2020年から世界に蔓延した新型コロナウイルスは、国際情勢を大きく変えた。
ヒトとモノの動きが不活発になり、大学では海外プログラムが停止し、留学生もほとんど入って来なくなった。そのような中、衝撃的な出来事が起きた。2022年2月2四日、ロシア軍がウクライナに一方的に侵攻を開始したのである。私は、そのテレビ報道にくぎ付けになった。キーウに我が大学を卒業した親しい留学生の卒業生がいたからである。私は2012年にキーウに出張に行き、その卒業生の家に招待され、穏やかで親切なご両親と生まれたばかりの愛くるしい男の子に会っていた。その時のキーウは平和で豊かで活気ある美しい古都であった。
コロナ以降、多くの国は自国防衛に追われ、保護主義的な風潮が強くなった。その風潮の中で専制主義、新権威主義、個人独裁政治が拡大し、容認されるようになった。資本主義と民主主義は、グローバル化する世界の中で普遍的価値になりつつあると思い込んでいたのは、西側の自由主義陣営の人間だけだったようである。現在、「挑戦を受ける民主主義」が学会の議題になっている状況である。
ロシアは独自のコロナ対策を実行する過程でプーチン大統領の個人独裁体制が進んでいった。また、中国は習近平国家主席が「ゼロコロナ」政策を打ち出し、厳しい管理体制を敷く中で自身の権力基盤強固にし、その地位を恒久化した。さらに、北朝鮮は国際的な監視体制が緩くなった状況下で金正恩労働党総書記が核とミサイルの開発、発射実験をとめどなくおこなうようになった。
プーチン大統領は西側の経済制裁とウクライナ支援に対抗して、中国と北朝鮮に急接近していった。ロシアのウクライナ侵攻から1年が経った2023年3月20日、モスクワのブヌーコボ空港に降り立った習近平国家主席は午後プーチン大統領と会談したが、プーチン大統領はその冒頭で「中国はこの数年で飛躍的な前進を遂げ、全世界から関心と羨望を集めている」(新華社通信)と、最大級の賛辞を述べた。
歴史研究を生業としている筆者は、2人の姿を感慨深く眺めた。コミンテルンの指導により1921年7月に成立した中国共産党率いる毛沢東をソ連共産党書記長であったスターリンが「マーガリン共産主義者」と揶揄し、中華人民共和国成立2カ月後の1949年12月にモスクワを訪ねた毛を冷遇したことを思い出したからである。その時の毛の暗い目は、忘れられない歴史の1コマとなっている。
それから75年、両国の力関係は大きく変わった。現在、援助を渇望しているのは中国ではなく、1991年12月に最大の社会主義国であったソ連邦を解体させ、版図を縮小したロシアである。2010年に国別GDPで日本を抜き、世界第2位の経済大国に躍り出た中国は、アメリカをも抜き去る可能性を取りざたされるまでになった。また、北朝鮮もロシアに武器を供与し、兵を派遣することで、その存在価値を高めようとしている。
東アジアは、きわめて特殊な地域であるといえる。なぜなら、冷戦構造が戦後の朝鮮半島と中国の相次ぐ分断によって、固定化したままであるからだ。1945年8月15日に日本の植民地支配から独立した朝鮮は、48年に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とが相次いで成立したことで分断し、対立が激化した。その結果、朝鮮戦争が50年6月に起きたが、53年7月に休戦してその状態が現在も続いている。また、日中戦争に勝利した中国ではその直後の46年に起きた中国国民党と中国共産党の内戦の結果、49年10月1日に中華人民共和国が成立したが、その年の12月にそれまで中国を支配していた中華民国(中国国民党)が台湾に移転したため、現在も分断状態が続いている。
2018年、その1つが解決に向かって動き出した。北朝鮮の非核化と朝鮮戦争終結宣言実現のための南北朝鮮、および米朝首脳会談が開催されたことは、歴史的な出来事といえる。しかし、その交渉は難航を極め、解決されないままにコロナ禍となり、対立の先鋭化を結果的に招いた。
東アジア分断の直接の原因の1つには、ソ連とアメリカとの勢力争い、すなわち冷戦の影響があることは当然であるが、その起源をたどると、東アジアの近代化のあり方に往き着く。
江戸時代、日本が「鎖国」をしていたことはよく知られているが、同時に中国と朝鮮も同様の「鎖国」をしていたことはあまり認識されていない。すなわち、近代以前の東アジアは、地域全体で封鎖的な対外政策を採っていたのである。同地域がいわゆる「西洋の衝撃(western impact)」によって開国を余儀なくされたのは、19世紀半ば近くになってからであるが、その受容の仕方から3国のたどった途は大きく異なることになった。
東アジアの現状と相互関係を理解するためには、歴史的な視点からの分析が必要となる。同地域の地域的なまとまりは、古代から見られた。気候的にはモンスーンの影響を受けて四季があり、稲作・麦作を営み、中華文化圏の範疇にあり、漢字、仏教、儒教、律令制度、食文化などの伝播が見られ、中華思想も一定限度まで許容された。しかし、海によって隔てられるという地理的な特色をもった日本では早くから自律的な文化、天皇制を基盤とする政治体制、社会発展、対外政策が育まれ、独自の近代を迎える素地が作られた。
本書であつかう東アジアの国と地域である中国、日本、韓国、北朝鮮、台湾は、その経済力と軍事力、人口の多さからアジアだけでなく国際的影響力も増大している。それらの国と地域は、北京、東京、ソウル、台北のどの都市を起点にしても互いに3時間前後で到着する近距離にある。そのため、留学、観光、ビジネス、貿易など人の移動と流通が盛んであり、歴史的にも相互依存の関係にあることは疑いもない。
しかし、地理的緊密性に反して、そこに生活する人々の心の距離は決して近いとは言えない。日本の内閣府が毎年おこなっている「外交に関する世論調査」の2023年9月版によると、中国に「親しみを感じない」「どちらかというと親しみを感じない」と回答した人は昨年より増加し、86.7%になった。この数値は、ウクライナ戦争を仕掛けたロシアの95.3%に次ぐ高さとなっている。
東アジアでは近代化の速度に大きな違いが見られた。アジアで一番早く近代化を達成した日本は、イギリスを初めとする西洋列強を模倣し、産業革命を起こし、資本主義を導入してヨーロッパ型の憲法を制定し、「一等国」の仲間入りを目指して植民地を求めるようになった。伝統的な支配体制と華夷的世界秩序(中華世界)の維持にこだわった中国と朝鮮は、近代化の速度が遅く、急速な成長を遂げる日本の対外拡張政策に巻き込まれていった。今も残る東アジアの歴史認識問題は、このタイムラグがもたらした結果とも考えることができる。
本書の大きな目的の1つは、東アジアという地域の歴史を世界の中に位置づけて再構築し、その現状をグローバルな視点で分析することにある。歴史のグローバル化への取り組みは、高校の歴史教科書でも進行し、2022年度から「歴史総合」が必修科目としてスタートした。これは、至極当然の動きであるし、遅すぎる決断であったともいうこともできる。一国史などというものは本来成立せず、歴史の縦割りは、意味をなさない。歴史は輪切りにし、それを積み重ねてこそ真の理解ができる。本書の執筆にあたり、この命題を自らに課することとした。
家近亮子『東アジア現代史』より「はじめに」を転載します。