単行本

人間の愚かさを回避する「分散型」の夢と現実
『イーサリアム創世記』書評

ビットコインに次ぐ時価総額を誇る暗号通貨プラットフォームであり、ブロックチェーン技術分野において注目を集める「イーサリアム」。その誕生から発展までの狂騒的ともいえる内幕を膨大な取材から克明に描き出したノンフィクション『イーサリアム創世記』(ローラ・シン著、中山宥訳)が刊行されました。本書の読みどころを、『書物と貨幣の五千年史』などの著書がある書評家の永田希さんにご紹介いただきました。(PR誌「ちくま」2025年1月号からの転載)

 イーサリアム。この名称は、19世紀まで物理学で信じられていた「エーテル」という概念に由来します。エーテルとは、光や電磁波が伝わるために必要と考えられた目に見えない媒質のこと。日本の宮沢賢治の代表作『春と修羅』にも「光素」として登場するこの概念は、アインシュタインの相対性理論によって否定されることになります。しかし「見えないけれどもそこにある何か」という考え方は、まずイーサネットというコンピューターネットワークの規格名に受け継がれ、そしてさらに暗号資産(仮想通貨)の名前の原型となったのです。

 イーサリアムは、ビットコイン(BTC)に次ぐ時価総額をもつ仮想通貨「ETH」として、一部ではよく知られています。「BTCは金、ETHは銀」と言われたくらいです。ETHが、ビットコインという「最初の仮想通貨」に次ぐ地位にあるのは何故でしょうか。それは、イーサリアムがビットコインにはない機能を持っているからです。イーサリアムは、ビットコインの基礎技術でもあるブロックチェーンを使っていますが、ブロックチェーンの上に分散型のアプリケーションを構築することを可能にするプラットフォームでもあるのです。とはいえ、ビットコインすら「名前は聞いたことあるけれど、よくわからない」という人が大半でしょうから、「ビットコインに次ぐ」と言われても、さらによくわからないという印象は避けられないかもしれません。しかし実は、この「よくわからない」という感覚こそ、暗号資産の本質に関わっているのです。

 まず、そもそもビットコインの技術を発表することで、仮想通貨という考え方を打ち出したサトシ・ナカモトは、その正体からして「よくわからない」存在です。ナカモトは、国や銀行による中央集権的な通貨管理に対して、管理を分散化する仕組みを考案しました。人間による政治が介在しないコンピュータネットワーク(ブロックチェーン)によって、通貨を中央集権から解放しようとしました。ここで使われるのが暗号化の技術。文字通り、それが何であるのかを「よくわからない」ものへと機械的に変換し、条件が揃わなければ復元できないようにする技術です。

 もっぱら決済機能を担うビットコインに対して、ブロックチェーン上にスマートコントラクトという契約機能を載せたのがイーサリアムです。これにより、分散型アプリケーション(DApps)の開発が可能になりました。このスマートコントラクトによって、イーサリアムは単なる仮想通貨にとどまらないプラットフォームとしての側面を持つことになります。従来型のアプリは提供者が中央集権的にサービスやデータを管理するため、強権的な改変やデータの悪用リスクがあります。一方、DAppsは分散化されているため、民主的な合意なしにサービスを変更することはできません。……理念的には。

 二十歳にもならない若者だったヴィタリック・ブテリンらが開発したイーサリアムは、人間の愚かさを回避する分散型の夢の結晶といえます。本書を読めば、「優しい独裁者」と呼ばれるブテリンが、強権を行使するのをどれほど躊躇いつつ開発を進めてきたのかがわかります。テクノロジー企業の天才的な富豪たち(ジョブズ、マスク、ザッカーバーグなど)が、多くの仲間を苦しめながら成功を手にしてきたのとは対照的です。

 しかし皮肉なことに、イーサリアムも分散型組織のジレンマと無縁ではありません。ブテリンは「穏やか」ではあるものの、確かな中心であり、結局その周辺では権力のぶつかり合いが絶えません。分散化を実現するためには、その基盤を中央集権的に開発せざるを得ないというジレンマが避けられないのです。分散化を目指しても中央に権力が集中してしまうジレンマは、あらゆるプロジェクトの宿命なのかもしれません。

 現在イーサリアムは、価格が史上最高値を更新し続けているBTCと比較すると相対的に地味ですが、少し前にバブルになって注目されたNFTや、今後の展開が注目されているDeFiにも深く関わっています。本書を通じて、技術面が「よくわからない」人でも、とても人間くさい群像劇という「よくわかる」領域を覗くことができるでしょう。



誕生、内部抗争、危機――
早熟の天才ヴィタリック・ブテリンと
共同創業者、起業家たちの群像劇
『イーサリアム創世記』

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