はじめに
あなたは朝起きてから、まずは何をしますか? 歯磨きをして顔を洗いますよね。それから朝食でしょうか。
歯磨きや洗顔料は、どこかの店で買いましたよね。朝食の材料も、あらかじめ買ってあったはずです。
買い物はどこでしましたか? 全部インターネットで買っているという人もいるかもしれません。あなたがどこで何を買うか、無意識のうちに判断しているはずです。これらは実はすべて経済活動なのです。あなたは朝起きてから夜寝るまで、経済活動とは切り離せない生活をしているのです。
経済とか経済学とか聞くと、なんだか難しいことのように思えるかもしれませんが、すべては私たちの生活に関わるのです。
あなたが買い物をするときには、当然のことながら値段を気にしますよね。その値段は、どうやって決まるのでしょうか。「需要と供給」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。「需要」とは「欲しい」「必要だ」という意味で、「供給」とは「提供します」「渡します」という意味。つまり「買いたい」という人が「需要」の立場、「売りたい」という人が「供給」の立場です。
ある商品が欲しいという人が多ければ、その商品を持っている人は強い立場になりますね。「売ってあげるよ」と、まるで上から目線のような態度になるかもしれません。
一方、欲しい人が少ないと、売るための商品をたくさん抱えている人は焦ります。「どうぞ買ってください」とへりくだった態度に出るでしょう。すると、今度は買う側が、「買ってやってもいいぞ」と上から目線になります。
私たちの社会では、あらゆる商品やサービスが、こうして売買されています。えっ、サービスが売買されるって、どういうこと? と思いますか。これは、具体的な物の形になっていないけれど値段がついて売買されるものをいいます。たとえばマッサージ代や美容院のカット代などですね。こうした料金も需要と供給の力関係で決まっていきます。
このように商品やサービスが売買される社会は「市場経済」と呼ばれます。「市場」とは、「いちば」と発音するのではなく、「しじょう」と読みます。「いちば」は、魚市場や青果市場のように、商品を売りたい人と買いたい人が集まってセリを行い、値段がついていく、その具体的な場所を指します。
これに対して「しじょう」とは、世の中の商品の値段やサービスが、売りたい人と買いたい人の数によって決まる仕組みのことをいいます。具体的な場所があるわけではなく、バーチャルなイメージです。
商品を売りたい人は、少しでも高く売れるように、商品の品質を良くしようとします。魚だったら、獲れたての新鮮なうちに売ろうとします。野菜なら、新鮮で、形のいいものを売りたいと考えます。
一方、買う側は、少しでも安く買いたいですから、いいものを安く売る人を見つけようとします。売る側も、買う側も、激しく競争するのですね。
その結果、私たちは、新鮮な魚や形のいい野菜を、それほど高くない値段で食べることができるようになっています。
こうして、私たちの社会では、「競争によっていいものが生まれる」という考え方が定着しました。これについては、本文でさらに詳しく説明します。
「市場の失敗」もある
ところが、「市場経済」はいいことばかりではありません。かえって悪い結果になることもあるのです。これを「市場の失敗」と呼びます。
会社同士が激しく競争することで、消費者にとっていい商品やサービスが提供されるようになれば、「市場経済」はとてもいいことです。
しかし、激しい競争の結果、大企業が勝ち、それ以外の会社がつぶれてしまったら、その会社で働いていた人たちの仕事がなくなります。
また、競争相手が姿を消せば、生き残った大企業は、商品やサービスの価格を値上げするかもしれません。そうなったら、かえって消費者に不利になってしまう可能性があります。これが「市場の失敗」です。
これを防ぐには、どうしたらいいでしょうか。そこで考えられたのが、「独占禁止法」という法律です。
競争で勝ち残った会社が勝手なことをしないように取り締まるものです。会社同士が健全な競争をすることは大事だけれど、その結果、かえって不公正なことになる危険性があるので、それを防ぐという狙いがあります。
経済学は「資源の最適配分」を考える学問
こうした可能性を考え、社会のみんなにとって一番いい経済の仕組みを考える。これが「経済学」なのです。
経済学と聞くと、なんだか「金もうけ」の学問のような気がするかもしれませんが、そうではないのです。確かに経済学を勉強し、その知識を生かしてお金持ちになった人もいます。しかし、それが主な目的ではないのです。
