
こんな本は読んだことがない
吉川 松沢裕作さんの最新刊『歴史学はこう考える』の刊行記念トークイベントにお越しくださりありがとうございます。今日は、この本の中にはあまり書かれていないことを中心として、買おうかどうか迷っている方にはこの場で買って帰っていただけるように、すでにお読みになった方にはすぐに再読したくなるようなお話を、松沢さんにしていただけたらと思っております。よろしくお願いいたします。
最初に、感想をちょっと述べさせていただきますね。じつは私は今回のご本の「進捗報告会」にちょくちょくお邪魔しておりました。こうしてめでたく本になり、また一から拝読したのですが、こんな本あんまり読んだことないな、とあらためて感じ入りました。
私も歴史に関する本は読むことは読むんですが、かなりライトな読者です。軽いって意味のライトですね。ふだん読んでいるのは、たとえばユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(柴田裕之訳、河出文庫、2023年)とか、マクニール『疫病と世界史』(佐々木昭夫訳、中公文庫、2007年)のような、一般向けの歴史読み物です。最近では、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーから出ている香川雅信『妖怪を名づける ─鬼魅の名は』(2024年)というダジャレみたいなタイトルの本を面白く読みました。
さて、今回の松沢さんの本が歴史読み物とまるっきり違うのは、まあタイトルからしても当然ですよね。かといって、巷で歴史学方法論とか歴史哲学と呼ばれるものに似ているかといえば、少なくともこれまで私が読んできたものとはぜんぜん似ていないように思います。これはひょっとしたら私の歴史に関する本を読む量が少ないだけかもしれず、そのあたり、実際のところ、松沢さんから見てもこの本は珍しい本なんでしょうか。
松沢 吉川さんが読んでいる本の量が少ないということは絶対にありえないと思いますけど(笑)。
今回の『歴史学はこう考える』は、歴史学の入門書とか方法論とかに属する本だと思うんですが、このタイプの本としてこういう書き方をした本はなかっただろうと思いますし、ないから書いたっていうところがありますね。歴史学の入門書では「歴史学入門」とか、大学の授業科目になると「史学概論」と名づけられていることが多い。そういうイントロダクションのための本というのはこれまでもたくさん出てきていて、最近もかなり出ているんですが、私のほうでは従来の本への不満というか、そこには足りないところがあるんではないか、と思っていました。
だいたいの場合、大学で「史学概論」という授業をやるときには、これは要するに歴史学を勉強しはじめた学生のカリキュラムの最初のところに置かれるんですよね。つまり、歴史学を勉強するのが前提になっている。だから、「とにかくやることになった以上はこうやってくれ」っていう話をするわけですよね(笑)。だから、「諦めてくれ」というか、「君たちは歴史学をやるんだからこれをやってくれ」っていう話なわけなんですよ。それで、どんな歴史学の入門書を見ても、一般的に史料批判というのが大事だと書かれているんですね。つまり、史料が残っていて、実際に起きた過去の出来事がある。そこから何か叙述を作るときには、その史料をどのように読むかといえば、注意深く読まなきゃいけない、と。非常に平たく言うと、「鵜呑みにしてはいけない」みたいなことが書かれているんです。しかもそれは、史料批判は大事なんだ、史料批判をしろ、という一種のお説教みたいな形で出てくるわけなんですよね。
「なんで史料批判が必要なのか」ということについては、歴史学が一続きの作業を通じて全体として何をやっているのかというのを明らかにしないと、納得してもらえないんじゃないかというのがありました。訳あってわれわれはこういうことをやっているわけですよね。史料批判がただ必要だからやるんじゃなくて、なんらかの事情がこっちにはあってやるわけで、そのなんらかの事情っていうのを説明しないといけないんじゃないか。そういうことを文章として書きたいというのがありました。
『歴史学はこう考える』という反省の書
吉川 歴史学科の1年生とか2年生とか、歴史学を専攻する人には、いくつかのセットがやるべきものとしてはじめから前提にされている、と。
かたや、そういう専門的訓練とはおそらく一生縁がないだろう私はといえば、『サピエンス全史』の「人類はン十万年前に虚構を信じる力を手にした」みたいな話に「おー!」と感動したりするわけです(笑)。あるいは具体的な歴史的事件、たとえば本能寺の変の真の黒幕は誰か、みたいなことに興味をもったりします。他方でものすごく抽象的な、たとえばホロコーストのように人間の認識の尺度を超え出てしまうような出来事に関して歴史認識はいかに可能か、みたいな議論に関心をもったこともありました。そういう意味で、両極端のものはそれなりに読んできた気がするんですが、「実際に松沢研究室では何をやっているのか」的なことはまったくもう、今回のご本を読んでその欠落にはじめて気づいたというところがあります。
