いまではもう日常用語になった感のある「自己肯定感」という言葉だが、私は激し
く忌み嫌っている。聞くたびに拒否感で身体反応が起きるくらいだ。
Aさんはこう言う。
「ほんとにつらくて……いつもいつもどうしてこんなんだろうと自分を責めてしまいます。だから、自己肯定感を上げるにはどうしたらいいか、ヒントが欲しいんです。ほんとうに自己肯定感低すぎなんです。」
Bさんはこう言う。
「ああ、自分を好きになりたい。自分を愛せたら変わるでしょうか」
こんな言葉を聞くたびに、正直全身から力が抜ける気がする。講演などでそう語ると、ショックを受けた顔をして、「どうしてなんですか」と終了後に尋ねる人は珍しくない。
「毎日そう思ってるんです」という人たちには申し訳ないが、そもそも私はそんな「問題の立て方」をしない。そんな問題の立て方では出口がないと思っている。
本書を最後まで読まれた方には、その理由がおわかりになっていただけるだろう。
自分で自分を責めることの残酷さと、自己肯定感を上げ下げすることの奇妙さは表裏一体であることを。
問題の立て方は言葉によって決まる。自己肯定感とか自分を好きになるという言葉を使うことで、思考はある方向に誘導されてしまう。
だから私は、カウンセリングで使う言葉を厳しく選ぶ。使用禁止用語もいくつかあるので、自虐的に「言論統制」とさえ呼んでいる。
それらの言葉を使えば、「私しだいで、私を変えれば、自己肯定感を上げれば、自分を愛せるようになれば」という水路にはまってしまうのだ。
自分だけを見て、自分で自分を操作するという水路は、不可能の水路、地獄の水路だ。そんなこと、できないに決まっている。グルグルめぐって、できない自分を責めることに帰結するしかない。
残念ながら、しばしば心理学はそのような水路をつくり、そこに誘導する手伝いをしがちであった。カウンセラーとして私が試みているのは、べつの水路への方向づけである。
本書のもとになっているHCCの「信田さよ子公開講座」も、そのための試みのひとつである。
カウンセリングにおいて、私は「心」に関心を払ったことはない。
生きるための根幹になるはずの感覚を当の親から奪われてきた人たち。よかれと思いながら無神経に子どもから生きる力を奪い続ける親たち、自分のせいであのような被害を受けることになったという自責感で崩れそうな人たち……。
そんな不平等で理不尽な関係を生きてきたクライエントへの敬意と驚嘆が私の基本となっている。そこに「どうしてそんなことができたのか」という関心が加わることで、かろうじてその人たちの言葉を聞く資格があるように思える。
自己肯定感も、自分を好きになることも、そして「心」も、結果として生まれるものではないか。
そのために必要なのは、他者である。自分を助けようとする他者だけではない。自分に似た経験をした他者、類似した他者の存在こそ必要なのではないか。
そのような思いで、さまざまなテーマについて語ってきたセミナーが、このように一冊の本になることを心からうれしく思っている。
「信田さんは、書いたものより語りのほうがずっとおもしろい」と言われることが多いので、できるだけ生の言葉を残すようにしたが、一部整合性を持たせるために加筆したところもあることをお断りしておく。
本セミナーでこれまでもっとも参加者が多かったのが、自分を責めることをテーマにした回だった。それがそのまま本書のタイトルになっている。
セミナーを一冊の本にするという提案から刊行まで、一貫してお世話になったのは筑摩書房の編集者・柴山浩紀さんである。
また原宿カウンセリングセンター主任の中野葉子には、セミナーの企画から実施まで毎回支え続けてもらっている。
最後に、オンラインセミナーの多くの視聴者のみなさまがいなければ本書は誕生しなかっただろう。
ここに心からのお礼を伝えたい。ありがとうございました。
2025年1月末日 信田さよ子
信田さんがカウンセラーとして大切にしてきたことを、端的に書いていただきました。「必要なのは、他者である。自分を助けようとする他者だけではない。自分に似た経験をした他者、類似した他者の存在こそ必要なのではないか」