さて前回からの続き。
不安になってきた。だいじょうぶかな、目を通してくれるひとをあかるくするどころか、曇らせてなければいいけど。ひとりのひとが詩を書きはじめる、その手がかりになることを、証言台からぼくははなす。そのつもりだったのに、のんびりしすぎてすすんでいない。もう一度やりなおそう。すこしかけあしになるかもしれない。
実験音楽に興味があった。音響詩、音声詩のレコードにしぜんとそれで手がのびた。フリージャズの音源を漁っていたら吉増剛造、白石かずこを知った。未来派やダダ、ロシアアバンギャルドに興味があった。日本のモダニズムの『死刑宣告』『ダダイスト新吉の詩』を読んだ。視覚詩にも興味をもった。
2010年ごろ、ウェブ上には北園克衛の全詩集のアーカイブがあって読むことができた。たしかどこかの大学のサイトだったとおもう。検索してもいつのまにか見つからなくなった。情報はウェブ上に地層のようにつもっていつまでも掬いとれるというあのころの夢。そうだった、アーカイブは消えて、そうした夢も消えた。あたらしいあっけなさの時代がおとずれた。ところで、旧世代のかけらたち、家々にあったあの膨大な記録媒体はどこにすがたを消したのだろう。ときおり出くわすのは青空のしたの野菜畑なんか。田舎道に数枚ばかり、風にのどかに回ってきらめいている。鳥たちが見つめる瞳のなかで。
再生されないものとはなんなのだろう。あけられることのない抽斗(ひきだし)がいくつもできた。ハードディスクの暗がりには膨大な写真と動画。保存された記録はふくらみすぎて、ひとは自分の撮ったすべてを振りかえることはもはやできない。いまの時代、カメラはなにかを保存するためにあるわけではない。レンズをむける動作そのものにひとは夢中になる。自分の生活を飾って知らせる。過去はあしばやに表舞台から消えていく。
2010年あたりにYouTubeが若いひとに一般的になりはじめた。画素数はすくなく、最高が360pだった。でも当時はとてもきれいにみえた。もうその感覚をおなじ画質からぼくはえることはできない。過去というすみかには二度とひとは立ち入ることができないのだ。YouTubeにワシントンD.C.のラジオ曲がミュージシャンを呼ぶシリーズがあった。NPRミュージックのタイニーデスクコンサート。それが好きでよくみた。いまはビッグアーティストだって出演する人気チャンネルだけど、そのころはすかすかの本棚を背景に演奏があって、それがとてもよかった。
スーパースターは信じない、オーガニック食品も外国車も信じない。ぼくは平凡なおとこで、ときおりじぶんがだれなのか不思議におもう。でもだけどぼくは愛を信じる。こんな素朴なうたをそのころぼくは画面からきいていた。ざらつく画面には、農協のキャップをかぶったシンガーのやわらかなハスキーヴォイス、そこに警察のサイレンが窓の外から混じってうたいおえる。黒縁眼鏡をかけたカート・ワグナー。その曲は、かれの曲ではなく南部の保守的なフォークシンガーの曲で、それをアメリカの田舎の匂いのするかれがうたっていた。それをくりかえしくりかえしぼくはみていた。
いまでもみることができて、いまもおなじ感動をぼくはおぼえる。彼については、彼のバンドLambchopのアルバムとその映像でしか知らない。それで十分で、物語をつくり架空のひとをみせてもしかたがない。ひとのリアルという感覚は、むしろ過剰なアピールのもとにある。大きなコミュニケーションを選ぶものよりも、ふといつのまにかあらわれて去るふつうのひとに意味があるのだ。歌だけでなく彼の佇まいから受けとった。
いまおもうと、ぼくは、文学としての詩はくわしくなかったけれど、音声詩や視覚詩といった言葉の要素をとりだした表現や、音楽の言葉にはずっと興味があったのだ。いうなれば、ぼくはこのころ、詩というまばゆく重たい恒星のまわりをぐるぐる回っているだけだった。詩という中心にある太陽に一度もふれぬまま。ほんの少しのなにかの拍子に、引力からはずれて遠い宇宙のくらやみへはなれてもおかしくなかった。
ただ、ということは、実はその巨大な質量をもつなにかが、詩には縁がないと感じているおおくのひとのそばにもあるのかもしれない。ブラックホールとして、まだ見えないまま。すごいエネルギーのそのなにか。
この動機さがしの決定的証拠はでてこない。犯人はぼくなのだから。ぼくはぼく自身を理解していない。さらにいえば、物事には因果関係がかならずあると信じているひとにしか原因はあらわれてこない。はじめからうまくいかない道すじだったのかもしれない。むしろぼくは一番いい写真を選んでいるようだ。ああ、ここが汚れている。無表情だ。これは、目をつむっている。で、結局ほんとの自分はどこにいるのだろう。
ぼくが理由として、ほんとうにこころの底から思っていることがある。頭の隅にありながら、話すのをためらっていたのだ。だれにだってあてはまることだから。それをはなそうとおもう。
詩はイメージを引き寄せるために、素材を集める必要も、資料にあたる必要もない。すべて手近にある。言葉はそばにある。その手軽さが理由なのだ。あのころのぼくは、将来を見とおすと、病気やからだのおとろえたときの不安はあきらかだった。だけどそれを解決しようとはなぜか思わなかった。詩の手近さは、気力のとぼしいぼくにむいていた。ほんとうにそれだけのことだとおもうのだ。
ただ、その手近さとは、ともすると、詩にとっての希望なのかもしれない。ひとと言葉は切っても切れない。日本でどれだけ自由詩が人気がなくても、お金がもうからなくても、詩はいつもひとびとの言葉の影にひそんでいる。あるだれかに発見されるまでしずかに息を殺しながら。