松沢 これは、やっている人たち本人も分かっていない。自分でも分かっていないわけです。この本の基本的性格としていえば、全体的には反省、振り返りなんですよね。自分でふだん何をやっているか──まあ、この本では他人の論文も勝手に反省してますけど(笑)──、全体として振り返ってみて、歴史学っていうのは何をやっているのかを説明できるようにしなきゃいけない、と。これはそういう本なんだろうと思いますね。
吉川 なるほど。『歴史学はこう考える』という書名ではありますが、より内容に即していうならば、「歴史学(者)は何をしているか」のようなタイトルであってもいいわけですね。
一般の読者が読むのは、「何年前にこういうことがありまして」とか、あるいは「何年前にこういうことがありまして、と誰それが言っているけれど、それは間違っておりまして」とか、そういうものが多いと思うんですよね。それはそれで楽しいのですが、今回の松沢さんのご本は、ぜんぜん違った角度から歴史学に触れさせてくれる。なんというか、読者が松沢研究室のインターンになって作業を手伝っている感じですね。「資料を持ってこい」「はい持ってきました、次はどうしましょう」みたいな感じで臨場感にあふれています。
松沢 「作法だ」って歴史学では最初によく言われるんですけど、その作法っていうのは無駄に作法であるわけではなくて、訳あってこうなっているんですよね。なんでこうやっているのかっていうのを「これが作法だから」以外の仕方で説明しなきゃいけない。
これはいくつかの理由で私の中から出てきた課題なんですが、一つは、歴史学といっても色々あるということです。歴史学は地域も分野も多様だし、一言ではいえない。私はそれを「潮流」というふうに呼んでいますけど、「歴史学とはこういうものだ」と一言でいえるものではないので、実演販売ではないですが、その場でやってみたほうがいいだろう、というのがありました。それで、この本では政治史・経済史・社会史という三つのトピックを設定し、それぞれどういうふうに問題の持ち方が違うのかも踏まえて、同じものを見ても立てる問いは違うんだ、という話をしました。
もう一つは、これは私の教育研究環境や来歴と関わっているんですが、私自身は文学部の日本史学の研究室で勉強し、そこで体系的な教育というよりは徒弟修行のような教育を受けて研究者になりました。ところが、たまたま経済学部を勤務先として働くことになった。1年生から3・4年生までを含めて、経済学者の方たちが行う科目と横並びのなかで教育しなければいけない、ということになったわけですね。言ってみればアウェーな環境で仕事をしているわけで、どうしても自分のやっている学問の方法みたいなものに自覚的たらざるをえない。
この本のあとがきでも書いたんですが、とくにミクロ経済学とかマクロ経済学とか、そういういわゆる経済学の主流派と言われる人たちの議論の立て方の影響というのはどんどん拡大している。つい先日も、経済学的なツールを使って政治学的な関心から政治変動を説明するという研究がノーベル経済学賞を受賞しています。
基本的には自然科学的なモデルを使う方法ですね。理論的に数理モデルを使って説明するか、あるいは計量的に数値化できるものを集めてきて説明する。そういうことをやっている人たちの中に混ざって仕事をしていて、歴史学の内部では「これをやれば学問だ」と思われていることでも、それを外に持っていくと学問としての資格を満たしていないかのような見られ方をすることがあるんですよ。私たち歴史家というのはとにかくたくさん史料を読んで、そこからできるだけ確からしいことを言えれば、それが研究の学問としての性格を担保すると思っているんですが、そうじゃないんだ、と。
たとえば、「条件Aを一つ変えたならば、こちらの結果も変わった」というときにはじめて条件Aが原因といえるんだという、そういう狭い意味で因果関係を捉える人たちがいる。自然科学で実験をするような感じですね。そういう人たちから見たときに、自分たちの学問はどう見えているのかっていう問題があるんですよね。そこをやっぱり、こっちにはこっちの事情があってやってますっていうのを説明しなきゃいけないな、というのがありました。
吉川 すごく面白いですね。松沢さんは経済学部で歴史学を教えるという、ある種アウェーな立場であったがゆえに、ご自身がやっている歴史学の仕事について分野外の人にも説明できなくてはならないという問題意識を持たれるようになった。しかし、歴史学の中では、当の説明しなきゃいけないもの自体がすでに当然のものとして、明示化されないままになっている。そこでこの本を書くしかなかった、ということですね。
