選ばない仕事選び

第19回 仕事のことは後回しに

連載第19回 仕事には偶然出会う。それは本当に、必ず出会うから、焦らずに、目の前に転がっているいろんなものに興味をもって関わるのも大事!

長い休みが終わりに近づくと、いつも僕はこれは何かがおかしいと感じる。どうしてずっと休みが続かないのか。どうして働かなければならないのか。おかしいじゃないか。動物も植物も働いていないのに、なぜ人間だけが働かなければならないのか。まるで働くことが日常で、休みが特別のように僕たちは思わされているけれど本当は逆じゃないのか。休みが日常で働くことが特別なんじゃないのか。ああ、休みよ僕の日常よ終わらないでくれ。

 

あまり焦らなくていい

 

さて、これまで僕は「仕事のほうが君を選ぶのだから、君は仕事を選ばなくていい」と何度も書いてきた。人には向き不向きがあるし、好きか嫌いかはやってみなければわからないから、誰かを傷つけたり人を騙したりするような、これは絶対にやりたくないと思うもの以外は、とりあえず何でもやってみればいいとも書いてきた。やってみて、どうも自分には合わないなと思えば辞めればいいだけのことなのだからね。

 

学校の先生や保護者は、君の性格や得意不得意を考えてアドバイスをしてくれているのだろうけれども、彼らは世の中にどんな仕事があるかをぜんぶ知っているわけじゃない。自分の知っている範囲の中であれこれ言っているだけだから、適当に聞き流しておけばそれでいい。

大人たちは、さあ君は将来どんな仕事をしたいのか、どんな職業に就きたいのか、そろそろ進路を決めなさいと軽く重くプレッシャーをかけてくるだろうけれども、別に焦る必要はない。仕事について具体的に考えるのではなく、自分は将来どんな人間になりたいのか、どういう行動をしたいのかをぼんやり考えておくほうがいい。

 

仕事のことは後回しに

 

そのうち君は仕事に偶然出会う。必ず出会う。仕事が君を選んで向こうからやって来る。仕事そのものに出会うこともあれば、その仕事をしてみたいと考えるきっかけに出会うこともある。

パイロットにしても医者にしても、パン屋にしても整備士にしても、豆腐屋にしても銀行員にしても、君がその仕事に興味を持ったきっかけ、その道へ進みたいと考えたきっかけとなる何かに、君は偶然出会っている。

今の日本社会で生きている限り、仕事は必ずやってくる。

とりあえず一つの仕事をしているうちに、新しい別の仕事に出会って、今度はそちらに選ばれることだってある。とにかく仕事は君を選んでくる。

 

僕のように「もう働きたくないのだ。ずっとゴロゴロしていたいのだ」とこんなにダダをこねていても、やっぱり働いているのだぞ。どうやったって逃げられないのだ。

だから、どんな仕事をしたいのかが分からないと慌てる必要なんかない。仕事のことを考えるのは後回しにして、目の前に転がっているおもしろそうなことに時間を使えばいい。そうやって、そのうち仕事が君を選んでくれるのを、のんびり待っていればいいのだ。

 

どんな進路を選んでも変わらないこと

 

そうは言っても、現実には進路を決めるために、何かを選ばなきゃならないってこともわかる。僕だって中学生や高校生のころには、たいして考えはしなかったけれども、いちおう進路を選んだわけだからね。

 

かつて何かを選んだ大人として僕に言えることは一つだけだ。

それは、たとえどんな進路を選んだとしても必ず後悔するってこと。誤解しないで欲しいのだけれども、選んだ進路が間違いってことじゃない。むしろその逆で、どんな進路を選んでもだいたい正しいと僕は思う。

何をどう選んでも、長い時間が経てば、ああこれでよかったんだと思える瞬間に僕たちは必ず出会う。たいしておもしろくないと思っていた仕事が、急におもしろくなる瞬間がある。

でも、その一方で、あのとき選ばなかったほうの道を歩いている自分の姿がチラチラと遠くに見え隠れもする。もしもあっちを選んでいたらと後悔する瞬間が訪れる。儲かったかもしれない。周りからチヤホヤされたかもしれない。他人に自慢できたかもしれない。そんなふうに考えて後悔する。

でも僕たちは二つの人生を同時に歩むことはできない。もう一つの道を歩いていたとしたら、君は向こう側からこっちの道を眺めて、やっぱり同じように後悔するのだ。

これで良かったんだと思う気持ちと、どこか後悔している気持ちが複雑に混ざり合いながら、僕たちは生きていく。

 

何を選んでもたいして変わらない。それを知っていれば、急いで何かを選ばなきゃと焦る必要もなくなるはずだ。

繰り返すけれども、大切なのはどんな仕事をするのかじゃない。どんな人間になりたいのか。どんな人生を送りたいのかだよ。