俺は固まったように立っている二人に目をやった。
「だって、おまえら、一緒に踊りたくないんだろ? さあ、これで、望み通りになったぞ。お互い、時間の無駄は省こうぜ」
俺がスマホの画面に指を当てると、フランツがサッと手を上げた。
「待ってくれ、JUN」
掌をこちらに向けて、止める。
「誰も呼ばないでくれ。僕はこの役を降りたくない」
俺はスマホを下ろした。
「ハッサンも、だろ?」
フランツがそう言ってハッサンを見ると、ハッサンも素直にこっくりと頷いた。
「悪かった。これまでの態度、謝る」
静かに言うと、フランツは俺たちを見回した。
「そもそも、もしこれがジャン・ジャメだったら、誰もが四の五の言わずに踊ってたはずだ。たぶん、僕らは、人気振付家になったHALに駄々をこねられることに、優越感を覚えてたんだろうな。要は、彼に甘えてた」
フランツがハッサンを見ると、彼も決まり悪そうに「かもな」と頷く。
「代役リストの筆頭は、誰だ? グレゴリーか? それとも、タイロンあたりか?」
言い当てられたのでぎくっとしたが、俺は顔には出さず「それは内緒だ」と答えた。が、フランツはそれが答えだと見抜いたのだろう。
「やっぱりな」
フランツはニヤリと笑った。
「彼らにこの役を譲るわけにはいかないな。ハッサン、振付家を呼び戻しに行こう」
「おうよ」
二人して出て行ったので、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「JUN、グッジョブ」
ヴァネッサが親指を立てたので、俺もそうする。内心、ヒヤヒヤものだったので、俺は深く安堵の溜息をついた。
ヤツは、中庭のベンチでフテ寝していたらしい。
が、後でゆうゆうと俺のところにやってきて、「あとは深津がなんとかしてくれると思ってた」とニッコリ笑っていけしゃあしゃあと言った。
いったん、わだかまりが消えてしまうと、この五人で踊るのは、めちゃめちゃたいへんなのと同時にめちゃめちゃ楽で(矛盾しているが、それが実感だ)、めちゃめちゃ振付の難度も上がったけどめちゃめちゃ面白かった。
バジルやデジレ王子を踊って一人スポットライトを浴びるのもいいけれど、誰が観客の視線を奪うかを争うスリルと、誰もが同等というチーム意識はハンパない安心感だ。常に先頭に立って舞台を引っ張っていかなければならないプリンシパルクラスになると、なかなかこの面白さは味わえるものではない。
しかも、バレエ学校時代から知っているメンバーだ。打てば響く。クリアにイメージが共有できる。全く死角がない。ハルの振付に、皆が遅れることなくついていくし、遠慮なく意見できる。
ひと口に身体能力の高さ、といっても、このレベルになると、そこにもいろいろ個性があるものなんだな、と改めて思った。おのおのが自分の身体と長年対話しつつ育ててきた技術には、それぞれの哲学や方法論があって、それが踊りのカラーにもなっている。
特に、フランツとハッサンが一緒に踊っているのは、見ていてビジュアル的にも面白かったし、ためになった。フランツのあくまでも端正かつ比類なき正確な技術、ハッサンの有機的で卓越したエモーショナルな技術。技術の高さは同じくらい極まっているのに、それぞれの個性は全く異なり、「対照的」で興趣をそそられるのだ。この二人のガチのDUOを見てみたいな、と思った。
二人も、互いの踊りが興味深いらしく、しげしげと互いを観察しているのが分かった。
手を取り、ポーズを決める時も、「ふうん」「なるほどね」と、何か得心したように、しばしば呟いている。
ある時、ヴァネッサをリフトするハッサンの動きを見ていたフランツが呟いた。
「――前から思っていたけど、ハッサンは、フィッシュダイブやリフトでパートナーを受け止める時に、面で受ける傾向があるな」
「面?」
「密着しすぎだと思う」
フランツは掌と掌を合わせてみせた。
「密着すると、どうしても離れるのにほんの少し余計に時間が掛かる。つまり、次の動きに移るのが遅れる。だから、パートナーは、どこかで辻褄あわせをすることになる。そこが見ていると気になる」
