携わってきました。その教育の中で主軸に置いているのが「権限によらないリーダーシップ」です。
 これは、ある集団において、そこで共有される目標達成に向けて、参加する一人ひとりが権限の有無・強弱に関係なく、それぞれの役割において他のメンバーに働きかけ、影響を与え、集団を動かしていく、というものです。
「リーダーシップって権限のある人が発揮するものなのでは?」と思う人が少なくないかもしれません。こうした考えは今の日本においてはもっともなことです。私たちの多くが、リーダーシップ」という言葉を使うときにイメージしているのは、「役職や権限など特定の力を持つ一握りの人が、それを根拠に指示や命令を発し、それによって集団を目標達成に向け引っ張っていくこと」だからです。
 つまり、「リーダーシップを発揮するには、何らかの『権限』が必要」とおおかたの人は考えているわけです。
 その前提からすると、私が教えている「権限によらないリーダーシップ」は「権限」の有無を根拠にしていないわけですから、「それをリーダーシップと呼ぶのだろうか?」という疑問は当然のことです。
 では、そもそも「リーダーシップ」とはどのようなものなのでしょうか。
 リーダーシップに関する研究は100年以上の歴史があり、その中でさまざまなリーダーシップのスタイルが定義されてきました。それらに共通するものを抽出するとすれば、「何らかの成果を生み出すために、他者に影響を与えること」というのが最大公約数的な定義といえるでしょう。
 この定義を見ると、私が教える権限によらないリーダーシップも、集団内において達成したい「目標」があり、それに向けて、メンバー同士がお互いに「影響を与えあう」のですから、リーダーシップの一形態だということがご理解いただけるでしょう。
 ただ、権限によらないリーダーシップにおいてリーダーシップを発揮する主体となるのは、「役職や権限など特定の力を持つ一握りの人」ではなく、「権限の有無・強弱に関係なく、参加する人すべて」です。この部分において一般的にイメージされるリーダーシップとは異なるといえます。

†20世紀型のリーダーシップが通用しなくなってきた
 ここまでお読みになってこう思われる人も多いかもしれません。
「権限の有無・強弱に関係なく、参加する人すべてがリーダーシップを発揮するなんてことは、可能なのだろうか?」
「船頭多くして、船、山に登る」ということわざがあります。これは、指図する人(船頭)が多くなれば、その集団が混乱し、当初の目的とは大幅にズレた方向に物事が進んでいってしまうことのたとえです。権限に関係なく誰もがリーダーシップを発揮できるようになると、下手すればこうした状況に陥る可能性もあります。
そして、多くの人がイメージするリーダーシップ、つまり、何らかの権限を持つ一握りの人が、その権限を根拠に指示・命令を出し、残りのメンバーを動かしていくというトップダウン型のリーダーシップは、まさにこうした事態を避けるために生み出され、主流となっていったともいえます。
 その意味では、その逆をいく権限によらないリーダーシップは、これまでの人間社会の歴史の逆を行っているように見えるかもしれません。しかし、実はその逆です。
 20世紀まではこうしたトップダウン型のリーダーシップが十分に機能し得ました(その意味で、これは「20世紀型」といえます)。ところが、21世紀に入って、もっと正確にいうならば1990年代ごろから、そうもいかなくなってきたのです。
 私がそのことに気づかされたのは、2005年に、立教大学経営学部でその翌年から開講することになっていた「ビジネス・リーダーシップ・プログラム」の準備をしているときでした。
