すっかりレガシーになったiPhoneの電話機能のことなんて、もう何年も気にしていなかった。それが色づいたのは今年の三月。会社のトイレで手を洗ったあと、ほとんど無意識のルーティンでポケットから取り出したiPhoneのホーム画面に見たことのない番号から不在着信が入っていた。番号を検索すると「筑摩書房」の文字が浮上して、ほう……? と一瞬なんのことかわからない。程なくしてもしや文学賞なのでは、と予測が浮かんできた。筑摩書房ってなんの賞だっけ、調べることよりも気持ちが急いて、そのまま会社の廊下で折り返した。スパム以外の着信は本当に久しぶりだった。
電話に出た人に「先ほどお電話いただいていたみたいで」と伝えると、一拍置いた後に「もしかして市街地さんですか?」と返ってきた。市街地さんって、誰だよ! ペンネームの話をするのが恥ずかしくて、付けてから約半年間、誰にも言っていなかった。自分で唱えたことさえなかった。だからその名前が音になったのはそれが初めてで、そのときからぼくの中には市街地ギャオが居着くようになった。太宰治賞の最終選考に残ったことを告げられて、当然その可能性は意識していたものの、「やっぱりね」なんて俯瞰できるはずもなく、ちゃんと大きな声が出た。会社の廊下は一階から最上階まで吹き抜けている構造で、よく声が通ったはずだ。多分電話口の人は突然のデカ声を浴びせられて困っていたと思う。その人が、ぼくの人生初めての担当編集者になった。
そこからは目まぐるしく色んなことが流れていった。担当編集さんとの打ち合わせ、最終選考に向けた小説の微修正、近影写真の撮影、プロフィールの作成、その他の細々とした確認事項。すべてが一段落してから最終選考まで一ヶ月以上あったから、過去の受賞作や受賞者のその後の作品をひたすら読んだ。どれも面白かったし、それに面白さ以上に「何か」があった。自分の力では言語化できない「何か」。担当編集さんは面白いと言ってくれたけど、本当に自分の小説は面白いのだろうか。そして、それ以上に「何か」があるのだろうか。読めば読むほど自分の小説が場違いな存在に思えてきて、それでも先輩方の小説は面白いし、何かしていないと落ち着かないし、読むのは止められなかった。だから気持ちは沈む一方だった。
最終選考の二日前には夢に大谷翔平さんが出てきて、「お前の小説は太宰治賞の選考史上最低の作品だ!」と突きつけられた。なぜ選考委員の先生方ではなく大谷さんだったのかは当然わからない。しかもこんなヒール役を担わせてしまって、なんだか申し訳ない。だけど大谷さんの叱責の手触りは妙に生々しかった。目覚めた瞬間に「やっぱりな」と思い、その諦念とはうらはらにひどく落ち込んだまま最終選考日を迎えた。
このくらいに選考結果の連絡がいきそうです、と伝えられていた時刻が迫るにつれ、はいはいもう終わり! と言い聞かせていたのにそれでも心臓はスラッシュメタルみたいなBPMで早鐘を打った。担当編集さんから電話が来た瞬間に取り乱して、ここでは書けない何事かを叫んでいた。担当編集さんは伸びやかに「獲りました〜」と何度も伝えてくれていたのに、脳が処理しきれなかった。その日は朝まで会社の人たちと飲んで、意識の半分が眠った状態で自宅の便器を抱きしめながら、その冷たさで覚醒したもう半分の意識が「受賞したんだな」とただそれだけを思った。便座に頬擦りした姿勢でXのアカウントを作った。最初に出てくるパズル(この中から自動車をすべて選びなさい、みたいなやつ)に苦戦しながら。昼前に目覚めると色んな人が祝ってくれていて、「まじなんだ」とまたそれだけを思った。
いまでもその感覚は拭えない。受賞してからは当然、それまで以上に色んなことが起こった。三十歳を過ぎて、もう自分の人生に想像のできないことなんてほとんど起こらないんだろうなと思っていたのに。だから心に「まじなんだ」をくくりつけていないと、何かが起こるたびに衝撃で自分が保てなくなるような気がしている。もうすぐ単行本が出る。嬉しさと同じ分だけ、「まじなんだ」という冷静な心を大事にしたまま、衝撃に吹き飛ばされないように立っていようと思う。