「景気回復」を実感できない人が多いのはなぜか。
この問いへの答えを探るのが本書の目的である。日本政府は、国内の景気が今、どんな状態にあるのかを定期的に発表している。政府が「景気は緩やかに回復している」と説明しているのなら、日本の景気は上向き、日本で生活する人の暮らし向きは少しずつ良くなっているはずだ。
世の中には、経済学者やエコミストと呼ばれる経済の専門家たちがいる。専門家たちに景気と暮らし向きの関係を尋ねれば、「景気が良くなれば経済が成長し、国民の生活水準が上がる」と丁寧に教えてくれるだろう。
専門家の説明の中に「成長」という言葉が登場するが、「景気」と「成長」は切っても切れない関係にある。国全体の経済の動きに焦点を当てるマクロ経済学でも、景気が変動する要因を分析する「景気循環理論」と、経済が成長する要因を分析する「経済成長理論」は対をなす重要な研究分野である。
日本も含め、世界の歴史を振り返れば、景気変動(循環)を繰り返しながら、経済は成長してきた。これからもこの流れが続くのなら、景気が良くなれば国民の暮らし向きは良くなるだろう。
本当にそうなのか、という疑問が本書の出発点だ。
政府は2024年9月、「景気は、一部に足踏みが残るものの、緩やかに回復している」と発表した。日本銀行が同じタイミングで個人を対象に実施したアンケート調査では、景気が「良くなった」と回答した人は10人に1人に満たず、「悪くなった」が半数以上を占めていた。日々の暮らし向きを尋ねると、「ゆとりがなくなってきた」との回答がやはり半数以上に達した。
これでは国民は政府の公式見解を信用できなくなる。まさに「実感なき景気回復」という表現がぴったり合う状況なのだ。
「実感なき景気回復」という言葉をよく耳にするようになったのは、2000年代に入ってからだ。それ以前は、景気が回復すれば多くの国民がそれを実感し、暮らし向きも良くなっていたのだろうか。
政府の判断と国民の実感がずれるようになったのはなぜか。このような状況では政府の判断が誤っているか、あるいは実際には景気は回復していないのに、意図して回復していると発表しているのではないか、と疑う人もいるかもしれない。
それとも、国民の側に問題があるのか。政府の判断は間違っていないが、国民の側の要求水準が高くなり、景気が回復しても実感に結び付かなくなったのだといった解釈も成り立ちそうだ。
どちらの見解にも一理ある。政府の景気判断が誤っていたと後になって分かることは
多々ある。国民の「実感」にも不確かな面はあるだろう。しかし、問題の本質はそこにはないとみている。
筆者は、政府が「景気は回復している」と正しく判断できているときでも、国民がそれを実感できない状態が続く現実に注目している。
政府も国民も現実を正しく認識しているにもかかわらず、日本経済の構造が大きく変化するうちに両者の認識がずれるようになり、相互の信頼関係が崩れ、とりわけ国民の側の不満が大きくなっているのではないだろうか。
「景気」や「成長」という言葉自体にも、認識のずれを生む原因が潜んでいると筆者はえる。日本の経済構造が変化する中で、景気や成長という言葉を使うときには、慎重な態度が求められるようになっている。
本書では、どんな構造変化が起きているのかを解明しつつ、政府と国民の間に認識のずれが広がっている背景に迫る。
筆者は現在、大学や研究機関の仕事を手伝いながら、研究・教育や執筆活動に取り組んでいる。これまで主に経済をテーマとする著作を手掛けてきたが、中立性と客観性を常に意識するように心がけている。経済の捉え方や分析の手法には様々な流儀があり、経済の現状認識や経済政策を巡る論争は平行線をたどりがちだ。筆者は、経済問題を解説・論評する際には、「特定の立場に与せず、できるだけ多くの材料を集め、正確な情報を伝える」という基本姿勢を大切にしているつもりだ。特定の立場に与しない自由で公平な記述こそが、結局は多くの人々のためになると考えている。
ただ、どんな問題を扱うにしても「完全な中立性」を貫くのは不可能である。政府の公式見解、専門家の見方、様々なデータや経済理論などを参考にしながら、できる限り中立の立場で記述するように心がけたが、随所で筆者自身の見解も披露している。
「景気回復」を実感できず、袋小路に迷い込んだように見える多くの人々が少しでも「豊かさ」を実感できるようになる手立てはないのか。袋小路から脱出するための、ささやかなヒントを提供する書になればと願いつつ執筆した。
なお登場人物の敬称は略した。
国民の「給料が低くて生活が苦しい!」という声に対して、政府は「景気は緩やかに回復している」と答える。どうしてこうも食い違うのか。2025年1月新刊『景気はなぜ実感しにくいのか』より「はじめに」を転載します。