ちくまプリマー新書

金儲け=天国行き!?――商人フレンドリーなイスラーム
『イスラームからお金を考える』試し読み!

イスラームには利子の禁止や喜捨の義務など、信仰に基づいた経済の仕組みがあります。急速に発展しつつあり、世界の金融危機にも揺るがないイスラーム経済を解説する『イスラームからお金を考える』より一部を公開します!

商人フレンドリーな宗教

 イスラームは、その登場時から金もうけと深く関わってきました。イスラームのはじまりの地である聖地マッカは、アラビア半島随一の商業都市として繁栄していましたし、アッラーから教えを授かった預言者ムハンマドは、雇い主であり妻でもあったハディージャとともに、砂漠を行くキャラバン交易の商人として活躍していました。ムハンマドから教えを聞いて改宗した人々の多くもマッカで商人として生計を立てていました。

 そうした金もうけに従事する人々が理解しやすいようにと配慮したのかわかりませんが、イスラームの教えには金もうけのたとえがふんだんに盛り込まれています。例えば、『クルアーン』の第35章第29節には次のような章句があります。

「アッラーの教えを誦んで、礼拝をして、喜捨を行うことは、失敗のない商売を願っているのと同じことである。」

 この章句では、『クルアーン』の読誦や礼拝、喜捨といった信仰行為が、必ず成功する儲けにたとえられています。喜捨は礼拝と同じようにムスリムの最も重要な信仰行為(五行)の一つですが、これについてはこの章の最後に詳しく説明します。

 次に『クルアーン』の第57章第11節を見てみましょう。ここでは、アッラーの教えを守ることの御利益がお金の貸し借りのたとえで語られています。

「アッラーへの貸し付けをした者には、アッラーがそれを倍にして返済し、さらに気前のよい報償を与えるだろう。」

 つまり、人々がこの世でアッラーの教えを守ることは、あの世でアッラーが御利益を何倍にもして返してくださることになるお得な行為なのだとこの章句は語っているのです。現代風に言えば、ポイント2倍還元セールのようなものですね。

 そもそもイスラームでは、この世での人々の行いは常にアッラーがご覧になっていて、それを家計簿に付けてくださっていると考えます。アッラーの教えを守ったら「黒字」にプラス、守らなければ「赤字」にマイナス、という具合です。そして、この世の終わりが来ると、アッラーは一人一人の家計簿を見ながら、最終的に黒字の人は天国行き、赤字の人は地獄行きを言い渡すのです。これが最後の審判です。これも、現代風に言えば、アッラーがカードリーダーにタッチしてポイントカードの残額を見るといった感じでしょうか。

 『クルアーン』では、最後の審判のことを「ヒサーブ」と言います。この言葉はアラビア語で「お会計」という意味です。中東のアラビア語が母語の国のレストランで食後に「ヒサーブ!」と言うと、いくら払うべきなのかをお店の人が教えてくれます。

 このようにありとあらゆる教えが、儲けのたとえで語られていることがわかります。当時のアラビア半島の商人にしたら、自分の商売に引きつけて教えを説明してくれるわけですから、さぞかし理解が早かったのではないでしょうか。ムハンマドが布教をしたのはたったの23年間でしたが、その間にアラビア半島一帯にイスラームの教えがまたたくまに広まったのは、こうした商人フレンドリーな教えがあったことによるものだということは間違いないと思います。

金もうけが天国に直結する!?

 それでは、イスラームでは金もうけ自体はどのように考えられているのでしょうか。これについても『クルアーン』の章句をのぞいてみることにしましょう。『クルアーン』の第2章第275節には、

「アッラーは金もうけをお許しになっている。」

とあり、金もうけをすることが信仰行為として直接的に肯定されています。言い換えれば、この世で金もうけをすることが、あの世で天国に行ける可能性を高めるのだとアッラーが言っているのです。

 皆さんが思い浮かべる敬虔な信者のイメージは、この世のあらゆる欲望を断って修行に没頭する姿かもしれません。毎日質素な食事を取りながら、山奥のお寺でひたすら座禅をしたり、滝に打たれたりしながら、ひたすら神に祈る修行者はまさにそのイメージにぴったりです。金もうけに勤しむ人は、そんな敬虔な信者とは正反対の人間のすることで、下手をすると神様の罰が当たってしまうと考える人も少なくないでしょう。

 禁欲を重んじて金もうけを不信心だとする考え方は、世界にあまたある宗教の多くに共通しています。私たちにとって身近な存在である仏教も、出家をしている修行者が金もうけに関わることは固く禁じられてきましたし、キリスト教の聖書(マルコによる福音書)には、金持ちが天国に行くよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ簡単だという記述があります。

 そんな中、イスラームにおける金もうけに対する考え方は斬新です。なぜなら、金もうけ自体が敬虔な信仰行為となるからです。この世で金もうけに勤しむことで、この世でもよい暮らしができて、しかも、あの世でも天国に行けてしまう――信仰と金もうけの両方が満たされる一挙両得の教えがイスラームにはあるのです。

 日本では、ものすごくお金を稼いでいる人は、どちらかというと世間から妬まれがちですね。あの人はあこぎな商売をしているからお金持ちになったんだとか、きっと裏で何か悪いことをやっているのかもしれないとか。イスラーム世界では、お金を稼いでいる人に対してそんなふうに思うことはありません。むしろ、お金をいっぱい稼いで天国に行く可能性が高まってうらやましい! 自分もお金を稼いで天国に行きたい! とあこがれの気持ちで見つめているのです。

 お金の話ばかりする人も、日本ではあまり好かれません。私のような大学の教員が、本来の仕事である教育や研究の合間に副業でお金もうけをしていたら、たとえ本業を疎かにしていなくても、大学の先生はそんな副業に勤しんでいないで、もっと教育と研究に集中しなさい、と冷ややかな目で見られることでしょう。これに対して、イスラーム世界では、大学の先生も積極的にお金もうけに乗り出しています。

 面白いエピソードとして、私が参加したサウディアラビアで開かれた会議の様子を紹介しましょう。会議の最中は、現地の大学の先生も真面目に研究について議論をしているのですが、いざ休憩時間になると、彼らは、どこそこの油田に投資をしたらものすごく儲かったとか、今あの商売をするとものすごく儲かるらしいとか、お金もうけの話に花を咲かせて盛り上がっていたのです。私にも、一緒に商売をしようとさかんに誘ってくる先生もいて驚いてしまったのですが、彼らの感覚ではそれが普通なのです。つまり、彼らは金もうけは自分たちの信仰の一環なのであり、金もうけを追求することは敬虔なムスリムとして当然の姿だと考えているのですね。



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