ハッサンは素直に聞いている。
「卵を投げられた時に、まともに受け止める奴はいないだろう。衝撃を受け流すようにして、手と卵のあいだに空気が挟まるよう、ふわっと包むように受け取るはずだ」
フランツは、卵を受け取る動作をした。
「僕はいつも剣と鞘をイメージしてる」
「剣と鞘?」
そう反応したのはヤツだった。
「そうだ。よくできた剣と鞘は、吸い込まれるようにピッタリはまる。その時、剣と鞘は密着してるわけじゃない。ほんの少しの『あそび』があって、鞘の中に剣が浮いている状態だ。だから、すぐにまた剣を抜くことができる」
フランツは剣を抜く仕草をして、淡々と続けた。
「鞘があるべき形であるべき位置にあれば、剣はそこに吸い込まれるように収まるし、すぐに次の動作にも移れる。だから、密着しすぎちゃダメだ。複数の点で支えて、常にパートナーを浮かすようにしておかないと」
「へえー」
皆が、感心したように唸った。
「フランツが、技術について説明するの、初めて聞いた」
「なるほどだなー」
「フランツのサポートが踊りやすいのは、そういうふうにしてたからなのね」
「すごく分かり易いよ。もっと、そんなふうにどんどん指摘してくれればいいのに。なんで黙ってたのさ」
「なんでって」
フランツは、面喰らったように目をぱちくりさせた。
「今まで、誰にも聞かれなかったからだよ」
「何これ、きっつー」
「いくらなんでも、このポーズ維持すんの、不可能じゃねえ?」
「なんだか、バレエ学校時代を思い出したわ」
「俺も」
「さんざん、無茶なポーズさせられたよな」
「いきなり浮世絵とか出してきて」
「これと同じのやってって言われた」
「エッシャーの絵がなかったか?」
「あったあった。あんなの、どうやれっていうのよ」
「HAL、あの絵はあくまでも人間の動きを誇張してるんであって、あれを写実的にやろうなんて無理だよ」
「できるできる。みんな、もうちょっと傾けてくんないかな?」
「五人で手を繋いでそれやったら全員倒れるっての!」
床から後ろの壁の天井際まで、一面ブルー。床と壁の境目の部分は湾曲していて、客席から見れば、天井までひとつづきの大きなブルーに見える。その中で全身ぴったりの赤の衣装で踊る俺たちは、本当に、マティスのあの「DANCE」の絵が動いているみたいだと言われた。
幕が上がると、舞台には手を繋いだ五人が輪になって床に横たわっている。
静かに流れ出す「ラブ・バードの転生」。ゆったりと身体を動かし、徐々に起き上がる五人。床に寝転がり、はいつくばるような踊りが続く。
やがて、曲はゆったりとしたグルーヴ感あふれる「グッド・バイ・ポークパイ・ハット」に。五人は手を放し、起き上がり、気だるげに、うねるような動きのブルージーなダンス。
「ソー・ロング・エリック」になると、ガラリと変わってシャープな踊りとフォーメーション。五人がめまぐるしく入れ替わり、からみあい、先鋭的なリフト、ピルエット、リフト、リフト。
そして、クライマックスのナンバー、「ガンスリンギング・バード」では激しくスピーディーな、めくるめく祝祭のダンス。
五人が入り乱れ、即興のように踊りまくるシーンも、すべて皆、完璧に振付けられたもので、ヤツの緻密な計算に基づいている。更に、十分近い長いシークエンスで、超絶技巧の凄まじく複雑なステップと全身を大きく使った五人のユニゾンは、我ながら神がかっていて、踊り続けるにつれて客席からどよめきのようなものが上がり、完璧に同期している一体感と、痺れるような恍惚感があった。
そして、ラスト。中央に五人で集まり、天を仰いでキメのポーズ。
怒涛のような凄まじい喝采に包まれ、目の眩むような快感を覚えた。
ヤツを真ん中に、みんなで肩を組んでカーテンコールに応えつつ、幸せだ、と思った。アドレナリンの出まくった、皆の輝くような笑顔が脳裏に焼きつく。
今だけだ。二度と来ない時。儚い刹那。それだけに、それだからこそ、愛おしい。
踊ること、踊れたことの幸福を、俺はしっかりと噛み締める。
俺は、幸せなダンサーだ。
(第四話 了)