単行本

情報爆発社会を生きるためのあたらしい教科書――『SNS時代のメディアリテラシー』
「はじめに」より

ニュース、SNS、動画からAIまで。情報爆発社会で、デマに流されず世界を広げるには? よく考え、対話するための、あたらしい教科書『SNS時代のメディアリテラシー』をこのほど刊行しました。刊行を記念して「はじめに」を全文公開いたします。

はじめに〈情報におぼれてしまう?〉

◆世界の情報の量はどのくらい?

 この本を手にとってくれたみなさんに質問です。世界中で1年間に作られているデータの総量って、いったいどれくらいあるか、わかりますか? 企業や個人はコンピューター、タブレット、スマートフォンなどで文章や図表、動画などのデータを作り、そのデータはインターネットを通じて世界中に流通しています。

 さて、答えです。IDCという国際調査会社の2023年の発表によれば、2022年に世界中で生成されたり消費されたりしたデジタル情報量は101ゼタバイトと推計されました。1バイトは半角英数字1文字分の容量です。1キロバイトはその約1000倍、1ゼタバイトは21個もの0がつく天文学的な数字です。世界中の砂浜にある砂粒の数をハワイ大学の研究者たちが試算したら7.5×1018という推計でしたが、その推計に従えば世界中の砂浜の砂粒の数の約13500倍にもなります。

 世界中にどれくらい砂浜があるかもわかりませんが、その砂粒たるや……ということで、まあ、想像を絶する量のデータや情報が流れている。その中から自分にとって必要な情報を自分で見つけに行くというのは大変なことです。

 

1年間のデジタル情報量は1ゼタバイト

 そんな状況なので、私たちは、コンピューターなどのテクノロジーの助けを借りて、なるべく効率的に情報をみつけることが多くなっています。さらにいえば、コンピューターのほうが、その人好みの情報を選んで、私たちに届けてくれるようにもなっています。便利な時代といえますが、世の中にもっと情報が少なかった時代に比べて、情報への向き合い方が難しくなったともいえるのです。

 なぜ難しいのでしょうか? 一つわかりやすい例を出しましょう。

 世の中にあるデータ量を砂浜の砂粒の数と比較しましたが、砂粒はいろんな色をしていますよね。仮に、白い砂粒が本当の情報、黒い砂粒を嘘の情報とします(1バイトのデータが1つの情報とはいえないですし、白が良い、黒が悪いという発想は単純すぎますが、わかりやすくするための例示です)。

 実際の砂浜には、白い砂粒もあれば黒い砂粒もある。嘘か本当かわからないようなグレーや茶色い砂粒もありますよね。白くみえるけれど、洗ったら黒い砂粒かもしれない。世の中にある情報は、さまざまな色や形をしているわけです。

 また砂粒がどう扱われているか、という点も実は違います。ある砂粒(情報)は、情報を扱うプロ(たとえば新聞やテレビといったマスメディア)がチェックして(洗ってみて)、色や形を確かめています。しかし、別の砂粒(情報)は、誰もチェックせずに、誰かがX(旧Twitter)につぶやいたものかもしれません。

 日々ますます増えていく膨大なデータや情報の中で、おぼれてしまう(砂に埋まってしまう)ことがないようにする。コンピューターが選んでくる自分好みの情報に振り回されずに、自分にとって本当に必要な質のよい情報を、自分の意思で選び出していく。そんな作業は、とんでもなく難しいですよね。

 

◆約30年間、記者をしていました

 遅くなりましたが、自己紹介をさせてください。私は、ちょうど還暦(60歳)になった元記者です。22歳から56歳まで、朝日新聞社に勤めていました。

 1986年に新聞社に入り、栃木県宇都宮市で事件や事故を追いかけていたころは、原稿用紙に手書きで記事を書いていました。

 当時は、大事件や大事故が起きても、SNSで情報が流れたりしませんし、スマートフォンもありません。情報を集めたり確認したりするのは、現地にいくか、固定電話で行っていました。入社後まもなく、肩からかける「ショルダーフォン」という移動電話(大きすぎるので携帯電話とも言えないですね)が支局に配備されて、驚いたのを覚えています。重さは3キロもありました。

 それからしばらくしてワープロやパソコンで記事を書くようになり、携帯電話はどんどん小型化されていきました。

 テクノロジーの進展とともに、記者の仕事も変化します。劇的に変わったのは、1990年代後半にインターネットが普及しはじめてからです。新聞社も、紙の新聞だけでなくインターネット上のデジタル発信に力をいれるようになりました。