松沢 なかなか人はふだんできていることを説明できないんですよ。
吉川 これはけっこう耳が痛い話で、ふつうの仕事でもありそうなことですね。
松沢 あると思いますね。たとえばうちの母は飲食店を経営していたんですけど、全然料理のレシピとかを説明できないんですよ(笑)。「どうやって作るの?」と聞くと「作るんだよ」とか、そういう説明しかできない。こういうことはいっぱいあると思います。
吉川 なるほど。だからこそ「反省」という言葉が出てくるんですね。自分が実際にやっている、やってしまっていることは、やるだけならべつにそのままでいいんだけど、えてしてほかの人にどうやっているのかを説明しなければならなくなる機会が生じる。松沢さんはこの本でそういうときのノウハウを明文化なされた、と。だからこそ類書があまりないんでしょうね。
松沢 そうだと思います。
どこまで反省するべきかという難問
吉川 そういう本であるがゆえのご苦労というのもあったと思うんですよ。松沢さんは研究書でも評価が高いし、一般向けとかヤングアダルト向けでも評価が高い。なんだろうこの人はって昔から思っていたんですけど(笑)、その松沢さんでもこの本は大変な仕事でしたか。
松沢 大変でしたね。まずこの本の第二章では「逓信省における女性の雇員と判任官」という自分自身の論文を取り上げています。戦前の日本の官庁で働いている下級の官吏について研究した論文です。その中では、史料を引用し、その後に自分でそこから何が読み取れたかという敷衍をしていた。この引用と敷衍というワンセットが歴史学の論文を読み解くときの一つの鍵ではないかということを考えました。
「なんで私はここで現在形を使っているのでしょうか」とか「なぜここは過去形で言い切れるのでしょうか」とか、いったい何を留保して何を留保していないのかということを最初に自己分析したんですね。その後に別の論文を三つ取り上げて分析したわけですけど、その三つっていうのはこう言っちゃなんですが、めちゃくちゃ面白い論文というわけではない──もちろん、この本を読んでこれらの論文が面白いなって思ってもらえたら私としては大変本望なんですが。
歴史の本ってとにかく多いんですよ。歴史学の入門書だけでも、この紀伊國屋書店にいっぱいある。それらが一般向けの歴史書だからといって、学問的水準が低いということではなく、私自身も専門家向けではない歴史の本を書くという経験を何度もしています。それだけなぜか、歴史に関心を持っている一般の人が多いということですね。専門書じゃない本がたくさん出ているし、さらにその手前に中学校とか高校の歴史の教科書もあるわけで。そうなると逆に、そこでの語り方のほうが「これが歴史なんだ」というふうに受けとめられちゃうことがあると思うんです。
そこであえて、他の分野の人だったら絶対読まないであろう、つまりその分野に関心を持つ人だけが読む論文というのを三つ取り上げてみたわけなんですね。もちろん私自身はそれぞれ読みどころがあると思ったからこそ取り上げているし、その分野の人であれば絶対参照しなくてはならない有名な論文です。実際にそれらを分析してみて分かったんですが、やっぱり反省っていうのは一人でやるのがすごく難しいんですね。
吉川 ふだん自分でやってしまっていることですもんね。
松沢 やってしまっていることってなかなか反省ができなくて、どこまで反省していいのかよく分からなくなるんですよ(笑)。
吉川 だんだんドツボにはまっていくという……。
進捗報告会自体がかなり盛り上がった
松沢 そこで進捗報告会というのを開いていただいた、ということになるわけなんです。
吉川 松沢さんがこの本の進捗報告会を開始されたのはいつごろなんですか。
松沢 3年くらい前じゃないですかね。2021年くらい。
吉川 もともとの執筆依頼というか、この本のはじまりというのはどんな感じだったんですか。
松沢 この本の前に、有斐閣から『大人のための社会科』(2017年)っていう本を出したんですね。井手英策さんと宇野重規さんと坂井豊貴さんと私の四人で書いた共著の本です。そこに「歴史認識」という章を書きました。それを読んだ編集者の方から、「こういう歴史認識みたいなテーマでなにか新書が書けないか」と言われたのが最初のご依頼でした。
吉川 最初はよくあるパターンですね。すごく面白くて良いものができたら、「これを一冊の本にしてください」っていう、けっこうざっくりした依頼が編集者からあったと。そのときには、この方法論の問題はなんとかしなきゃいけない、という思いがすでにあったんですか。