 もともと金融論が専門だった私は、リーダーシップについては当時門外漢で、開講準備のために、大学からいただいた1年の間に、リーダーシップについて一から学んでいるところでした。
 そして、今も昔も科学的なリーダーシップ研究がもっとも盛んなところといえばアメリカです。その準備期間にアメリカにたびたび出張し、さまざまな研究者たちに会ってインタビューする中で、1990年代あたりから、「権限によらないリーダーシップ」がアメリカでのリーダーシップ研究のトレンドになっていることを知ったのです。
 このトレンドの大きな要因のひとつが、89年の冷戦終了以降、多くの人が予想もしなかったような激変が世界中で頻繁に起こるようになったことです。こうした状況はしばしばVUCAと表現されます。これは変動性(volatility)、不確実性(uncertainty)、複雑性(complexity)、曖昧性(ambiguity)の4つの言葉の頭文字を取った言葉で、文字通り変動が激しく、かつ不確実で複雑で、曖昧な状況を示す造語です。もともとはアメリカ空軍が用いていた軍事用語だといわれています。
 こうした予測不可能な時代に突入する中、主に世界でビジネスを展開するグローバル企業の間で、「これまでのトップダウン型のリーダーシップだけでは、現状の変化のスピードに対応できない」という危機感が強まっていきました。そこで注目されるようになったのが「権限によらないリーダーシップ」の考え方で、権限を持たない層のメンバーにもリーダーシップのスキル(具体的には、目標達成ために、他者に働きかけ、動かしていくスキル)を身につけさせることが急務になります。
 この流れを受けて、90年代には、グローバル企業からの要請と資金提供によって、アメリカの大学中心に「権限によらないリーダーシップ」という科目を開講する学校が爆発的に増えていきました。こうした動きはアメリカからイギリスを経て、ヨーロッパにも広がっていきます。

†日本企業も注目し始めた「権限によらないリーダーシップ」とは?
 私が2005年にアメリカで目の当たりにしたのはこうした状況でした。そして、欧米でのこうしたトレンドを知ってしまった以上、今さら日本で20世紀型のリーダーシップを教えるわけにはいきません。それに日本においても遅かれ早かれ、権限によらないリーダーシップがトレンドになることは目に見えています。
 そこで、大学側にもその旨をしっかりと伝え、06年開講の「ビジネス・リーダーシップ・プログラム」は、権限によらないリーダーシップを軸に構成することにしました。当時、新しいリーダーシップ教育プログラムを置く予定にしていた新設の経営学部学部長予定者・白石典義氏(故人)は、私の提案を聞いて驚いていました。しかし、ご自分の留学経験に照らして、「それが北米流かもしれん」と理解を示してくださいました。
 ただ、立教大学ではその方向で開講にまでこぎつけられたものの、外に目を向ければ、当時の日本でのリーダーシップの主流は20世紀型です。権限によらないリーダーシップについては、一部の学者が注目している程度でした。企業へ説明しに行っても、興味を示してくれるのは一部のコンサルタント会社や外資系企業くらいでした。大部分の日本企業が「権限によらないリーダーシップ? そんなものを導入したら組織が混乱するだけだ」と、まったく相手にしてくれませんでした。
 ところが10年代に入って状況が少しずつ変化し始めます。企業のリーダーシップ研修において、権限によらないリーダーシップが じわりじわりとトレンドになっていったのです。
 日本企業においてもグローバル化が加速度的に進み、凄まじいスピードで激変する世界の中で20世紀型のリーダーシップでは対応し切れないことが肌感覚で実感できるようになってきたのでしょう。その結果、アメリカやヨーロッパにおいてリーダーシップのトレンドとなっている権限によらないリーダーシップの実践を模索する企業が増えたのだと考えられます。
