単行本

フェミニズムという詩――サラ・アーメッド著『苦情はいつも聴かれない』訳者あとがき

組織内のハラスメントや差別に対し声を上げた人々は、何を経験するか。数々の証言から、組織・制度・権力が苦情を無力化するメカニズムを解き明かす。――11月22日発売のサラ・アーメッド著『苦情はいつも聴かれない』より、訳者のおひとりである竹内要江さんの「訳者あとがき」を公開します。

訳者あとがき

 

 本書はSara Ahmed, Complaint!(Duke University Press, 2021)の全訳である。冒頭から第6章までの翻訳を竹内が担当し、第7章以降と原註の翻訳を共訳・監訳者である飯田麻結さんにご担当いただいた。

 著者サラ・アーメッドや本書の位置づけについては、フェミニズムの専門家である飯田さんの解説を読んでいただくとして、ここでは翻訳者として長期にわたってアーメッドの言葉に耳をそばだて、考え、日本語にしてきたなかで感じた「言葉の手触り」について述べてみたい。

 アーメッドは学問の世界で研鑽を積み、大学で教鞭をとってきた研究者である。しかし、本書をお読みになればわかる通り、その言葉はさまざまなイメージにあふれ、ときに韻を踏み、詩的言語の特徴を示しながら著者の主張をユニークにそして効果的に伝え、読者の心に独特な印象を残す。アーメッドの言葉を訳すとは、イメージを追いかけることであり、言葉の響きの奔流に身を投じることであり、そしてそのイメージや響きを殺さぬように、たとえるならば鳥の巣のなかに卵をそっと戻してやるような、そんな繊細な作業の連続だった。果たして原文の豊かさを的確に伝えられているのか心配になりながら、ルビ等を駆使しつつも原文と翻訳のあわいでどうしても消えてしまうものたちを残念に思いながらも、なんとか苦心して担当箇所を訳した次第である。前著『フェミニスト・キルジョイ―フェミニズムを生きるということ』(飯田麻結訳、人文書院)でアーメッド本人はこう書いている。

 

フェミニズムは詩だとわたしは考えている。わたしたちは言葉の中に複数の歴史を聞きとり、言葉にすることで複数の歴史を再び組み立てる。(中略)わたしが今までやってきたように、回るたびに異なる光をとらえる物体みたいに、言葉をくるくる回しながら(中略)言葉を追いかけ回している。(二四頁)

 

 アーメッドにとってフェミニズムとは「生きるもの」であり、それは「詩」でもあるのだ。くるくると回り、さまざまな光を放つ万華鏡的ともいえるアーメッドの詩的言語を楽しみながら読者のみなさんに本書をお読みいただけるのであれば翻訳者としては本望である。

 また、「フェミニストの耳」になったアーメッドが粘り強くさまざまな人びとの話を聴き取って紡いだ文章を翻訳しながら感じたのは、彼女の優しさや誠実さ、そして強さだ。さまざまな人の言葉が引用され、ひとつひとつは個別の体験のはずなのに、読んでいると集合的な「苦情」の声のうねり、奔流となるように感じられる。それは、まさにアーメッドがひとつひとつの苦情の言葉に丹念に耳を傾けた成果といえるのだが、訳していると訳者自身の過去の経験も思い出されたりして(今から振り返ると、あれはハラスメントだったのではとはっとすることもしばしばだった)、辛くなり、思わず耳をふさいでしまいたくなる瞬間も少なからずあった。ひとつひとつの苦情に粘り強く耳を傾けつづけたアーメッドのプロ意識、そしてこの研究を世に届けるという強い思いがひしひしと文章から伝わってきた。

 アーメッドの前著『フェミニズム・キルジョイ』を読んだときに個人的にとても印象的だったのが、グリム童話の「わがままな子ども」が引かれていたことだ。死してもなお土のなかから突き出され、わがままだとして懲罰のために鞭を振るわれる「腕」。フェミニストの主体性の象徴ともなっているこの腕はアーメッドにより多義的に解釈されている(本書でもパッシングのたとえとして再登場しているし、苦情を訴える者は自分も「わがままな腕」だと非難されていると、「腕」は自分であると共感を寄せる)。耳や腕などの身体部位のメタファーの効果的な利用はアーメッドの詩的フェミニズム表現の特徴といえるのかもしれない。耳をふさぐことなく、非難されても腕を突き上げつづける―そんな姿勢はアクティビズムに必要だ。そして、耳をふさぐ必要はなく、腕をずっと突き上げていなくてもいい―そんな世界がいつか訪れたらと、本書の翻訳に関わり、最後の見直しをしている今この瞬間訳者はそう思っている。

 本書の原題はComplaint! であるが、〝Complain it.〞(苦情を訴えなさい)と動詞にして命令文とするのでなく(おそらくその意味もかけられているだろう)、ただ名詞の〝complaint〞に感嘆符がついていて、短い表現のなかにさまざまなことが凝縮されているようだ。本書に頻出するこの〝complaint〞という言葉には、文句、愚痴、不平不満、さらには病気や告訴まで幅広い語義を含む言葉である。おもに「苦情」という訳語を当てたけれども、「苦情がいつも聴かれない」という病理に徹底して迫る本書中さまざまな意味合いを持つということはご承知おきいただきたい。

 ここまで長い時間をかけ、大切に訳してきたけれども、『苦情はいつも聴かれない』というタイトルを冠する本書が近いうちに時代遅れとなることを訳者は願ってやまない。本書が必要な人のもとに届きますように。  

 

二〇二四年九月   竹内要江


 

 


 

『苦情はいつも聴かれない』

組織内のハラスメントや差別に対し

声を上げた人々は、何を経験するか。

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