松沢 方法論自体への関心というのは古くから持っていて、書きたいなとは思っていたんです。だけれども構想自体は全然ないという段階で、依頼を頂いてから3年間くらい一人で悩んでいました。
吉川 そしてコロナ禍の途中くらいに進捗報告会が始まる、と。
松沢 コロナ禍で人と会わなくなったこともあって、いよいよこれは一人では行き詰まるだけだなという感じになってきました。
そこで、進捗報告会というものをいろいろと開いていただいている酒井泰斗さんにご相談を差し上げたんです。のべ人数でいうと30人くらい、いつもいらっしゃる方だけでも10人ちょっとでしたかね。社会学の方や哲学の方、歴史学でも日本中世史やヨーロッパ中世史と、いろんな専攻分野の方が参加してくださいました。それで2ヶ月に1回くらいのペースで、計15回くらいやって書いたということになります。
吉川 歴史学だけじゃなくてさまざまな分野の人が一緒に検討したというのは、どういう理由からなんでしょう。
松沢 この本自体、他の分野の人に分かってもらえなきゃいけないと思ったので書いた、という性格があるんですけど、じつはいま人文社会系の研究全体で見れば、学際的というか、他分野の人を集めて研究費をとったりするというのはありふれていると思うんですよね。
この進捗報告会が異常だったのは(笑)、たとえば社会学者や哲学者が放っておいたら絶対に読まないであろう論文を無理やり読ませたっていうところにあると思うんです。
進捗報告会といっても、私の原稿を検討してもらった回がそんなに多いわけではなくて。まず、本の中で素材にした論文を実際に共有して読んでいただく。そして、私がその論文を段落ごとに分解した段落表というのを作った上で「私はこの辺が特徴なんだと思うんだが、これはどうだろう」という相談を持ちかける、という会でした。それに対してみなさんがいろんなリアクションを返してくれるわけです。
日本史でいうと網野善彦さんみたいなスーパースターがいて、そういう人の本であればみんな読むんだけど、この会ではそうじゃないやつを読んでもらう。学際的にイベントをやるときは、そういういかにも他分野の人にもウケそうだよね、というのを差し出すのが普通なんですが、ここにはそうじゃないやつを持っていく、と。
ところがこれが意外と盛り上がったんですね。そういうものを読んでいただくと、こういうふうに叙述の特徴ができあがっているんだ、と他の分野の方からの指摘で分かったりとか、あるいは私が「ここではこういうことが行われているんではないか」と言うと、「いや、ここまでは言えるけど、そこまでは言えない」と止めてもらえたりとか。そういうのがいろいろあって、進捗報告会自体が毎回かなり盛り上がって面白かったです。途中で、これを書籍にしたほうが面白いんじゃないかと思ったほど面白かったですね。
吉川 この本だと第四章に書いてありますが、私がお邪魔したときは、手動で回して蚕の糸を取るという座繰製糸についての回でした。先行研究では、繭を煮る釜の数を製糸会社がどれくらい有しているかというデータを見て大工場があったんだと言っていた。しかし実際には、釜は地域に分散していて、その合計数が多いから大工場のように見えているだけなんだ、現実には、工業資本というよりある種の商業資本として機能していたんだ、と。
表に数字が入っているのとかを見て、「たしかにこれで座繰は工場じゃないと言えたら画期的だな」と思ったら、その論文ではまさにそれを言っているわけですよね。「ジャンルを超えないエキサイティングな名論文」を読む機会っていうのは、私には生まれてはじめてで、これはすごいところに来てしまったと思いました。
松沢 反省は一人でしてはいけないというのが一つの教訓で、やっぱりどこまで反省していいかわからなくなるし、反省は人に聞いてもらったほうがいいということですね。
常識というのはかえって分かりにくい
吉川 この本の主眼の一つだと思うんですけど、歴史学といっても、そこには歴史学者ならではの手法があるのと同時に、われわれが日常的にやっていることとも繋がる部分があって、それは常識だろうとしか言えないようなものも含んでいる。常識って一人で考えると訳わかんなくなるじゃないですか。なんで挨拶しなきゃいけないんだろうとか、私は何者だ、とか(笑)。
松沢 この本の中で、常識というのはかえって分かりにくいという話を途中でしています。常識に依拠して行われているということは、必ずしも分かりやすいとは限らない。とくに古い時代の常識っていうのは分かりにくい。古い時代に対しては、そこをこそ分析しなきゃいけないということが言えるんだ、ということを書いています。
歴史学の論文というのは歴史家にとっては常識なので、そこで何が面白いのかというのは言わずもがなになってしまいがちっていうことだと思いますね。