 私自身が日本企業の変化をリアルなものとして理解したのは、12年に出版された伊賀泰代さんの『採用基準』という著書への、企業の、とりわけ人事畑の人たちの反応を見たときです。
 この本には、「権限のある人もない人もみんなでリーダーシップを発揮していく」といった内容が書かれており、私たちが提唱している権限によらないリーダーシップの考え方とほぼ重なっていました。
 こうした内容の本が、日本企業の人事畑の人たちの間で売れていたのです。その事実を知り、日本の大企業の人事部の中にも権限のないリーダーシップを理解する素地が生まれてきつつあることを私は強く実感しました。
 それを証明するかのように、この頃になると、私が日本企業に権限によらないリーダーシップについて説明しに行った際の反応も、かなり前向きなものに変わっていました。
 そして、私がリーダーシップ教育に携わるようになって20年近く経つ現在、こうした流れはさらに強くなってきていると感じます。
 たとえば、24年度現在、大学内の単位取得を伴う正課として、リーダーシップ科目を開講しているのは、私が把握している限りでも30大学ほどあります。
 企業のリーダーシップ研修においても、「権限によらないリーダーシップ」のプログラムを採用するところが増えています。従来型の「権限者の心得としてのリーダーシップ」の研修に加えて、若い人にもリーダーシップを発揮してほしいといっている企業が増えているのです。

†すでに権限を持っている人からのニーズが増えてきたその理由
 さらにここ数年は、権限によらないリーダーシップについて、当初予想していなかった層からのニーズが高まっています。すでに権限を持ち部下を持つ人たちの中で、権限によらないリーダーシップのスキルを身につけたいという人が増えてきているのです。
 そのことに私が気づいたのは、2018年からWASEDA NEOで始めた社会人向けの「早稲田リーダーシップカレッジ」(旧称「21世紀のリーダーシップ」)という講座の受講生たちを見たときです。
 実は開講を企画した際、教職員側の想定した受講生は、「権限を持たない若手のビジネスパーソン」でした。彼ら・彼女らが、権限を持たない立場のまま、どのようにしてリーダーシップを発揮していったらいいのかを学びに来るのだろうと予想していたのです。
 ところが、いざ蓋を開けてみると、その予想はいい意味で裏切られました。受講生の約半数が、すでに権限も部下も持つ管理職の立場の人だったのです。この講座は現在、7年目を迎えていますが、この傾向は今もほぼ変わりません。
 そして、彼ら・彼女らに受講動機を聞いてみると、大半の人が、「職場の上司という立場上の権限を使って若い部下を動かそうとすると嫌われ、最小限の協力しか得られず、このままでは成果が上がらない」と言うのです。
 実際、彼らの部下の世代であるミレニアル世代(だいたい1981~95年ごろの間に生まれた世代)や、Z世代(だいたい96年以降に生まれた世代)は、誰からも強制されずに自己決定したいという思いが強く、それゆえに「権限」を振りかざされることを嫌う傾向が強いとされています。
 管理職の立場にいる受講生たちの多くから、「そうした傾向を持つ若い世代に、権限をなるべく使わずに動いてもらうにはどうすればいいのか? それを知りたくて、「権限によらないリーダーシップを学びにきた」という発言が数多く聞かれるのです。
 こうした状況を見るにつけ、権限を根拠にした20世紀型のリーダーシップは、今後ますます使いづらくなり、権限によらないリーダーシップが主流になっていくことが予想されます。

†具体的スキルである最小3要素とは?
