選ばない仕事選び

第20回 仕事選びに正解はない

連載第20回 正解を見つけるのがいいことだと思い込んでいるし、正解を選ぶと最短で近道な気がするけれど、本当にそうだろうか? 人生には正解がないのだから、時間がかかっても回り道でも大丈夫。そう思って進もう!

夢中で遊んでいた

 幼いころに、泥んこ遊びやままごとをした経験はみんなにもあると思う。さあ、自分がどんなふうに遊んでいたかを君は覚えているだろうか。泥だらけになっている自分が周りの人からどう見られるかだとか、ままごとに使っている人形たちの関係がこの先どう変わるだろうかなんてことは考えなかったと思う。おもしろい、楽しい、不思議だ、そんな気持ちだけで遊び続けたんじゃないかな。

 泥んこ遊びにしても、ままごとにしても、正しい遊び方なんてものはない。おもしろければ、楽しければそれでいいわけで、だから余計なことを考えず、とにかく目の前にあるものに夢中になれたんじゃないかな。

 でも、僕たちはいつのまにか、周りにどう見られるか、この先どうなるのかなんてことを意識するようになる。いったい何が正しいやり方なのかを考えるようになる。

学校には正解がある

 学校で習うことには、だいたい正しい答えがある。ほとんどの試験問題には正解がある。テストで正解すれば褒められ、間違えれば叱られたり小馬鹿にされたりする。そうやって僕たちは歳をとるにつれて、どんどん正解を探すようになっていく。正解が成績につながって、成績が将来につながると思い込まされているから、正しい答えを見つけることが何よりも重要だと思うようになる。

 幼いころはあれほど何も考えずに遊んでいられたのに、だんだん遊びにまで正しいやり方を探すようになる。

 本の読み方、映画の見方、デートのやり方。ぜんぶ誰かがすでに用意している正解を探して、そのとおりにやろうとする。

人生に正解はない

 先生や保護者から「将来どんなふうに働きたいかを考えなさい」「どんな仕事をしたいかを決めなさい」なんてことを言われたときも同じだ。僕たちは「正しい働き方」や「正解の仕事」を探そうとして、そして困り果てる。どんな仕事をしたいのかわからない。やりたいことが見つからない。そう感じるのはたぶん正解を探そうとしているからなのだ。でも試験問題とは違って、人生や仕事選びには正解があるわけじゃない。いくら正解を探そうとしても見つかるはずがない。

 「正解がないなんて、どうしたらいいんだろう」これまでずっと、正しく答えることが何よりも大切だと教わってきたし、正しい答えさえできれば、だいたいうまくいったのに、急に正解のない質問を出されても困ってしまうよね。

 でも、ここでちょっと考えて欲しい。正解がないってことは間違いもないってことじゃないか。だから何を選ぼうとも、それは間違ってはいないはずなのだ。これまで君が探してきた正解は誰かが決めた正解だ。けれども人生には、誰かの決めた正解はない。君が自分で決めればそれでいい。

 積極的に仕事を選ばなくても、やがて自然に仕事が君のところへやってくるよ、だから急いで仕事を選ぶ必要なんてないよと僕が繰り返し書いているのは、そういうわけだ。

間違いや失敗は気にしない

 僕たちの暮らしている今のこの世界は、長い時間をかけて多くの人たちが見つけてきた「正解」の積み重ねでできているから、もちろん、正解を探すのは別に悪いことじゃない。むしろどんどん探せばいいと思う。

 けれども、あまりにも正解探しばかりをしていると、そのうちに「間違えたらダメだ」「失敗したら終わりだ」と思うようになる。そして、それはあまり良いことだと僕は思わない。間違えても失敗しても構わない。泥んこ遊びにも、ままごとにも、間違いなんてなかったことを思い出して欲しい。何も気にせず夢中で遊んでいたあの感覚さえあればそれでいいんだ。

 今だってきっとそうだ。友だちと時間を忘れておしゃべりをしているとき、趣味の楽器を練習しているとき、朝までゲームで遊んでいるとき、いちいち何が正しいかなんて考えていないだろう。正解も失敗もない世界を君たちはもう知っている。

正解探しはしなくていい

 将来、何らかの仕事に選ばれたときに、失敗しそうだから、間違いそうだからなんて躊躇う必要はない。苦手だから、迷惑をかけそうだから、なんて尻込みする必要もない。失敗しそうだからと泥んこ遊びを躊躇っただろうか。苦手だからとままごとをやめただろうか。おもしろそうだからやる。誘われたからやる。それくらいの感覚で構わないのだ。

 仕事選びに正解はないし、失敗もない。先生や保護者から「そろそろ将来の仕事を考えなさい」と言われたとき、正解を探して答える必要はないのだと知っておけば、もっと気軽に考えられるんじゃないかな。