私自身の経験でいうと、何かものを書くときに人に読んでもらうのは好きではあります。私の最初の本は2009年に出た『明治地方自治体制の起源』(東京大学出版会)という、博士論文になった本なんですけど、やっぱりこれを書くときにも一人で書くと行き詰まりそうだと思ったんですよ。
私はいわゆる課程博士ではなくて、いつまでに出さなければならないという期限がなかったんです。論文博士で、いつ出してもいいという、ハードルが高いと言えば高く、低いと言えば低い条件だった。それで、だいたい同級生くらいの人たちが博士論文を出すタイミングに合わせようと思ったんです。そのために、みんなで集まってお互いの博士論文を読もうという通称「博論会」というのをやりました。みんな日本近代史の分野ではあったんですが、その中では時代もジャンルもバリエーションに富んでいて、政治史をやっている人もいれば経済史をやっている人もいた。そういうときに、人の書いたものを真面目に読んだりとか、試行錯誤の過程をお互い見せ合ったりというのは面白いなと思ったんですよね。
その経験があったので、今回もそうしたいと思った。書き手のタイプによっては他人に見せたがらない人もいると思うんですけど、わりと手もとをさらした方が有益なことのほうが多いなというのがありました。こういうのは研究以外のいろんな局面でも言えることで、なるべく早めに相談したほうがいいというのと同じかもしれない(笑)。
吉川 なるべく早めに相談して、反省するとドツボにはまりそうなことは複数人で検討したほうがよいと。たしかにそれによって、「ここはもうこれ以上は言えないよね」ということに確信が持てるようになりますしね。一人だと限度がないですよ、仕舞いには「なぜ宇宙は存在するのか」というところまで……(笑)。
松沢 歴史学では、まず史料がある。そしてそこに書いてあることを鵜呑みにしてはいけないと言われるんですけど、「鵜呑みにしてはいけない」という話になると限りなく懐疑論に陥っていくんですよね。
これまでに書かれている歴史学の入門書はまさにそのことに過剰に苦しんでいるんじゃないかというようなところもあって。どこまで疑えばいいのかという問いを立ててしまったがゆえに、「歴史学を守らなければいけない」という過剰な防衛性を発揮した書きぶりになってしまっていることもあると思うんですよ。そうではなくて、ふつうの事をふつうに説明したいし、それで十分やっていけるのではないか。人は疑いつつ信じるというか、信じつつ疑うというか、それを両面使い分けているというのは、日常生活でもそうですよね。疑う必要がないときに無限後退を始めてしまうと辛いことになる。
だけど、何でも信じてしまうと詐欺に遭ったり、ひどい目に遭ったりするかもしれない。そこの日常生活での使い分けというのは当然あるわけですよ。歴史学というのは、言ってみれば、人間のやっていることとして人間のやっていることを写しとる学問ですから、それと同じようなことが当然に歴史学の中でもあるわけです。
では、そういう場面を実際に見せるにはどうするか。実際に見せようとすると難しいのは、抽象度の設定の仕方だと思うんです。歴史学の入門とか概説を読むと、たしかに史料批判の例というのは出てくるんですよね。「フランス革命の時にある町で暴動が起きた。その暴動について複数の証言があってどれを信じていいか分からないけれども、そのどれを信じるのがいちばん良いのかというのを吟味しました」と。これは遅塚忠躬先生の『史学概論』(東京大学出版会、2010年)という本に出てくる話です。たしかに例は出してくれていて、それについてはなるほどそうだなと思う。しかし、「つまりそれは何をやったことになるのか」という、もう一言の説明がないと他に応用が効かずに終わってしまうのではないか、と。
例を出したときには、それは何の例として出していて、そこでは結局何をやっているのか、という抽象度の水準のコントロールが必要なんですね。それで今回は、第三章・第四章・第五章と、まずは政治史・経済史・社会史という分野を設定した上でその例として出す、という書き方をしました。「政治史はこういうことに関心がある学問なのでこういう史料の読み方をします」、「経済史はこういうことに関心がある学問なのでこういう説明の仕方になります」、といった感じです。たとえば、政治史であれば政治家に興味があるので「政治家がこう考えていました」というのである程度は説明が通る。一方で、経済史では「経営者が辞めたくなったので辞めました」だと論文にならないのはなぜなのか、というようなことですね。その例をそれぞれの分野の論文に即して出すということをやっています。
具体的な研究関心とセットでないと手法は説明できない
吉川 思い出しましたが、さっきの製糸業の話の中でも経営者本人が辞めたくなったという証言が聞き書きに残っていて、この「辞めたくなった」っていうのをどう受けとめればいいのかという話になりましたね。
