この連載でも、「人生をうまくいかせるためには人に好かれることが大事」と再三言ってきた。人が集まると楽しいし、助けてもらえるしいい情報も集まってくる。孤高スタイルで生きていけるのは選ばれし才を持つ人間だけだし、そんな人でも人が周りにいたほうが人生は豊かになる。
で、どういう自分でいれば人が集まってくれるかについてもいろいろ書いてきたけど、まだみんなに伝えていない要素がある。それが、「おもしろい人になること」だ。
おもしろいって、それだけでめちゃめちゃ価値があるの。学校でも会社でも地域でも、おもしろい人ってとにかく好かれるんだよね。みんなの周りもそうじゃない?

おもしろいには「fun」と「interesting」がある。笑いが浮かぶ系おもしろさと、興味深い系おもしろさ。
前者のfunにはいくつか種類があって、ぼくが推奨するのは(とくに非関西人に)「ユーモラスであること」だ。ボケツッコミの笑いじゃなくて、ちょっとクスっと笑ってしまうような笑い。
「笑い」と聞くと、ボケアンドツッコミの関西風の笑いを思い浮かべるかもしれない。でも、あれはもはや文化で、生まれ育つ中で吸収してないと習得するのはむずかしい。ヘタすると痛々しくなる。少なくとも、関東平野で育ったぼくにはかなり厳しい。
リアクション芸はリアクション芸で、あまり実用的じゃない。わーわー叫んだりはしゃいだりするコミュニケーションが通用する場所や年代は限られてるし、使いどころを間違っちゃいけないよとYouTubeが好きな小学生の息子にも常々言っている。
一方、ユーモアは生まれ育った場所も年齢も問わない。ぼくみたいな非お笑いエリートおじさんをはじめ、あまねく人間が身につけるべきはユーモアだ。
ユーモアとは、相手を楽しませようとする自分の在り方だ。ユーモアって関係性にもよるから事例の紹介がむずかしいんだけど、たとえばうちの場合、子どもに何か質問されたり調べものが発生したら、即ChatGPTに聞くのね。発電の種類を聞かれたらまずAIに頼って、へえ、水力と火力と原子力があるんだねって感じに教えてもらう。
そこで「勉強になったね」で終わらせず、「ハムスター電力もあるんだよ」と言うのがぼくが大事にしている親のユーモア。「じつは、ハムスターがカラカラ車輪を回すときにも電力を起こしてくれてるんだよ」って言うの。そしたら子どもは「えー、またウソ言ってるでしょ」って笑う。

この「バカになる」ってAIにはできないんだよね、いまのところ。こういうのを、おとな同士でもやっていく。ちょっとだけバカなことを言って相手を楽しませたりゆるませたりして、「あの人がいるとニヤっとしちゃうよね」「空気がよくなるよね」みたいなキャラクターになる。これが、ぼくの考える「おもしろい人」だ。
数年前、お笑いの大会がきっかけで「傷つけない笑い」って言葉が流行ったことがあったけど、ぼくが好きなナイツやサンドウィッチマンもまさに「だれも不幸にしない笑い」で、ほぼユーモアの産物だとおもっている。だれかを執拗にいじらないからハラハラしないし、平場のトークでもイヤな気持ちにならずに笑わせてくれる。
もちろん本職の芸人さんのマネなんてできないけど(あの技術は国宝級だとおもう)、まずは自分がユーモアを感じるものにたくさん触れてみるといいよ。たくさん吸収することで、だんだん自分の思考回路にも染みこんでいくから。こんなに楽しい勉強、ないでしょ。
で、ぼくなりに「勉強」した結果なんだけど、ユーモアっていうのは知的センスで、それをかみ砕くと表現力で、それを担保するのは語彙だ。リアクションでもツッコミでもなく、言葉選びとそれを出すタイミングがおもしろさを作る。
ここで必要な語彙力は文豪作品を読んだり国語辞書を端からインプットしていっても身につかない。やっぱり、実践の中にこそ学びがある。ユーモアのあるコンテンツに触れたりユーモラスな人と話して語彙をいただくのがいちばんてっとり早いとおもう。
言葉は、怖いくらい周りからうつる。友だちの語彙、YouTubeの語彙、民放バラエティ番組の語彙、関西お笑いの語彙、関東お笑いの語彙……。触れた言葉に無意識にアジャストしていっちゃう。だから自分の言葉はいまどこに影響を受けてるんだろうって考えるクセをつけるといいよ。

あと、ひとりでできることとしては、「えぐい」系ワードをいちいち解体していこう。「うざい」「きもい」「やばい」とかね。
たとえばスポーツのスーパープレーを見て「えぐ!」と言っちゃったら、「あの体勢からあの球を投げるなんてありえない」とか、えぐさの正体を言葉にする。まずい食べ物を口に入れて「やば」って言っちゃったら、どうやばいのかをできるかぎり説明する。リアクション芸から話芸に持っていくの。
もちろん、群れの中にいるときに「えぐ」を避けると浮いちゃうかもしれないから、口では「えぐ」って言っておいて頭の中で「具体的にどういうことか」を考えよう。
異なるコミュニティの人と話すときには、インスタントな共感よりユーモアが大事だったりする。社会に出ると「コミュニティ外」のコミュニケーションがぐんと増えるわけで、ここをサボらずに力をつけていくことをおすすめします。

で、「おもしろい」の2つめ「interesting」について。これはもう、知識量と言っていいとおもう。
たとえば「虫には心があるのか」みたいな話をキラキラした目でしてくる人がいたら、めちゃめちゃおもしろいでしょ。そのテーマが風力発電であれ災害時の備えであれ、なにかに詳しい人に話を聞くとわくわくする。
あと、雑談中に「どうして○○なんだろう」って疑問をなんとなく口にしたとき、「あ、それはね……」ってぱっと答えてくれると「なるほど!」って盛り上がる。どんな話題にも精通してる人ってときどきいて、その引き出しの多さには毎回舌を巻くし、決まってトークもおもしろい。話してると時間があっという間に過ぎていく「おもしろい人」だ。
だからinteresting系のおもしろい人になりたかったら、勉強するしかないよ。いろんなことに興味を持って、インプットを重ねる。幅広い知識を持っていれば相手の話にも対応できて、お互いうれしい時間になるはずだ。
そういう意味で、Googleがひとりの人間だったらこれほどおもしろい人はいないなっておもう。なんでも知ってるんだもん。Chat GPTも、どんなことでも教えてくれるし(ときどき間違うけど)おもしろいヤツだよね。
ただ、GoogleやAIを使いこなすためには今のところ人間側の「疑問を持つ力」が不可欠。こっちから問いを投げかけないと黙ったまんまでしょ。
つまり、「どうして?」と思う好奇心こそが知識を呼んでくれるの。子どもみたいに「なんで? なんで?」と思って生きると自然と勉強したいことが増えていくし、知っていることも増えていく。そうして得た知識は何かの役に立つわけじゃなくても、まちがいなく「話してておもしろい人」の素になるはずだ。
ユーモアと知識。両方とも一朝一夕とはいかないんだけど、この2つのかけ算で「おもしろい人」に近づいていこう。