資本主義の〈その先〉に

第12回 資本主義的主体 part1
1 負債へと差し向けられた存在

イギリスの労働者

 こうした展望にとってヒントになる事実を以下に記しておこう。
 近代的な資本主義がいつどこで始まったかを確定することは難しい。学者によってこの点についての見解は大きく相違する。だが、すべての専門家が一致して認めていることもある。本格的な産業資本主義の端緒となった産業革命が、イギリスに始まったということが、それである。イギリスの産業革命は、18世紀の終わり頃(1780年)に始まり、半世紀ほど、つまり19世紀の半ばまで続いた。
 本格的な資本主義にイギリスが最も早く突入したとすると、マルクス的な見解をもつ者は、こう考えたくなる。当時のイギリスの労働者は、厳しく搾取され、低賃金に喘いでいたのだろう、と。他の地域の労働者や農民よりも、惨めで貧しい生活を送っていたに違いない、と。実際、マルクスは、『資本論』の多くの頁を使って、19世紀のイギリスの工場の労働条件がいかに過酷で劣悪だったかを、具体的に論じている(4)
 マルクスが引用し、紹介していることは、もちろん事実であろう。しかし、それでも、次のこともまた事実なのだ。当時のイギリスの労働者の賃金は、世界のどこの国よりも高かったのである
 たとえば、イギリスの産業革命によって、インドの繊維産業が壊滅的な打撃を受けたことは、どんな教科書にも書いてある。イギリスの繊維産業を勝利に導いた要因が、イギリスの労働者の賃金の低さではなかったことは確かである。当時、インドの賃金は、イギリスの五分の一か六分の一だったのだから。
 イギリス人の賃金は、インドと比べて高いだけではない。ヨーロッパの他の諸国、ヨーロッパ大陸の諸国と比べても、イギリス人の賃金は高かったのだ。産業革命が始まる前の段階から、つまり18世紀の中頃に、すでにイギリスの賃金や生活水準の高さは目立っていた。たとえば、18世紀の半ばにイギリスを旅行したフランスのル・ブラン神父は、イギリスの農民の生活が贅沢なことに驚き、そのことを故郷に宛てた手紙に記しているという。下男でさえも、まずお茶を飲んでから仕事を始める、と。当時、お茶は、非常に高価な飲み物だった。逆に、イギリス人の方は、フランスの農民の貧しさに驚愕している。1754年に、あるイギリス人が書いた、フランスに関する論文には、次のような趣旨のことが書かれている。フランスの農民は、糧食や品々もろくに手に入らないので、身体の衰えが早く、40歳にもならないうちに老衰の徴候を示す、と。あるいは、1778年にスペインの大使は、ロンドンの市場を見て、ここで売られる肉の量はスペインが1年で消費する肉の量よりも多い、とびっくりしている(5)
 今日でも、われわれは、高賃金は、市場経済での競争にとって最大の障碍である、と考えている。しかし、18〜19世紀にかけて、イギリスの労働者や農民の所得は、ヨーロッパの他の諸国よりもずっと高かった。それでも、このとき、イギリスは圧倒的な勝利者だったのだ。
 どうして、当時、イギリスの労働者や農民の賃金・所得がずば抜けて高かったのか(6)。このことは、資本主義的な搾取の存在という事実とどのような関係にあるのか。

(1)フリードリヒ・ニーチェ「道徳の系譜」『ニーチェ全集第11巻』、信太正三訳、ちくま学芸文庫、1993年(原著1887年)。
(2)すぐに気づくだろうが、A1≠A2になるのは、Bに二重性があるからである。一方では、BはAの代理人である(B=A)。他方では、BはまさにB自身であり、Aではない(A≠B)。A2はBの後者の側面を代理する。<
(3)2005年12月にアルゼンチンとIMFの間で、とても奇妙なことが起きた。アルゼンチンは、IMFからの借金を、期日前に全額返済する、と決定した (そんなことが可能だったのは、べネズエラがアルゼンチンを財政的に支援したからである)。となれば、債権者であるIMFは、大喜びすべきところではないか。ところが、IMFの幹部は、これを少しも喜ばなかった。逆に、これによって、アルゼンチンは、緊縮財政を放棄し、放漫な出費を始めるのではないか、という深い懸念を表明したのだ。IMFのこの反応が示唆していることは、どんなに非難されていたとしても、ほんとうは負債がなくなってはならない、ということである。ギリシャについても同様である。誰も、ギリシャの負債がほんとうに返済されるとは思ってはいない。ただ、ギリシャは、負債に見合うだけの罪の意識をもっていればよいのである。
(4)たとえば、マルクスは、1860年1月17日の『デイリー・テレグラフ』に掲載された事例を引用している。「州治安判事ブロートン氏は……市の住民のうちレース製造に従事する部分では、他の文明社会には例がないほど苦悩と窮乏とが支配的である、と明言した。……朝の2時、3時、4時ごろに9歳から10歳の子どもたちが彼らのきたないベッドから引き離されて、ただ露命をつなぐだけのために夜の10時、11時、12時まで労働を強制され、その間に彼らの手足はやせ衰え、身体はしなび、顔つきは鈍くなり、彼らの人間性はまったく石のような無感覚状態に硬化して、見るも無惨なありさまである」。
(5)ウルリケ・ヘルマン『資本の世界史』猪股和夫訳、太田出版、2015年、40-41頁。
(6)これは産業革命の結果ではない。前の段落の引用が示しているように、産業革命が本格化する直前においてすでに、イギリスの労働者の豊かさはずば抜けているからだ。

関連書籍