 ただここで先述した疑問、「そんなこと可能なのだろうか?」が再び頭に浮かんでくるのではないでしょうか。すでに述べたように「船頭多くして、船、山に登る」のことわざにあるように、参加する誰しもがリーダーシップを発揮してしまえば、組織が混乱するだけなのではないだろうか、と。
 答えは「ノー」です。参加するメンバーそれぞれがリーダーシップのスキルを身につけていれば、そうした事態に陥るのを避けることができます。
 そのスキルとは、大きく分けて「目標設定・共有」「率先垂範」「相互支援」の3つです。具体的には、その集団で達成する目標を共有し(目標設定・共有)、権限によらないリーダーシップのため誰かに命令することはできないので、まず自分でやってみせて(率先垂範)、さらにまわりに動きづらそうにしている人がいれば支援し、かつ自分からも「協力してほしい」と支援をお願いする(相互支援)、ということを日常的に行っていくのです。
 これら「目標設定・共有」「率先垂範」「相互支援」の3つが過不足なく機能している集団のおいては、「船頭多くして、船、山に登る」という事態には陥りにくくなります。
 そこで、私が大学生や社会人のみなさんに教えているのは、この3つのスキルです。これを私は「リーダーシップ最小3要素」と呼んでいるのですが、これらは練習次第でほとんどの人が相当程度まで身につけることができます。
 私たちの授業ではこれらのスキルを、主にグループワークとそれに付随するフィードバックを通じて受講生たちに身につけてもらいますが、それをより実践的に、日々の仕事の中で習得していくノウハウを解説するのが本書の目的です。
 第1章では「権限によらないリーダーシップ」がなぜ必要になったのかについて、5つの要因から解説していきます。
 第2章では、「権限によらないリーダーシップ」が導入されることで組織がどう変わっていくのか、実際に事例を紹介しながら述べていきます。
 第3章では、「権限によらないリーダーシップ」の肝である最小3要素について解説します。
 第4章では、ご自分の職場において「権限によらないリーダーシップ」を実践する際のノウハウと注意点をお伝えします。
 最後の第5章は、実際に権限を持っている管理職の人たち向けです。権限をできるだけ使わずに若い部下たちに働きかける方法のほか、部下たちのリーダーシップ開発のためのノウハウも紹介します。

†なぜ「権限によらないリーダーシップ」という言葉を使うのか?
 近年、注目されているリーダーシップ理論に「シェアド・リーダーシップ」があります。これは、その集団において指示・命令を出す権限がある人(マネジャーなど)のみがリーダーシップを発揮するのではなく、その集団に属する誰もがリーダーシップを発揮いていく、という考え方です。つまり、その集団のメンバーでリーダーシップをシェア(共有)していくわけです。
 本書でこれから解説していく「権限によらないリーダーシップ」は、「権限がなくてもリーダーシップを発揮してもいいよ」ということですから、結果としてこのシェアド・リーダーシップになっていきます。だから、権限によらない「リーダーシップ=シェアド・リーダーシップ」ではあるのですが、あえて私は「権限によらないリーダーシップ」という言葉を使っています。
 それには、「権限を持っていない自分でも、リーダーシップを発揮していいのだ」と、とくに若い人たちの頭にしっかり刻み込んでもらいたいという意図があるからです。実際、大学で教えていても、「私にはリーダーシップを取ってみんなを引っ張っていくなんてことはできません」という学生によく出会います。これは、結局のところ、20世紀型のトップダウンのリーダーシップ観に縛られているからです。しかし、現在、リーダーシップのあり方は多様化してきています。権限の有無に関係なくリーダーシップを発揮することが求められる場面も多くなってきていますし、また、リーダーシップを実践しながら誰でもそのスキルを磨いていくことができます。
 それを「リーダーシップは苦手」と言う人たちに、あえて伝えたくて「権限によらないリーダーシップ」という言葉を使っています。

†コミュニケーション力やフォロワーシップとの違い
 ちなみに、私が「権限によらないリーダーシップ」の言葉を使い始めて19年経ちますが、その間、この言葉が本当に適切なのかというご指摘を何度かいただきました。
 中でも多いのが、「『リーダーシップ』とはそもそも権限や役職に紐づくものなので、『権限によらないリーダーシップ』は、『権限・役職によらない影響力』であり『リーダーシップ』という言葉を使うのは適切ではないのでは?」という指摘です。
 たしかに20世紀型のリーダーシップにどっぷりつかっている場合、こうした指摘も「アリ」でしょう。そこでしばしば提案されるのが、「コミュニケーション力を考えたらどうなのか?」です。
