加納 Aマッソ

第81回「生きているということ」

 季節はずれのホタルを見た。
 などという詩的な表現を紡ぎ出すほか、目の前の光景に対してできることは何もなかった。ホタルが床スレスレを飛んでいる。私は暗闇の中で、じっとその光を目で追っている。

 実家では、いつもこたつで眠ってしまう。夜中、カチ、カチ、シューという微かな音で目を覚ました。もはや人の力を借りずには立てなくなった親父が、隣の居間で布団の中から腕だけを伸ばし、ライターに火をつけようとしている。
 「何してんの」
 「黙って寝ろ」
 これ以上の会話はなかった。オカンは、親父が容易く火をつけられないよう、枕元にスイッチのかたいライターを置いていた。奪い取ることは諦めたのだろう。今の私と同じだ。親父は、何度もシュー、シューという音を鳴らした。これは息吹なのだと自分に言い聞かせた。ようやくついたホタルは、命の灯なのだと思おうとした。布団に引火しないよう、私は親父の腕の軌道にすべての神経を集中させた。そして寝息が聞こえるまで静かに待った。灰皿を確認しに行くと、役目を終えたホタルはちゃんと息絶えていた。
 翌朝、オカンが仕事に行った途端、親父は人懐っこい声で「ウイスキー入れて〜」と私に頼んだ。
「怒られるから一杯だけやで」
 私が台所でグラスに氷を入れ、薄めの水割りをつくっていると、調子よく「もう一声」などと言う。私は笑いながら、濃くするようなジェスチャーをして、親父の手元まで持っていく。グラスに口をつけると、「うんめ〜〜〜!」と嬉しそうに言った。「腐ってもサービス精神」という言葉が浮かんで消える。鈍色の笑顔だって、私を最低限楽しませる。
 「この前もな、あいつ仕事行ってから、酒取ろうと思って、台所まで、ごろごろ転がっていって、時間かけて、あとちょっとのところで、あいつ物を取りに帰ってきやがってな、『何してんねん』って言われたから、『転がってんねん』って言うてん」
 私はもう少し話したかったが、「新幹線の時間あるから、行くわ」と言った。二杯目を頼まれないようにするためだった。オカンの苦労を思うと気が重くなったが、私はオカンが出ていくとき、見知らぬトレーナーを着ていたのに気づいていた。よかった、そう、そうやって、新しい服を買ったり、いっぱいしてな、見境なく怒鳴るようになった親父も自分を生きてるだけかもしれん、オカンも生きてな、生きような、これからもやで。

 親父から一言、「追悼しとけよ」とLINEがきた。風呂沸かしとけよ、と同じようなトーンで言うな、と思いながら、「うん」とだけ返した。親父が転がっている部屋の本棚には、彼の詩が、翻訳が、当たり前のようにあった。チャーリー・ブラウンは『ピーナッツ』の中で「正しい答えが人生のすべてじゃないでしょう?」と言っていた。そうかもしれない。ルーシーは平気で犬を殴った。

 生きているということ
 いま生きているということ
 それは臥した父親からタバコを奪えないということ

 ホタルが業火に飲み込まれる。そんな悪夢から目を覚ますことでさえ、昨日から一日、新しい日を生きているということの証明なのだ。