はじめに
〝ふるさと〞という言葉には、どこか郷愁を感じさせるものがあります。多くの人は、子供の頃のさまざまな思い出がつまった場所としてイメージするのではないでしょうか。
私もその例外ではありません。ただ、私の場合は少々事情があって、生まれ育った場所には複雑な思いがあります。
というのは私のふるさとは、日本の身分制、賤民の歴史が関係する被差別部落にあるからです。文字通り、差別されてきた地域です。
えらいところに生まれてしまったなあ……。知れば知るほど〝呪われた土地〞に生まれた運命をなげいたものです。ボクも部落差別を受けるんだろうか……。漠然とした不安におそわれた日もありました。
被差別部落という名称もよくないですね。「部落」という言葉が集落を意味するため、それと区別するために戦後につくりだされた言葉なんですが、差別される地域って、誰が住みたいと思うのでしょうか? 名づけた人に問いただしてみたいものです。みんながみんな差別を受けているわけでもないですし。
被差別部落はどういうところなのか? 一般的には〝こわい場所〞として見られているようです。では、住みづらい場所かというと、けっしてそうではありません。部落も部落外も住んだことがあるので自信をもって言えます。どこに住もうが、利点と難点はあるものです。部落は、外側と内側のイメージのギャップが激しい場所と言えるかもしれません。
被差別部落にかかわる部落問題は、私にまとわりつく影のような存在でした。できたら付いてきてほしくないのだけれど、ずっとつきまとわれている感じ。そのうちつきまとわれているのか、自分がつきまとっているのか、わからなくなりました。影がいつの間にか、自分の中に入ってきた、とでも言いましょうか。
部落問題を考え続けて、かれこれ半世紀になります。その長さに、自分でも驚いています。何度か距離を置こうと考えたこともありました。国外に脱出してしまえば、おさらばできるのではないか。実際にその準備もしましたが機会を逃し、いまだに日本にいてこの本を書いています。
被差別部落に生まれていなければ、もっと違う人生があったのに……。そう考えると、運命とあきらめるしかありません。もっとも、与えられた試練と考えれば、そこから何かを得ることは可能かもしれません。私はそのように考える性格なのです。
フリーライターという職業は、人を取材したり資料を読み込んだりして文章を書いて発表し、ものごとを読者に伝えます。これまで少なくない被差別部落を取材してきましたが、いっそ自分というフィルターを通して、この問題を描けないかと考えました。さまざまな出会いや葛藤から、被差別部落を浮き彫りにすることができるのではないか……。
でも、普通に書いても面白くない。考えあぐねていたときに、習っている英会話の先生が、ある日、こんな問いを発しました。
「誰もいない荒野に、君一人だけがいたらどうする?」
いや、そんなことを言われても……。先生は矢継ぎ早に、問いかけます。
fi rstly(最初は?)
then(それから?)
afterthat(そのあとは?)
fi nally(最後は?)
「さあ、順番に答えてみよう!」
荒野にたたずむ自分を想像しました。すると部落問題についてあれこれ思い悩んだ日々と重なってくるではありませんか! 地図を持たない旅のようなものだったのです。
そうだ、この手法でみんなに部落問題を紹介したらどうだろう。出会いから現在まで、難物だったこの問題と私の関係をたどってみる。そのときどきで、何を感じ、考えていたか。おぼろげな記憶と、書き残した文章、それに取材した話も入れたい―。
少年から青年、中年、現在に至るまでの私を通して、部落問題の半世紀と今後の展望について語ります。
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