単行本

人を愛するとはどういうことなのか

「愛する彼女がいなくなったこの世界に、もはや僕の生きる意味はない。」 伴侶を失い精神的に打撃を被った人間に対し、かつての伴侶と同じ記憶や内面を持った「代替伴侶」が貸与される近未来社会。白石一文が描いた最新作は、衝撃的な設定と展開で愛の本質をあらためて問い直します。本書を、書店員であり、同時に書評を数多く手がける高頭佐和子氏が読み解きます。
 生涯を共にするはずだった結婚相手が、突然に離婚を求めてくる。他の人との間に子どもができたという。大変に辛い出来事だ。相手を失いたくない気持ちと、裏切られたことに対する憎しみの間で心が揺れる。もし、自分の元を去った配偶者の代わりに、同じ記憶や内面を持ったアンドロイドを無償でレンタルできる制度があるとしたらどうするだろうか。永遠にではなく十年の期限付きだが、自分を裏切ることは絶対にないようにプログラムされているという。

 別れた相手のコピーロボットみたいな奴ってこと? そんなのいらないなあ、と即座に思ってしまった。顔を見るたびに嫌な記憶が再現されそうだし、人生もややこしくなりそうだ。新しい選択をするチャンスだって失ってしまうのではないか。そんな制度を利用したいという考えは理解しがたいという気持ちで読み始めたのだが、この数奇で奥深い愛の物語に、私はすぐ引き込まれてしまった。

 物語の舞台は、「地球人口爆発宣言」が行われ、持てる子どもの数は一人と決められている世界である。体外受精などは認められておらず、どちらかが原因で子どもが持てなかったり、夫や妻以外との間に子どもができれば、離婚を拒否することはできなくなっていた。別れを告げられてしまった方の心を癒すためにできたのが「代替伴侶」という制度なのだ。

 建築デザイナーの隼人は、広告代理店に勤めるゆとりと結婚して五年以上経つが、子どもができなかった。原因は双方にあったが、隼人の状態の方が深刻だ。治療にも取り組んでいたのだが、ある日ゆとりから別の相手との間に子どもができたと告げられる。離婚を求められて深く傷ついた隼人は、「代替伴侶」の申請を行うことにした。

 二人のゆとりの生活を分離させるため、隼人は岡山県に引っ越しをする。自身が代替伴侶であることと、不妊の原因が隼人にあることは知らないが、それ以外は元のゆとりと同じ記憶や性質を持つ代替伴侶のおかげで、隼人の心の傷は癒やされていく。ゆとり(アンドロイド)も幸福そうで、親しくなった町長のおかげで仕事も順調だったのだが、穏やかな暮らしを隼人が終わらせてしまう。関係を持った町長の姪・彩里が妊娠したのだ。生まれる子どものため、隼人は彩里との再婚を決意する。

 ここまででも十分複雑であるが、事態はさらに混乱する。離婚を申し出てきた隼人の仕打ちにゆとり(アンドロイド)は怒り、代替伴侶を申請する。アンドロイドであっても存在している間は人間と同じ権利を持つため、その申請は認められる。温泉町には、自分が代替伴侶であることを知らないが、相手が代替伴侶であることは知っている隼人とゆとりが、仲睦まじく暮らしている。東京にいるゆとりは広告代理店に勤め続けていて、再婚した夫と娘と共に生活をしている。隼人は東京に戻って新しい家族を持つ。この奇妙な状況に、隼人とゆとりは戸惑う。代替伴侶としての自分が存在することに対する居心地の悪さは次第に変化し、温泉町で暮らす自分たちの「ツイン」に、特別な思いを抱くようになる。時は過ぎ、代替伴侶たちの期限が切れる時期が近づいていき、物語は予想外の方向へと進んでいく。

 運命的な出会いにより結ばれたはずの二人だが、子どもを持ちたいという気持ちを優先し、互いから離れてしまった。生まれてきた子どもを大切に思う気持ちに迷いはない。だが、本当に人生を共に歩むべき相手は誰だったのか。隼人とゆとりは、もう一人の自分というべき代替伴侶の存在を通して、「真実」と向き合っていく。

 彼らの迷いや決意は、小説を読んでいる私にも真っ直ぐ向けられる。人を愛するとはどういうことなのか。真剣に考えたのは何年ぶりだろう。運命の愛などというものは、あまり信じることなく生きてきたはずだ。それなのに、心の奥で凍っていた思いが、静かに蠢いているように感じている。なぜなのだろうかと、ずっと考えている。

 

2024年11月1日更新

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