著者のテレビのお笑い論シリーズを長く愛読している。お笑いを語りながら時代へのパースペクティブが見事で、いずれも芸論と社会学が交叉し併走している。そして今回はテレビ史に残した実績、その在位期間の長さでも最高峰である萩本欽一だ。
一九八〇年代に作家の小林信彦氏が「今のビートたけしの活躍はかつての森繁久彌のようだと書いても、もはや誰にも伝わらないだろう」(大意)と書いていた。それは当時一〇代だったボクがお笑い史に強く興味を持った一文だった。その後、ボクはビートたけしの門下に入り浅草フランス座(現・東洋館)へ住み込みで修行することになる。
「渥美清、東八郎、コント55号、そして、あのツービートを輩出した笑いの殿堂、浅草フランス座!」と法被を羽織って呼び込みに立った時の、浅草のコメディアンの系譜に己が繋がったと思えた誇らしい感情は忘れがたい。
本書は数多ある本人による自叙伝、研究本の中でも最も長いスパンを俯瞰し、マクロ視点で捉え、そして過去には隠されていた当代一の人気者の私生活を含めた実像までミクロに見つめた、萩本欽一評伝の集大成の一冊である。
六〇年代、浅草六区の全盛時代、一八歳で軽演劇に身を投じて、その後、坂上二郎と共にコント55号としてコントブームの最前線へ。七〇年代にテレビに進出、野球拳など下賤のドブ板企画をやり尽くすと、一転、バラエティ番組の司会者(及び実質的な作家&プロデューサー)に転身し、次々と自らのアイデアで番組を当ててみせ、〝視聴率100%男〟=テレビの王様として君臨する。
六〇年代のテレビの黄金時代はクレージーキャッツからドリフターズへとナベプロ帝国(渡辺プロ)の天下が続いていたが、「欽ちゃん」という老若男女に支持されるテレビスターはひとりで七〇年代のテレビ界の全局を覆った(この視聴率戦争の戦記としても興味深い)。一九八九年まで続く「お笑い戦国時代」(@てれびのスキマ)に天下統一を成し遂げ五〇代には全局のゴールデンタイムを制する天下人となった。
八〇年代、漫才ブームを契機に「お笑いビッグ3」が台頭、続く「お笑い第三世代」の伸長と共に一時、全局を一斉一時降板したが、今の今まで媒体を変えながらも引退の日が来ることはなかった。
コント55号でのブレイク、司会者として『スター誕生!』『全日本仮装大賞』『欽ドン!』『欽どこ』『良い子・悪い子・普通の子』『24時間テレビ』などなど欽ちゃんが関わった番組は枚挙にいとまがなく「あっちむいてほい」「ウケる」「ハガキ職人」などの新語流行語を定着させたほか、手練れの芸人ではなくテレビに素人を起用する現在のスタイルを確立。
そして最後まで視聴者には秘匿されていた私生活すらも、今年の「24時間テレビ」でドラマ化され、もはやその生涯は「国民の物語」となった。欽ちゃんを振り返れば、誰もが高度経済成長のなかで闇雲に働きながら、テレビと野球中継に熱中していた、あの昭和の時代をノスタルジックに再体験してしまう。
二〇二五年に昭和は一〇〇年を迎える。そして欽ちゃんは干支を七廻りし八四歳になる。時代と大衆に溶解された半生、その笑いへの執着に満ちた妖怪ぶりが細密に描写される。
欽ちゃんがコント、司会、映画監督、野球監督、大学入学、YouTuberと変態を繰り返すその波瀾万丈ぶりを「なんでそーなるの?」と思う方は本書の良き読者となるだろう。そしてその答えは余すことなく書かれている。実際、著者が書き続けてきたテレビのお笑い論シリーズも「遠回りの美学」であったとさえ思わされた。それほど運命的なバカウケの一冊だ。
萩本欽一という笑いの金字塔は、昭和に建立され電波塔の役目を終えても取り壊されることのない「東京タワー」のように何時までも日本人の前に聳えている。