 さらに2005年前後からソーシャルメディアがよく使われるようになり、2008年ごろから、手のひらサイズのコンピューターといえるスマートフォン(スマホ)が広がってきました。ちなみにソーシャルメディアとは、インターネット上で人がコミュニケーションをとるFacebook、Instagram、XなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)に加えて、動画共有サイトやブログなどを含む広い概念です。

誰でも発信でき、誰もがメディアという時代になったことで、新聞やテレビなどのマスメディアの影響力は低下していきました。

 約30年間の記者生活のうち9年は海外に住んでいました。2000年から03年までと2013年から17年まではアメリカの首都、ワシントンで仕事をしました。

 2001年にはニューヨークとワシントンで旅客機を使った大規模な自爆テロで3000人以上が亡くなり、2016年には虚偽発言や人種差別をくり返したドナルド・トランプ氏が大統領に当選するという「アメリカの転機」を目撃しました。

 

◆何を信じたらいいかわからない?

 ただ、そうした大きな出来事以上に私にとって衝撃だったのは、1回めと2回めの駐在の間の10年でアメリカ社会がすっかり変わってしまったことでした。保守派(右派)とリベラル派(左派)の感情的な対立が激しくなり、マスメディアへの信頼度もがくんと落ちたのです。

 保守派とリベラル派とは、どう区別されるのでしょうか。国によってもとらえ方は違うのですが、アメリカで保守派といえば、以下のような考えの人が多いです。

 政府の仕事は無駄が多いので規制は緩和し、税金は安いほうがよい。貧しい人のための生活保護はあまり必要ではなく、外国からの移民の受け入れには反対。「自助努力」が大事であり、黒人などの社会的弱者を(大学の入学選考などで) 優遇するのも反対。厳格なキリスト教信者が多く、女性の妊娠中絶や同性婚には反対。個人の自由を大切にする考えから銃を持つことに積極的(銃規制に反対)。

 リベラル派は、その逆ですね。政府は良いこともするので、業界への規制も必要だし、税金は少々高くてもよい。貧しい人のための生活保護を充実することや、(大学の入学選考などでの)黒人などの社会的弱者の優遇には賛成で、移民もある程度は受け入れてもよい。女性は自分の判断で妊娠中絶をする権利があり、同性婚にも賛成。銃については規制を強化して、なるべく使えなくするべき。

 内実は複雑ですが、ごくおおざっぱにいえば、そんな色分けができます。

 共和党で保守派のトランプ氏は、民主党のリベラル派を徹底的にけなすことで、白人を中心に保守層の多くの人を惹きつけ2016年の大統領選を制しました。

 マスメディアへの対応も独特でした。トランプ氏の政治集会に出かけると、後方の記者席を指差し、「彼らを見ろ」と聴衆をあおり、聴衆が「最も不誠実なやつらだ」と一斉に叫ぶのが定番でした。トランプ氏は、主流メディアによる報道を「フェイクニュース」と呼び、「アメリカ国民の敵」であるとも言い放ちました。

 共和党支持者の間でマスメディアへの信頼度は目にみえて下がっていきました。今ではマスメディアを「とても信頼できる」と「まあ信頼できる」とする人の割合を足しても、10%台にとどまっています。一方、民主党支持者の間では6割近い人がマスメディアを信用しています。

政党支持者別にみたマスメディアへの信頼度 (アメリカ、1972─2023) GALLUP 調査より

 マスメディアを信用するかどうかが、その人のイデオロギー(政治的意見)と結びついているわけですが、総じて言えばアメリカ人全体で、マスメディアを信頼している人は3割程度にまで下がってしまっています

 私はアメリカのそうした姿をみて衝撃を受け、メディアとは何か、どういう問題がありどういう役割を果たすべきなのかについて、真剣に考えるようになりました。そして日本に戻ってきたときに、人々のメディア接触と価値観との関係を客観的に調べるための世論調査や、メディアに関する教育に携わりたいと思い、現在のスマートニュース メディア研究所に転職しました。

 問題意識の根っこには、日本がアメリカのような分断社会になってほしくないという思いがあります。一人一人がマスメディアやソーシャルメディアの仕組み、それと人間の心理や社会との関係についての理解を深め、物事を多様な視点でみていくことが、暮らしやすい社会に結びつくと思うからです。

 この本では、第4章まで、1つの章ごとにポイントを示します。そして最終章である第5章では、そのポイントに通底する「クリティカルシンキング」について解説し、「メディアや情報と上手につきあって自分の人生に活かせる人になること」、つまりメディアリテラシーを身につけてもらうことを目指したいと思います。

 

 



 

『SNS時代のメディアリテラシー

 ―ウソとホントは見分けられる?』