(承前)
男性のみ13人中、ほとんどの書き手たちは、元号にこだわっているように見える「改元記念スペシャル企画」(『文學界』2019年6月号)の特集「昭和最後の日、あなたは何をしていましたか?」という質問に対する返答が期待されているエッセイの中で、すでに30年の歳月が流れた昭和64年の1月の日付と1月8日から施行された平成元年のあたりの日々の記憶を呼びさましつつ、回想する。
年齢の幅のある筆者たちは、歴史的(と言っても日本史の)な30年前のその日前後をどう過ごすことになったかを語るのだが、テーマがテーマだけに文章の中に女性的なものはほぼ登場せず、ふと思い出すのは、まだ天皇夫妻だった時分の上皇夫妻が、どこかを訪問した際の帰り、車で目白通りを通過するのをたまたま目撃した姉の話である。進行方向が右の車には左側に皇后がひな飾りと同じに座っているのだが、右手に当たる歩道を埋め尽くすというほどではない年配の女性たちの誰かが、こっち側は天皇が座っているんだから、美智子様を見るためには向こう側の歩道に行かなきゃあ、と天皇など生身を見る価値は大してないかのように焦っていたと言うのだ。
それが何を意味しているかなどと考えてみるのはどうでもいいことで、私は姉の話から、年配女性たちが思いがけない敏捷さで歩道を小走りして信号を渡る様子を想像するだけなのだ。とは言え、歴史の1ページというか1コマに遭遇した、小説家も含まれる知識人的人物は、それをどのように受けとめたかを誌面に反映させるのがメディアの歴史的責務とかそういった大仰な類いのものではないけれど、いわば習慣としての発想である。35年前は35年前で昭和の終わりに立ちあった者たちは多くの、さほど重要とは思えないほぼありきたりの感想をメディアに提供したはずである。どういう者たちが書いたのか、そこに女性の筆者がいたかどうかも記憶にないのだが、数多くの書き手たちが動員された戦後のもう1つの事件と言える三島由紀夫事件については、当然のことではあるが、断然男の書き手が多く、数少ない書き手の1人倉橋由美子のみが、正直に、その英雄的な儀式のようでもある事件をテレビの画面に映し出された「首」に触れながら書いていたことを思い出すならば、このような女性特有の視点があることを、私たちは記憶しておく必要がある。それは、困惑を隠せない筆者たちの中で、かなり奇妙なニュアンスを、いわば浮きあがらせる。
1988年秋から89年の1月にかけて、それでは私は何をしていたかなどということは、当然思い出せないので、たまたま講談社文芸文庫から上梓される小説『軽いめまい』のゲラに含まれている極く限られた情報のみで出来ている年譜を開いてみたのだったが、当然なことに、天皇の死だの元号が変わったことや、天皇の死の前後の、「なんとも気の重くなるような風景」(上野昂志『戦後60年』)については何も書かれていないし、おそらくは私自身の鈍さが大半の理由なのだろうが、そういったことに興味がなかったのだった。
ところで、早起きの生活が習慣になったのは、ほぼ20年前の網膜剥離の手術の入院がきっかけで、それに加齢も重なり早起きになると、何をしていいのかわからず(仕事や読書は夜間に行う長年の習慣だったので)、新聞を読んでしまうと、なんとなくテレビを見ることになり、そこで初めて「朝のテレビ小説」というものを見たのだった。これはいかにも粗忽な作りのもので、シナリオが劣悪なのか、ベテランの俳優たちが手抜き演技をするのか、若手俳優の演技が小劇団風と言うより、高校生のお芝居のようであるためなのか、演出が映像的知識を何も持たないせいなのか、セットが見るからに安手なのか、それ等すべてが重なっているのか、理由はわからないが、ひどいものであることは確かで、しかし、見たくなくとも見るはめになってしまうものであるらしい。
何年か前、北陸の都市のホテルの展望レストランでバイキング方式の朝食を食べていると、隣の席の関西圏からやって来ていたと見える高齢男性グループが、なんとやらというドラマをはじめて見たけれど、なんや、あの台詞は、あんな関西弁きいたことがない、と言いあっているのが耳に入ったのだったが、女性の使っていた関西弁(大阪か神戸か、どの都市のものなのかまでは話からは伝わらない)を朝早くから耳にして、とにかくそれが頭に来るほどの耳障りであったらしい。方言問題は別にしても、戦前の関西が舞台のドラマに、どこで買い求めたのか、茶色い紙のペーパーパック(これは戦後昭和30年代に日本では普及したものだ)に入れたワラビ餅が登場したりするのは、純文学の新人賞受賞作の第二次世界大戦下の南方密林に「ポリバケツ」が登場するのを、つい、見落としてしまうとの同じくらいの、意識にのぼらないミスなのかもしれない。