松沢 詳しくは第四章を読んでいただければ分かりますが、そこで取り上げた論文は石井寛治さんという製糸業の研究ではとにかく非常に有名な人のものです。なんでこの会社はこの時に廃業したのかを説明するときに、家の人たちは「当人が歳も歳で引退しようと思った」と説明している。
それはそうかもしれないが、というふうに石井さんは言うんですよね。それはそうかもしれないが、と言った上で、経営的に行き詰まっていたということをデータで出してくるわけですけど、そのときに石井さんは、当人が辞めたくなった理由を「主体的条件」とか「主観的」というふうに言っています。かたや経営が置かれていた状況については、「客観的」という表現を使う。しかし、それだけだと説明を逃げていないかというところがあって、「主観的」っていうのはどういう意味で、「客観的」っていうのはどういう意味なのかを説明しないと、少なくとも経済史に関心のない人には通じない。「いや、辞めたくなったからでいいじゃん」というふうに言われてしまうと思うんですよ。
そこで、この「主観的」・「客観的」という、ついつい言ってしまいがちなワードを、石井論文が書かれたもともとの事情の中に置いてみたときになんと言い換えられるのか、という作業をやってみたというわけです。
吉川 他方で、政治史の論文では「西郷隆盛がそう思ったから」が答えになるわけですよね。
松沢 それは、このタイプの政治史というのが、政府がある、そして政府というのはとてもたくさんの人に影響を及ぼすことができる存在だ、ということを前提にして書かれているからなんですね。だから、論文がある答えを出すためには個別の前提があって、その前提があるからこそ、それを答えにしてよいということになっている。「西郷隆盛はそのように考えていた」という場合には、「西郷隆盛がそのように考えなければそうはならなかった」という大きな事情があることが前提になっています。
暗黙の裡に何を了解事項として論文を書いているかというところまで言わないと、そこは言えないっていうことになるんだと思うんですね。
吉川 さっきの製糸業の例でいえば、マルクス主義的な観点に立てば、社主が辞めたくなろうがなるまいが、当時の生産力の水準という前提があって、これが生産関係を限界づける大きな要因となっていた、ということが言えるわけですね。
松沢 もう少し補っていえば、私が第四章で取り上げた石井さんの論文はマルクス主義的な経済史の枠組みを前提にしているんですが、それはたんなるマルクス主義の機械的当てはめではない。マルクス主義の理解を前提にした上で、実際に調べてみてどこがボトルネックになっていたかを解明してみせたわけですよね。マルクス主義という道具立ては問題発見のために使っていて、その上で、このタイプの会社っていうのはここで利益が出なくなるんだ、具体的にいうと、繭の仕入れ価格が上がってしまってここで利益が出なくなるんだ、ここにポイントがあるんだということを、経営帳簿を一生懸命見て表を作り、明らかにしている。そこに石井さんの発見があるということですね。
吉川 今回の本では、例がメートル原器みたいにぼんっと出てくるんじゃなくて、それぞれの分野の論文が何を大事にして何を解明しようとしているのかを見る、そのために例を使っている、という形ですね。例がその研究の関心とセットになって出てくる。
松沢 関心というのは短い射程でも長い射程でも色々とあって、「私はとにかく史料を読んで過去を復元することにしか興味がないんです」というふうに言う歴史家もけっこういるんですけど、そういうときには逆に、知らず知らずのうちに自分の問題関心に規定されている場合があるわけです。もちろん、はっきりと「自分は現代社会におけるこうした問題に対して関心があるからこのテーマを選ぶ、それが当然だ」というタイプの歴史家もいます。歴史学者にはどっちもいるんです。そのどちらにしても何かがあって問いを立てている。
前に『日本近・現代史研究入門』(松沢裕作/高嶋修一編、岩波書店、2022年)という本を出したときに、「何が悲しくて研究するのか」という問いを立てたことがあるんですけど(笑)、何が悲しくて何がうれしくて、そんな面倒くさいもの、たとえば経営帳簿を一生懸命に端から端までめくって、一年ごとの収益を計算しなきゃいけないのか、と。その情熱はどこからやって来るのかっていう話なわけですよね。それにはやっぱりそれぞれの事情があって、明らかにしたい答えが違う、それによって答えの出し方も違ってくる、ということなんだと思います。
吉川 今回、政治史・経済史・社会史のそれぞれの中から「ジャンルを超えない名論文」を選んでいただいて、それに即した例を見て思ったのが、具体的な研究関心とセットじゃないと手法って説明できないんだな、ということでした。