世の中に「経済学者」と呼ばれる人は大勢いますが、みんながお金持ちというわけではありません。私は毎年、ある大学の経済学部に呼ばれて、新入生に経済学について話をしています。このとき「経済学の専門家だって、みんながお金持ちというわけではないんだよ」と言うと、学生たちの後ろで私の話を聞いていた先生たちが苦笑いします。暗に「その通りだよ」と認めているのです。
経済学とは、実は、「資源の最適配分」を考える学問なのです。この場合の「資源」とは、食料や燃料がもちろん含まれますが、それだけではありません。人材つまり人間の労働力も含まれます。地球上の資源は限られています。限られた資源を、最適に配分することを考える学問です。
一方に大量の食料が余り、もう片方では食料不足で苦しむ人がいる。これが現実の世界です。もしあふれている食料を、足りない人たちにうまく配分することができたら、世界はずっと平和になることでしょう。
世界には、若くて体力があり、「働きたい」と思っているのに、仕事がなく、失業している人たちが多くいます。働けるのに働けないということは、社会の中で、自分が意味のない存在に思えてしまいます。「自分は世の中のために役立っていない」という思いは、その人の人間としての誇りを失わせるものです。
その結果、犯罪に走ったり、テロを実行したりするようになりかねないのです。
一方で、人手不足で困っている社会もあります。こんなアンバランスを解消できたら、この世の中は、もっと住みやすくなることでしょう。
これが「資源の最適配分」を考えるということなのです。経済学の研究を志した先生たちは、「世の中を少しでも良くするにはどうしたらいいか」と理想に燃えて学問の道に入ったのです。
イギリスの有名な経済学者アルフレッド・マーシャルは、「クールヘッドとウォームハート」(冷静な頭脳と温かい心)という言葉を残しました。世の中の仕組みを分析するには「冷静な頭脳」が必要だけれど、世の中の人々のためになるにはどうしたらいいかという「温かい心」を忘れてはいけない、と言ったのですね。

でも、これは経済学に限ったことではありませんね。社会のさまざまな問題を解明して解決しようとする人たちに共通する重要な姿勢です。
さあ、まずは経済学の初歩から考えていきましょう。
第1章 ものの値段はどう決まる?(一部抜粋)
日米の金利差で円安になった
このところ日本(一方、このところから変更)は「円安」です。以前は1ドルが100円だったこともあるのですが、2023年から2024年にかけては1ドルが150円になりました。1ドルが100円のときは、たとえば1ドルのチョコレートを買うのに100円で住みましたが、1ドル150円になると、150円も出さないと1ドルのチョコレートが買えません。これは、それだけ円の値打ちが下がったので、「円安」といいます。
円高や円安は、アメリカのドルとの比較なのです。では、いくらなら円高でいくらなら円安なのか。実は、決まった金額はないのです。前の日に比べて価値が下がったら円安といい、前の日に比べて価値が上がったら円高と表現します。あくまで相対的なものなのですね。
では、どうして円安になったのでしょうか。日本は1990年代以降、不景気が続いてきました。景気を良くするためには、企業活動をする会社に、元気に活躍してもらわなければなりません。そこで銀行は、お金を貸し出す際の利子を減らしたのです。利子の率のことを「金利」といいます。金利については、後で改めて説明します。
金利が下がれば、お金を借りた会社は、返さなければならないお金が減ります。「それなら得だから、お金を借りて新しい仕事を始めよう!」と会社が考えてくれれば景気が良くなるだろうと考えられ、低い金利が続いていたのです。
これは、「お金を借りたい」という需要が減ったので、「お金を貸したい」という供給の値段が下がったという見方もできます。
一方、アメリカは好景気が続いてきました。いろんな会社が発展するためのお金が必要になり、銀行に対して「お金を貸してくれ」という会社が増えたのです。これを経済用語では「資金需要が高まる」と表現します。つまり、お金に対する需要が増えたのです。
そうなれば、お金を貸す銀行は上から目線となり、「貸してあげてもいいけど、利子を多くもらうよ」と、金利を引き上げてきたのです。

その結果、日本の金利は低いままなのに、アメリカの金利は高くなりました。そうなると、お金持ちは、「日本で銀行にお金を預けていても増えないけれど、アメリカの銀行に預ければお金が増える」と考えて、円をドルに替える人が増えます。ドルの需要が増えたので、ドルの価値が上がったのです。これを経済用語では「日米の金利差で円安ドル高になった」と表現します。
(イラスト=藤井龍二)
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