はじめに
いつかは自分も本を出してみたい。小説が好きで、読んでいると、そう思うことがありませんか?
わたしは中学生のころから小説家になりたくて、授業中によくサインの練習をしていました。
もしあなたが小説を書いて出版されるなら、それは何を、どんなふうに書いた文章でしょうか?
小説には自分のことをそのまま書くわけではありません。でも密かに大切に思っていたことや、誰にも言わなかった秘密など、自分自身の人生を投影した物語を書くこともあります。
普段の生活では、そんな大切なことを誰に話そうか、どんなシチュエーションのときに話そうか、それとも黙っていようか、自分で決めることができます。家族や先生や友達と会話するときも、あなたもいつも自然と、何を話すか、何は話さないかを選んでいると思います。わたしもそうしています。たとえばいじり体質の人には推しの話はしないでおこうかなぁ、とか。大切なことを小声でそっと話すとき、そこにはわたしの裸の心があるからです。
あなたがもし将来、小説に大切なことを書いて出版したら、でも、この状況は一変することでしょう。
身の回りの親しい人も小説を読んでくれたりします。たくさんの知らない人たちが読者になり、さまざまな感想を持ってくれます。つまり小説を出版することには、不特定多数の人に、衆人環視のもとで自己開示するという面もあるのです。
小説を一生懸命書いて、誰かに読まれたいと願って、それなのにいざ読まれるとなると辛いことも起こります。矛盾しているかもしれませんね。
わたしは、小説家という仕事には〝読まれることそのものの痛み〞がつきものなんじゃないかと思っています。
解釈されることは、傷を受けることだからです。
自分自身の魂を削って書いたものを、いろんな人がいろんなスタンス、いろんな態度で読んでくれます。一度出版された本にはそれが半永久的に続きます。
そんな時間の中で、わたしは25年、小説家という仕事を続けてゆっくり歩いてきました。
この本のタイトルは『読まれる覚悟』です。あなたはこれをどういう意味だと思って手に取ってくれたでしょうか?
わたしはというと、「小説を出版したからには、誰にどんな感想を言われても仕方ない」「それを我慢できないのは、プロとしての覚悟が足りないせいだ」という意味ではないと思っています。でも「作者は自分なんだから、誰にも何も言わせないぞ」ということでもないと。
この本では、あなたが将来小説家になったとき、心をなるべく平穏に保ちながら、読まれる立場に身を置きつづける方法についてお話します。
小説家による「小説の書き方入門」はありますが、「小説の読まれ方入門」はなかなかなかったのではないかなと思っています。
一章では、小説が出版されたときに起こること。
二章では、一般的な読者の方にどう読んでもらうか。
三章では、批評家や書評家の方と共存する方法。
四章では、ファンダムがある作品の原作者になること。
この順番で(ときどき話が脱線しながらも)書いていきたいと思います。
では、あなたにしばらくお付き合いいただけたら幸いです。
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