松沢 そうです、そうです。逆にいうと、こうやって政治史・経済史・社会史をやっている人たちは相互に交流がなかったりするんですよ。問題関心が違うから。だから、社会史をやっている人が往々にして言うのが「一般民衆のことを知らないで政治家のことばかりやっていても歴史は分からない」ということだったり、反対に、政治史をやっている人は「そんな有象無象のことをやってもしょうがない」と言って、話が噛み合わないんですね。
お互いやりたいことが違うので仕方ないんですけど、ただ、史料を読んでいる以上はじつは共通している部分があるんだよ、と。お互い話し合わない人たちを私が無理やり話し合わせているみたいな本でもある。
吉川 そういう意味でも、二重三重に珍しい本だと思いますね。
歴史学は日常生活と地続き
松沢 論文は問題関心に即して読み解かないと、一つひとつの手つき自体がなんでそんな手つきで動いているのかが分からない。これはたぶん日常生活とのある種の地続き性みたいなものと関係していて、今回吉川さんの『理不尽な進化』(増補新版、ちくま文庫、2021年)という本を読ませていただいたんですが、けっこう共通する問題関心があると思ったんですよ。
簡単にいうと、みんなが「ビジネスモデルの進化に適応する」みたいに言っているところに出て行って、「進化論はそういう比喩で語るようなものじゃなくて、自然科学の中ではちゃんと決着がついている問題なんですよ」というのを外から言ってもしょうがないんじゃないか、というか。つまり、進化論そのものの中に素人が混乱してしまう原因みたいなものが潜んでいて、それはじつは専門家の業界内部の論争とも無関係ではないという話ですよね。決着がついているようでじつは決着がついていない問題というのはあって、それゆえにわれわれは進化論というものに魅力も感じるしトラップにもかかりやすいという話だと思うんですけど、これはたぶん、『歴史学はこう考える』もそういう性格を持っている本なのではないか。
歴史家は、上から目線で「史料を読めばこうなんですよ」とか「歴史家っていうのはちゃんと史料を読む人たちなんです」と打ち出していこうとするわけですが、それだけではみんなは歴史に関心を持つのをやめてくれない(笑)。いくら専門家がそう言っても、歴史にはいろんな人たちを惹きつけてしまう魅力がある。
そういうときにやるべきことっていうのは、われわれ自身もそれなりに邪念を持ってやっているんだと言うこと、というか(笑)。そういうことはちゃんと説明しておいたほうがいいし、その上で守るべきルールがあってやっているんだっていうことを言わなきゃいけない。
吉川さんの本でいいフレーズだなと思ったのは、「専門家のなかにも小さな素人が、また素人のなかにも小さな専門家が住んでいる」(『理不尽な進化 増補新版』ちくま文庫、144頁)という言葉が出てくるところで、これは私がこの本を書いたときの問題意識にまったく近いと思います。専門家だからといってぜんぶ分かっているわけではなくて、専門家の中にも一般の人が歴史に求めるようなものに対する関心というのがあるわけですね。あるからこそ歴史をやっている、やるようになったという事情がある。
それから、歴史家じゃない非専門家なら歴史学者がやるようなことをやらないのかというと、そうではない。この本の最初のほうに、山田がぼんやり村に土地を買う、という話が出てくるんですけど、山田がぼんやり村に土地を買ったというときに、山田がぼんやり村に土地を買った根拠はなんですかという話はふつうはしない。だけれども、たとえばここに二重売買が関わっていたりすると根拠が必要になってくることもある。
私も吉川さんも、手帳に「今日ここに来る」と記録しなければ、忘れて来ないということだって起きてくる。だから、みんななんらか過去について記録したりそれについて記述したりするということをやりながら暮らしているわけですよね。歴史学というのはその延長線上にあるところがあって、そういう意味でいえば、歴史学の非専門家も歴史学のようなことを日々やりながら暮らしているという部分がある。そういう点で、「専門家のなかにも小さな素人が、また素人のなかにも小さな専門家が住んでいる」というのは似た問題意識だなと思いました。
吉川 ありがとうございます。言われてみれば、はい(笑)。
翻訳作業から生まれた「コードネーム奇書」
吉川 この『歴史学はこう考える』は先月9月に出たばかりなんですが、同じ月にすでに重版もかかっているとのことで。なにかこう、手応えはありますか。
松沢 この本は進捗報告会をやっている間、ずっと「コードネーム奇書」と呼ばれていて(笑)。論文を読むときに、ここは現在形か過去形かとか、なぜこの接続詞を使っているかとか、ふつうはいちいち気にしないわけですけど、これはそれをやっている奇妙な本である、ということですね。
