ちくまプリマー新書

言葉のユニバーサルデザインとしての「やさしい日本語」
『やさしい日本語ってなんだろう』より本文の一部を公開!

お役所言葉、時候の挨拶、冗長な説明…日本語表現ってむずかしい。日本語教師である著者の視点で、外国人だけでなく高齢者や子どもなど誰にでもわかりやすい「やさしい日本語」を考える『やさしい日本語ってなんだろう』より本文の一部を公開します。

日本語教師というお仕事

 筆者は日本語教師である。外国人に日本語を教えること、日本語教師を養成することなどが本業だ。日本語教師は日本で外国人と触れ合う機会が最も多い仕事の一つである。2024年には国家資格化されるので、そういったニュースでこの仕事の存在を知った人が読者の中にもおられるはず。

 我々日本語教師は、意思疎通のための引き出しが多い(と思っている)。そのスキルの一つが「やさしい日本語」である。筆者自身、多くの外国人とコミュニケーションをとりながら仕事をしているが、ほとんどは日本語を使っている。体験として日本語の伝達効率を知っているので、ある基準に達するまでは日本語でのやりとりを諦めない。ところが一般には、接触場面で日本語を使って話しかけても、相手が「ん?」というわからない対応をした瞬間、「あ、この人日本語がわからない」と判断してしまう人もいるだろう。我々日本語教師は、そこでひるまない。言い方やスピードを変えて、いろいろ言ってみる。相手が日本語話者じゃないことに気づいてからも、3ターンくらいは日本語でチャレンジする。

コンビニはわかりますか?

ん?

こんびに です。

わかりません。

そこで、水やサンドイッチを買います。

はあ。

ローソン、ファミリーマート、セブンイレブン……

ああ、わかります。

 こんな感じである。もちろん、最後まで意思疎通ができないこともある。相手の日本語能力を見極めるのも「やさしい日本語」の大事な機能である。ダメならスマホの通訳アプリに切り替えるまでのこと。

 日本語教師という仕事を広く世間に広めた書籍に、『日本人の知らない日本語』がある。2009年に出版されたものだが、いまだにこれを読んで日本語教師を目指したという学生が入学してくる。

 この書籍の3巻に、とある学生が病気になり救急車を呼ぶシーンがある。救急隊員と学生との会話の間に日本語教師が助けに入ることになる。救急隊員はちょっと緊張していたのだが、先生が来てくれたことで安心する。そして……

救急隊員:先生、症状を聞いて下さい。

日本語教師:ハイ‼ どこが痛いですか?

学生:お……お腹なかが……痛いです。

救急隊員:日本語かよーッ

 こういうのを日日通訳というが、日本語教師の業務としてはよくある話だ。学生と毎日いっしょに勉強をしていると、どういう言い方なら学生が理解できるかわかるようになる。その言い方のコツがわからない人は、つい伝わらない表現を使ってしまう。そこで、日本語教師が間に入ることになる。

 我々は余計な部分をざっくり落とすこともあるが、必要な情報を加えることもある。日本語教師は日本語の授業を通して、学生の頭の中の知識を想定できるため、過不足もわかるようになる。まさに、接触場面における仲介活動(日本人と外国人が意思疎通を図る場面でメッセージをうまく伝えようとすること。書籍中には詳しい説明があります)のプロなのだ。

 「やさしい日本語」が要らないときもある。外国人を前にして、ゆっくりとわかりやすく話しかけたとき、相手がノーマルスピードの日本語で返してきたらどうすべきだろうか。そのときは、さっと普通の日本語にスイッチすればよい。これも仲介活動の能力であると言える。世の中、タレントのデーブ・スペクター氏や文学者のロバート・キャンベル氏、韓国のアイドルグループ「少女時代」のスヨン氏のような日本語話者がゴロゴロとおられる。そういう人に「やさしい日本語」を使うのはかえって失礼になってしまうのだが、さじ加減が最初はなかなか難しい。

「やさしい日本語」は誰のため?

 本書では便宜上外国人を設定して「やさしい日本語」を論じていくが、「やさしい日本語」は、高齢者、知的障害のある人など、多くの人に対応できる。こういった対象者別のガイドライン的な書籍を読んでいると、内容が非常に似ていることに気づく。短く区切って話しましょう。難しい漢語はやめましょう。尊敬語・謙譲語は使わずにデスマス体(「食べます、きれいです」のような形)で話しましょう。などなど、まさに「やさしい日本語」と同じである。これらはすべて日本語を相手に合わせて調整していく仲介活動を行っている点で共通している。

 筆者の隣の家によくヘルパーさんがいらっしゃる。窓を開けていると、声が聞こえてくるが、本当にきれいな日本語を話されている。「ここで座ります」「立ってください」などなど、そのまま外国人に話してもわかりやすいものだ。外国人対応と少し異なるのは、声が大きい点くらいである。外国人には大きな声を出さなくても伝わる。そのような微調整は必要だが、根本的な理屈は同じである。「やさしい日本語」は、言葉のユニバーサルデザインなのだ。この書籍を通して、伝わる言語の本質を理解していただけたらと思う。最後までおつきあいください。



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