深津、おまえだけが頼りだ。
ヤツにそう言われて、俺は困惑していた。
二人とも外しちまえよ、と俺は言った。
代わりに踊りたい奴なんて、いくらでもいるんだし。グレゴリーとか、タイロンとか、俺にこっそり言ってきたぞ。もしあの二人の雰囲気がマズかったら、いつでも呼んでくれ、いつでも代わるぞって。
でもなあ――絶対この五人でやりたかったんだもの。
ヤツは深く溜息をついた。
「ホントに初共演なわけね」
「そっか、二人とも速攻でプリンシパルに上がっちゃったから、これまで共演する機会はなかったわな」
「『火の鳥』は? あれもプリンシパル総出演だったじゃん」
「あの時もAチームとBチームの二つに分かれてたから、共演はしてないのよ」
「大丈夫かなー」
「ある意味、見ものだね」
ヒソヒソと話す会話が廊下から聞こえてきて、大注目でこいつは前途多難だな、と思わず苦笑してしまった。
はい、これ、やります。
タイトル、「ダンス・イン・マティス」。
これ、このメンバーでずっとやりたかったんだよね。
ヤツが、カラーコピーをぺらっと俺たち四人に見せた時に、嫌な予感はしていた。
アンリ・マティスの絵、「DANCE」。
マティスの「JAZZ」でもいいかな、と思ったけど、こちらのほうが分かり易く絵を踊りにできるなと思ってさ。全部、チャールス・ミンガスのナンバーでやります。約三十分、出ずっぱり、踊りっぱなしだからヨロシクね。
青と緑の背景の中で、五人の女が輪になって踊っている、という有名な絵である。
四人とは、俺にヴァネッサ、フランツにハッサンという四人だ。
「五人目は誰がやるの?」
ヴァネッサが尋ねた。
「俺がやる」
「あ、そうなんだ」
ヤツが自作の作品に出るのは久しぶりだ。つまり、それだけ思い入れがあって張り切っているということである。
それはそうだろう。中規模のホールではあるが、ヤツの作品だけを集めた「HAL YOROZU・スペシャル・ガラ」を二日間、開催できることになったのだから。
そこで、ヤツのたっての希望で、異例のプリンシパル五名総出演の新作を作ることになったのだ。
どことなく不穏な空気が漂っているのはヤツも気付いているはずだが、今は「やりたかった」ことをできる嬉しさのほうに気を取られているらしい。
ヴァネッサが、チラッと俺を見た。
分かってる、と俺もヴァネッサに頷く。
不穏な空気は、仁王立ちになっているフランツとハッサンから発されているのは明らかだった。
目に見えない深い溝、あるいは高い壁みたいなものが二人のあいだに存在していることを、俺とヴァネッサはひしひしと感じていた。
この二人、昔から徹底的にソリが合わず、これまでたぶん一度も一緒に踊ったことはないはずだ。
「昔、いたよなあ。幼稚園のお遊戯かなんかで、絶対あの子とは手をつなぎたくないってワガママ言う奴」
俺は力なく呟いた。
「あ、それ、あたし」
ヴァネッサがあっさりそう言ったので、俺は苦笑する。
「おまえか」
「だけど、今はさすがにそんなことしないわよ。いったい、幾つだと思ってんのよ。本当に大人げないわね、あの二人」
ヴァネッサもあきれ顔だ。
稽古が始まってみると、二人の関係は予想以上に険悪だった。そこはプロなのだから、割り切って踊るかと思いきや、互いに不信感を抱いているので、タイミングが合わないことこの上ない。リフトやサポートなど、信用していない相手とは、到底踊れるものではないということを、フランツとハッサンを見ていてよく分かった。この分では、どちらか、あるいはどちらも怪我をしてしまうのではないかと、稽古していて気が気ではなかった。
ヤツもさすがに苦労していた。
「二人とも、踊りに集中してよ」と声を掛けるのだが、どちらも耳を素通りしている。
ある日、とうとうリフトの途中で踊るのをやめてしまい、互いに背を向ける、という事態に陥った。
ヤツは、踊るのをやめてしまった二人に気付き、呆然とした顔で棒立ちになった。
当然、俺とヴァネッサも踊るのを中断する。
皆で絶句しているあいだも流れ続けるミンガスの曲。
ヤツが動かないので、俺が歩いていって音楽を止めた。
気まずい沈黙と静寂。
ヤツは傷ついた顔で大きく溜息をついた。
「ひどい。俺のガラなのに――これまで、さんざんみんなに振付してきたのに――ここまで協力してくれないなんて」
ヤツはがっくりとうなだれてよろよろと部屋を出ていってしまった。
「おい、待てよ、ハル」
俺は慌てて声を掛けた。
「あー、こじらせた」
ヴァネッサが頭を抱える。
「逃げた、の間違いじゃねえの?」
ハッサンが鼻を鳴らす。
フランツは耳をほじくると、「振付家がいないのなら、休憩させてもらう」と、水を取りに行った。
二人の態度にカチンときた俺は言った。
「二人とも、出ていけ」
ぎょっとしたように、フランツとハッサンが振り向いた。
ヴァネッサも驚いたように俺を見る。
「ハルがどうしてもこの五人でやりたい、ってこだわってたから、ずっと我慢してたけど、俺は断る。おまえら、二人とも役を降りろ。ハルには、二人が役を降りたって俺から言っといてやる」
思った以上に、自分が腹を立てていることに気付いた。
めったにないチャンスなのに。これまでヤツの作品を踊ってきた、一緒に育ってきた、この上なく幸運なメンバーだというのに。
「俺、実は、稽古に入る前に頼まれてたんだ。一人や二人じゃない、いろんな奴からな。どうせ、あの二人は仲悪いから、一緒に踊れるはずはない、ってね。いつでも代わるぞ、声掛けてくれって。それだけ、今回は二人のポジションを奪うチャンスだってみんなから思われてるってことだ。それって、ヤバくないか? こんなことで役を取られてたら、他の役だって危ないぜ」
二人は無言だった。
「俺、そんなことないって思ってた。踊り始めれば、ずっと一緒にハルの作品を踊ってきた連中だし、きっとうまくいくって」
俺は、自分のカバンのところに行って、スマホを取り出した。
「でも、俺の間違いだったな。これから、頼まれた順に、代わりのメンバーを呼ぶよ。だから、もう出ていってくれ」
「JUN」
ヴァネッサがハラハラした顔で、とりなすように俺を見た。俺も彼女を見返す。
「俺、何かおかしなこと言ってるか?」
【後編へ続く】