進捗報告会をやっているときには、実際に売れるのか、反響がどうなるのか、みんな予測がつかないと言っていました。みんなが予測がつかないと言っている本のほうが売れるんだという人もいましたけど、実際けっこう売れ行き好調です。
一面では、歴史や歴史学に対する関心というのは幸か不幸か高いんだと思うんですよね。この高さについて自覚的だったからこの本を書いたんですが、これまで以上に自覚的でないといけないというか、ある種自己言及的にやっぱり大事なんだなというか。人びとは歴史にすごく関心があって、なんらかの目的のもとで色々と使おうとすることも多いんだろう、と。そういうことは確信に変わったかなという気がします。
手応えという感じはまだはっきりはありませんが、この本の一つひとつの作業で取り上げた「分野を超えない名論文たち」が、道具箱じゃないですけど、一つの例として、言葉を使って何かをするときのお役に立てれば、というか。歴史学をやらない人にとっても言葉の使い方の上で参考になるところがあればいいなあと思っています。
吉川 現在形を使うか過去形を使うかということでいうと、第二章の「逓信省における女性の雇用と判任官」という松沢さんご自身の論文のところで、現在形を使っているところというのは、引用者が引用して、読者と一緒に見ているという感じの場面です。たしかにそこで過去形を使うのは変ですもんね。
松沢 そうなんですよ、「ここにはこう書いてありますね」ということをまず読者と共有しなきゃいけないんですよね。歴史学の論文がなんで史料を引用しなきゃいけないかっていうと、読み手と書き手が同じ素材を共有して、その上で先に進みましょうねっていう書かれ方をするからです。「ここにはこう書いてある」という現在形を使うんですね。
ちょっと脱線しますけど、私がこのことに最初に気がついたのは翻訳をしていたときです。この本とも関係するんですけど、マーガレット・メールさんの『歴史と国家』(千葉功/松沢裕作訳者代表、東京大学出版会、2017年)という本が出ていて、これは近代日本の歴史学の歴史を扱った本です。この翻訳作業をしていて、自国語と違って外国語の文献を読んでいるときって、文法を余計に気にするんですよね。その作業の中で、なんで著者はここで現在形を使っているんだろうというようなことを思ったのがじつは最初のきっかけで、そのことはずっと心の中で気にはなっていたんですよ。こんなに全面的に新書の中で分析することになるとは思いませんでしたけど(笑)。
吉川 この新書を担当された編集さんも、まさか現在形の話なんかが出てくるとは思っていなかったと思いますけど(笑)、私もこの本の分析を見たときにすごく感動したというか、歴史学じゃない場面でも、他人に証拠を見せながら説明するときには同じやり方をするわけですよね。
こういう形で歴史学者特有の方法はあるんだけれども、われわれの日常とも地続きの部分がある。『歴史学はこう考える』の中に「歴史家は案外現在形の文章を書いているのです」(81頁)とあって、物語を書く人という点では歴史家は過去形ばかり使っているイメージが一見ありますが、そうでもない、と。
松沢 アーサー・C・ダント『物語としての歴史』(河本英夫訳、ちくま学芸文庫、2024年)という歴史哲学の本があります。この中でダントは、物語文というのは過去形を使って二つの時点を指し示す言葉であって、そういう意味で歴史は物語だと言っています。そのことの当否は別にしても、物語を語る前にはいったん現代の読者と現在形で対話するということをやる。ただ、歴史書が一般向けに書かれるときには、読者が読めない史料を載せるわけにもいかないので、たいてい史料引用は飛ばされてしまいます。そうすると、圧倒的に過去形だけで書かれた文章だけが専門家でない読者の目にとまることになると思うんですよ。
吉川 ン万年前に虚構を信じる力を獲得した、みたいな(笑)。
松沢 そういうギャップみたいなものは埋めたいなと思いますね。
吉川 私みたいなライトな歴史書読者でも、その違いっていうのをこの本を読んで感ずるところがあって、もともと歴史書を読むのが好きな人にとってはより楽しんでもらえるんじゃないかと思います。
松沢 なにか歴史の新書を読むときにはこの本とセットで読む、というような感じでいいんじゃないかなと思っております(笑)。
吉川 このたびはこんな労作、いや奇書を……今回のご本のいいところは、6千円で箱入りとかであればいかにも奇書っぽいですけど、安価な新書のかたちで、しれっとまるで普通の本であるかのような顔をしているところですね(笑)。
松沢 少なくとも黒い箱に入っていたりはしないです(笑)。
吉川 どうもありがとうございました。
松沢 ありがとうございました。
(2024年10月17日、紀伊國屋書店新宿本店3階アカデミック・ラウンジにて)