 たしかに、権限によらないリーダーシップの大半の部分はコミュニケーション力でカバーされるように見えます。実際、コミュニケーションの研究者によれば「真のコミュニケーション力とは『相手との関係性を悪化させることなく、反対意見を言える力』である」とのことで、この定義なら「権限によらないリーダーシップ」と極めて近いといえます。
 ただ、「コミュニケーション力」といったとき、日本ではそればビジネス用語として使われる際、別の意味が混入してきます。「接待力」です。
 実際、「昭和」タイプの上司が部下に要求する「コミュニケーション力」には、「私が本当に言いたいことを察し、先回りしてくれる気配り」が入っていたりします。そのため、日本において「コミュニケーション力」という言葉をもって「権限によらないリーダーシップ」の代わりにするのは、大変心もとないというのが正直な思いです。
 また、他の提案として「フォロワーシップとしたらどうか?」というのもあります。つまり、「『リーダーシップ』は権限者のものであるから、『権限のない人』はリーダーシップではなく『フォロワーシップ』を発揮する、というのでよいのでは?」というのです。
 たしかに、「いいフォロワーシップ」とは権限者に対して、権限の有無に関係なく、言いづらいことをもタイムリーに伝えることです。そのため、「自分の権限の及ぶ範囲についてはリーダーシップを、及ばない範囲についてはフォロワーシップを発揮する」という具合に使い分けていくのであれば、権限によらないリーダーシップの目指すところと近いといえば近いでしょう。
 ただ、いったんフォロワーシップという言葉が使われはじめると、中には「私は常時フォロワーシップがいい」と決め込み、一切リーダーシップを発揮せず、指示待ち専門になってしまう人が出てくる可能性があります(とりわけ日本ではそのタイプの人が続出するリスクがあります)。
 これでは、権限によらないリーダーシップが目指す、「集団内のなるべく多くの人がリーダーシップを発揮していく」状態から大きくズレてしまいます。そうならないためにも、(とくに日本では)フォロワーシップも含めてリーダーシップと呼んだほうがいいと私は考えています。
 私が「権限によらないリーダーシップ」という言葉にこだわり、使い続けているのには、こうした理由もあるのです。

†「権限によらないリーダーシップ」の実践はライフスキルになり得る
 これまで、大学生については数千人、社会人については数百人に対して、権限によらないリーダーシップのスキルを指導してきました。
 彼らからよくいただく感想に、「世の中の見方が変わった」というのがあります。中には、「ものすごく人間として鍛えられた」という人もいました。社会人向けの「リーダーシップカレッジ」の修了生の中には、「あそこに行くと、別人のようになって帰ってくるよ」と言って友人知人に勧めてくれた人もいたと聞いたときには、私自身、ビックリしたものです。
 たしかに、権限によらないリーダーシップを実践していくためには、フィードバック力や自己理解力、他者理解力、目標設定力、問題解決力などを発揮することが求められます。そのため、リーダーシップの実践を通して、そうしたスキルを磨いていくことができます。
 その結果、ある受講生が言うには、「自分の手足が伸び、声が遠くに届いていくかのように、段々と世代を超えてまわりを巻き込めるようになった」そうです。
 たった一人では実現できなかったことも、まわりを巻き込んでいくことで実現の可能性が高まります。権限によらないリーダーシップのスキルが上がっていくに従い、これまでは「無理だ」と諦めていたことも、「まわりを巻き込んでいければ、決して実現不可能ではない」という信念を持てるようになります。
 こうした言葉を、何人ものこれまでの受講生からもらいました。
 こうした言葉を聞くにつけ、権限によらないリーダーシップは集団を強化していくだけでなく、個人に対してはライフスキルを向上させる力も持っているのだと実感しています。
 昨今は「〇〇ガチャ」という言葉が若者を中心によく使われています。親にしろ、上司にしろ、自分ではその「環境」を選ぶことができないにもかかわらず、それによって明暗が分かれるという意味です。要するに「人生は結局、運だ」ということでしょうか。
 しかし、そうした「運任せ」の発想はとてももったいないと思います。そして、権限によらないリーダーシップのスキルを使っていけば、ガチャでいったら「あたり」という環境を、仲間たちと一緒につくっていくことが不可能ではないのです。
 本書でこれから述べていくスキルやノウハウが、みなさんにとって、そういう形でお役に立てれば幸甚です。
 

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