「将来どんな仕事をしたいのかを考えて、進路を決めなさい」なんて先生から言われても、自分には何ができるのかも、何がしたいのかもわからない。それに、世の中にはいったいどんな仕事があるのかだってあまり知らない。それなのに、そろそろ進路は決めなくちゃならないから、焦ってしまうよね。
どうしてなかなか決められないのだろう、どうしてこんなに迷ってしまうのだろうと、頭の中は悩みで一杯になっているはずだ。
でも、それでいい。実は大人だって、自分が何をしたいのかをはっきりわかって仕事をしているわけじゃない。わかったと思っても、次の週になれば、やっぱり違うかもと迷い続ける人がたくさんいる。その理由は簡単で、仕事選びには正解がないのだ。
仕事選びに正解はない
学校の授業やテストであれば正解があるから、いくら迷っても、どれほど悩んでも、最後には正しい答えを知ることができる。ところが、仕事選びには正解がないから、どんな仕事を選んだとしても、それが正しいかどうかはわからないままなのだ。わりと気に入って、得意で、楽しくて、お金もそれなりにもらえて、自分にはこれがぴったり合っていると思えるような仕事をしていたとしても、もっとほかに何かあったかもしれないのだ。正解がないのだから、こればっかりはわからない。みんなが迷うのは当たり前なのだ。
ちなみに僕はあまり迷わない。とにかく僕は働きたくないので、正解がなくても特に困らない。いや、働かないことが僕にとっての正解なのである。それなのにどうして働かなければならないのか。どうしてゴロゴロしていられないのか。こんなにはっきり正解が分かっているのになぜそうならないのか。無念である。
仕事にも正解はない
さて、仕事選びに正解がないのと同じように、実は仕事そのものにも正解はない。こう書くと大人たちは「またあいつがバカなことを言い出した」と目くじらを立てるかもしれないけれども、仕事にも正解はないのだ。
もちろんどんな仕事にだって目的はある。でも、正解はないのだ。ないから正解を教えてもらうことはできない。
教えてもらえるのは、その仕事の決まったやり方や手順だけで、その仕事が本当は何をするものなのか、その仕事を通して僕が世界をどう変えられるのかを教えてもらうことはない。人によって仕事は違っているからである。
誰かと同じやり方をしても、それが上手くいくとは限らない。教えられるのはあくまでも「自分はこうやっている」だけなのだ。自分が世界をどう変えるのか、世界に何を付け加えるのかは、自分で考えるしかない。
将来、君が何かの間違いで働くことになったときのために、これだけはよく覚えておいて欲しい。いいか。誰も何も教えてくれないぞ。
ダンボール箱のミカン
親の家事を手伝ったり、店番をしたりして小遣いをもらったことを除けば、高校生のときに年末年始の八百屋でミカンを売ってアルバイト代をもらったのが僕の初めての仕事体験だ。先輩の実家は八百屋で、年末年始はとにかく忙しい。ということで、なぜか後輩がミカン売りのアルバイトをさせられることになったのである。
歳末の早朝、店の前に立った僕に、八百屋の大将、つまり先輩のお父さんは「ほな、これたのむわ」と積み上がったミカンのダンボール箱を指差しただけで、あとは放置された。このミカンを売るのである。
知らない人に声をかけて何かを買ってもらうなんて僕にはとても無理だと思ったけれども、とにかくやるしかない。やるしかないがどうすればいいのかわからない。なんと言えばいいのかも分からない。まわりの人たちがどんなふうにお客さんに声をかけているのかを観察しながら、見よう見まねで僕もミカンを売り始めたものの、押しが弱いのか、声が小さいのか、通り抜けていく歳末客からは見向きもされないわけである。
それでも声かけを繰り返しているうちに、多少は大きな声が出るようになったのか、ときおり振り返ってくれるお客さんが現れ、ついに「じゃあいただくわ」と一人の女性が買ってくれることになった。
ここで僕は大混乱である。売っているのは箱ごとのミカンである。さすがに持って帰るわけにはいかないだろう。どうすればいいのか。お金はどう受け取ればいいのか。お釣りはどう渡せばいいのか。何も分からないのだ。何も分からないままミカンを売っているのである。
店の奥で青物を並べている大将に向かって「ミカン、売れました!」と言ったとたん、厳しい顔になった大将から「アホか! 売れましたちゃうわ、買うていただきましたや!」と大声で叱られた。せっかく売ったのに叱られるとは思わなかった。
すぐに笑顔になった大将は女性に近づき、代金を受け取り、お釣りを渡し、配送先を聞いてメモを取った。「まいど、おおきに」そう言ったあと僕を見てうなずき、黙ったまま店の奥に戻っていった。なるほど、そうすればいいのか。一連の動作を見て僕はようやく自分が何をするべきなのかが分かったのだけれども、それはまだ仕事ではなかった。
これが仕事なのかもしれないと僕が気づいたのは、高校を出たあとスーパーマーケットに勤めてからのことだ。それは次回の話にしよう。