それは、その犠牲になるのがまず、女性であるとされる名もない家事(トイレでのトイレット・ペーパーの交換などがそうだとされている)と同じようなレベルの目にもつかないミスなのだろうし、それくらいのことがドラマの出来に影響をもたらすだろうか、それに、ちゃんと、方言指導の専門家や時代考証家だってクレジット・タイトルに名前をつらねている、とどうやら現場が思っているらしいことは想像できるのだが、手抜きは手抜きである。
しかし、考えてみれば、それはそもそもミスとして認識されていないのだろうし、関西の高齢男性たちが耳にしたこともない言葉は、テレビ方面ではテレビ的関西弁として視聴者にも共有されている新しい言葉なのかもしれない。どちらにしても、大した問題ではないし、ミスだったとしてもちょっとしたもので、名もないミスとでも言うべきだろうし、そもそも私には、テレビの方言に対して、心底あきれたと怒っているオヤジ達の関西弁がテレビの俳優の喋る言葉を批判するどういう正統性を持っているのかいないのかという判断のつけようもないのだ。
しかし、たとえば、朝のテレビ小説のシナリオというものは、戦後の劣悪な住宅事情下、隣家の町工場の息子と結婚した女医が自宅で医院を開業し、集団就職の中卒少年と先輩の工員が同室になるのを拒んだために、若い夫婦は、自分たちの寝室(妻の実家の2階らしい)の押入れを少年のベッドとして提供し、しかも、若い女医は青少年が押し入れにいる寝室で妊娠し、あまつさえそのめでたい出来事を、隣の小さな町工場の機械のたてる騒音と経営者一家と工員たちの前に、大声で、まるで性交が行われなくても、夫婦になりさえすれば子宝に自然に恵まれるといった調子で告げる、という信じ難いシーンで出来ていたりした。
そうした伝統ある朝の「連続テレビ小説」(というのが正式名らしいのだが、メディアでは「NHK朝ドラ」とも称するようだ)の歴史の中で、先日終了した『虎に翼』は「不朽の名作」と呼ばれているらしい。吉田潮の「ドラマどれ見る?」という連載コラムの書き手は「NHK朝ドラ『虎に翼』が不朽の名作だったために、いまだにトラツバロスの声が聞こえてくる10月期。」と書く。この日本初の女性裁判官が主人公の不朽の名作は、新聞をはじめ様々なメディアで評判だったのだが、それは、いかにも今日的なトピックス的話題を表面的に扱って、たとえば「性的マイノリティを真正面から取り上げたことが話題にな」ると言ったもっぱらその、時事的問題を、いろいろと浅く取り入れた内容方面に向けられたものだったようだ。
テレビのワイド・ショー番組では、一番頻繁に使用される言葉は「徹底調査」というものではないかと思うのだが、もちろん、これはその場限りのナレーションとして使われるだけの言葉なので、徹底とも調査とも、ほとんど関係はないのとほぼ同程度に、『虎に翼』で語られる法律的社会問題は、政府が白と言うことを黒とは言えないという会長発言が示していたNHK的感性に似ている。かつての女性法務大臣が在任中、10人を超える死刑執行にサインをしたことへの疑問(『虎に翼』的には、ハテ?か)も、冤罪を見ぬくことのできない裁判も語られることはないのだが、それはそれとして、ドラマとしての安易な作り方は、一例をあげるならば、主人公の2度目の夫がドラマの中で長い時間がたつのに、ずっと眉が隠れる長さのたっぷりした前髪を額にたらしっぱなしだったことに、七三にして額を出すべきだ、と、相当苛立った後期高齢者は多かったはずで、演出にあたったNHKの職員はヘア・スタイルについて、それは駄目だと言えなかったのだろうか。主人公がスーツを何着も着替えるのも、時代的に無理があって、そこを自然に見せるためには戦後の洋裁ブームに触れ、知人女性に仕立てを依頼するというシーンを作ればいいだけなのだし、女優のヘア・スタイルも見ために対する配慮に欠けた物だった。
新聞というメディアでは、映画担当記者がいて、映画批評が週1度掲載されるページがあり、とりあえず映画批評家として、時には名を知っている人物が映画を見ることへと誘う批評を書いていたりするけれど、テレビの番組については、ほぼ批評と呼べる文章が書かれる紙面は存在しないと思っていた。『虎に翼』はそうしたことを背景に、おそらくは映画的感性とは無縁な真面目さで、フィクションに専ら内容を重視するというタイプの者たちの深い関心を呼んだように思える。
『虎に翼』の考証担当の前川直哉福島大准教授へのインタビュー(朝日新聞’24年10月23日)で、「ここまでしっかり性的マイノリティーと境遇を描いたのは、朝ドラ110作目にして初めてでは」、「人口の数%から1割いるとされる人々」がフィクションの中でも現実世界でも、長いこと「いないこと」にされてきた、と准教授は語るのだが、この朝ドラの中で性的マイノリティーの男と女は、ではどう描かれていたのか。(つづく)