前回は「継続」について話をした。継続にはめちゃめちゃ効能がある、なにをしてもつづかない人はまず「10回目の成功体験」を持ってみるといいよという話。
ただ、ちゃぶ台をひっくり返すような話になるかもしれないんだけど、なんでもいいからつづければいいというわけじゃない。最初の一手、「なにをつづけるか?」の選び方が大事だったりする。
たとえば「毎日漢字の書き取りを10ページずつつづけよう」と腕まくりして、ほんとうにつづく? つづかないよね。継続には、「正しさ」じゃなく「たのしさ」が不可欠だ。だから「すべき」ではなく「したい」ものを選ぶのがセオリーになる。
前回ぼくは「コツコツタイプじゃなかったからヤンキー校に進学することになった」と話したけど、もう少し正確に言うと、勉強がたのしくなかったし、ほかに夢中になることがあったからやる気にならなかったんだよね。
つまり、継続力がない人っていうのは根気がないっていうより「つまんないこと」をつづけてるだけだったりする。つまんないから「疲れたし今日はもういっか……」ってなっちゃうの。
だってゲームやマンガ、YouTube、その他もろもろの趣味は親に怒られてもつい手が伸びちゃうでしょ。自分が興味があったり夢中になったりしているから、がんばらなくても勝手につづいていく。
人生ってこういう「勝手につづくこと」「自然としちゃうこと」に集中するとうまくいくようにできている。わざわざ向いてないことに挑戦して歯を食いしばって継続しようとしても、悲しいかなあんまりものにならない。これはモノにしたい、上達したい! とピュアにおもえるものを選び取ろう。
そうして興味のあることに取り組むことにしたら、内側から湧いた衝動はピュアなままキープしよう。どういうことかというと、「なにかの役に立つかな?」ってその後の展開を考えないようにする。役に立つとかキャリアにつながるとかの「実り」は結果論。メリットに頭を巡らせた途端たのしめなくなるし、結果的に挫折しちゃうからマジで気をつけよう。
「なんのために」を考えないためには、外野の声をいかにシャットアウトするかも大事になってくる。ほら、好きで絵を描いてる友だちに「なに目指してんの?(笑)」とか言う人、いるでしょ? ああいうプレパラートみたいな薄い言葉に耳をかたむけちゃダメだよ。
研究者や学者にも「それ、どんな役に立つんですか?」って質問を嫌う人がいるんだけど、それはただピュアに未知の世界に挑んでるから。夢中で何十年も研究してたら大発見があって、じゃあこれをどう活かそうかって考えるパターンも多いらしい。そんな感じが理想だよね。いまこの瞬間の、自分の「たのしい!」にだけ集中しよう。
それで言うと、「好きなことを仕事にする」のはあまりおすすめできなかったりする。写真家のぼくが言うのも説得力がないんだけど、好きなことを仕事にした途端、「スキル」「金」「立場」とかの話になっていっちゃうんだよね。そうするとだんだん「好き」が薄れていって、仕事としてもなかなか軌道に乗らず、結果やめちゃう人もたくさん見てきた。そこからまたピュアな「好き」に戻れるかというと、けっこうあやしい。
趣味として満足できるなら、趣味のままにしておく。好きを好きのままつづけるには、そういう割り切りも必要だ。
とはいえ、もちろんときには「やらなきゃいけないもの」かつ「継続したほうがいいもの」もある。ゲームやマンガみたいにたのしいことだけに囲まれていくのは理想として、現実問題そうはいかないことも多い。資格の勉強とか健康のための運動とかはその最たるものだよね。そういうときは「どうすればたのしくなるか?」を考えて自分に都度ごほうびをあげよう。
これは知り合いのお医者さんに聞いたんだけど、病気の人に「もっと歩かないとダメですよ」って伝えると、最初はみんな言われたとおりにウォーキングしてみるんだって。でも、なかなか習慣にならなくてだんだん頻度が落ちていく。
一方で「写真をはじめてみるといいですよ」と伝えたらどうかというと、写真ってそんなにむずかしくないから割と簡単にいい感じの1枚が撮れたりして、ハマっていくの。そしたらいろんなものを撮りたくなって、外に出て歩き回るようになる。「しなきゃいけないこと」じゃなくて「やりたいこと」になって自然と継続した結果、健康になる。お医者さんもにっこりだ。わくわくしなきゃ人は動かないんだよね。
だからスキルアップしたい、収入アップしたい、昇進したい、みたいな「実り」に結びつく継続をしなきゃいけなくなったら、どうやって自分の「たのしい」を盛り込むか考えればいい。ぱっとおもいつくのが、仲間をつくる、コミュニティに入る、練習や勉強の過程をSNSにアップする、ゲーム仕立てにする、だれかと競う、といった方法。
「10回目や30回目の自分」に期待する、つまり自分の成長自体がわくわくにつながる人もいて、それもいいエンジンだよね。きっと自分に合った方法が見つかるはずだ。
「たのしむ能力」というと生まれ持ったものみたいだけど、工夫次第。ポイントさえ見つかれば継続もぐっとたやすくなるわけで、あきらめずに探っていこう。
ちょっと余談だけど、たのしむ能力が高いと生活にも「趣味」が入り込んでくるのがいい。
たとえば、ぼくは料理だけでなく裁縫も好きだ。でかい身体で夜な夜なちまちまボタンをつけたりしている。お直し屋さんに外注すればはやいし、そもそも破れた靴下なんて買い換えたほうがよっぽどコスパはいいんだけど、つい夢中になってしまう。「母さんが夜なべをして……」って歌あるでしょ、あれは母さんの裁縫ハイだったんじゃないかとにらんでいる。
掃除もたのしい。自宅用としてはあきらかにオーバースペックな洗剤を取り寄せては試している。実演販売みたいに汚れが落ちていくのを見るのはおもしろいよ。家仕事の一部はもはや、「ずっとつづいている趣味」だ。
あと、ぼくはなにかに興味を持ったらひたすらそのジャンルの本を読んだり人に話を聴いたりするタイプで(もちろん仕事には何の関係もない)、勉強も趣味と言っていいとおもう。
こんなふうに、趣味が多いと人生がたのしくなる。勝手につづいちゃうことがたくさんあるってことだから。
これまで学校では、偏差値とかテストの順位とかの「数字」で評価されてきたよね。それに一喜一憂してた人も多いはず。だけどこれから社会に出るみんなに言いたいのは、人が決めた数字で自分の幸せ度は決まらないってこと。
じゃあなにが幸せを決めるかというと、数字にならない「勝手にたのしむ力」だ。勝手にたのしめれば毎日がルンルンだし、結果的に力もついていく。そのためにも、自分の「たのしい」にウソをついたりフタをしたりしないように。