学生にもどったみたいだ。というか学生なのかもしれない、ぼくらは。学生証もある。学生証用の写真もとった。一人ずつ、ショッピングモールの2階で。そこに学生のための事務所があるのだ。アイオワシティには大学の施設が町じゅうにある。撮影のとき、ここはアメリカ、帽子はとらなくていいかとおもった。でもとらなきゃだめだった。ただ笑顔はあったほうがいいみたいだった。笑顔でとった。黄色に黒の配色のカード。黄色と黒がアイオワ大学のカラーなのだ。学生証があれば、美術館や図書館が利用できるようになる。ぼくらは全員で32人。撮影スタジオを一度に訪れるには人数が多すぎる。だからぼくの撮影の回はその半分の、ラストネームがJからZのひと。出来上がったものを見せあった。見せあい、ほめあい、わらいあった。
こうして学生証を手に入れた。何年ぶりだろう。ぼくは落第生だったから、大学時代ほとんど授業にでていなかった。じっと座って聴講しながら、あれここはアイオワだ、とおもう。ふしぎなきもちになる。頭に日本語がうまれだすと、耳からもう英語は聞こえなくなる。じゃあケイ。あ、もう一度お願いします。
時間割はこんな感じ。月曜の午前には、ケンダルさんの授業に参加する。ケンダルさんはアイオワ大学の日本語翻訳クラスの先生。そこで翻訳の教材としてぼくの詩を使う。午後には「今日の国際文学」。ぼくたちグループから毎週三人がほんとうの大学生へむけて発表する。発表は二時間ちかくの長丁場だ。火曜には、ときおり朗読会。水曜にも、ケンダルさんの授業。夜にはキッチンが開放される。キッチンはあまり人気がない。木曜は、わりと自由。金曜は、公共図書館で毎週四人が発表。ピザが届き、レモネードが配られる。毎週異なるお題がある。「なぜ書くのか」や「世界の重みとともに書く」。それが終わると次は多言語の翻訳ワークショップ、毎週三人が関わる。こちらも三時間ちかい長丁場。土曜は、バイソン見学へ出かけたり、トウモロコシ農場にいったり、各種ウェルカムパーティー。日曜は、夕方にプレーリーライツブックストアという名物書店で、毎週二人が自作のリーディングをする。
加えて、毎日二つくらい大学施設や美術館でぼくらの興味のありそうなイベントがある。講演に招かれた作家の朗読、アーティストのトークなどだ。音楽や本のフェスティバルの時期も重なる。そのほか滞在するにつれて、イベントの出演など頼まれ予定がうまっていく。ダンスや演劇とのコラボレーション、シニアカレッジでの講演、シカゴ旅行も途中である。車での郊外モールツアーや、コインランドリーツアーも。街角には各種お祭りも。毎日毎日なにかが起こっている。全部出るととても忙しい。みななにか執筆中のものをかかえる作家なのだ。だから、自分のペースで調整する。
毎年、毎年、秋になると、中西部の大平原のとりとめもない大学町にこんな一風かわった学生たちがうまれる。三ヶ月近くも滞在する作家たちの相手をするのはすごいことだとおもう。車を出してくれたり、細々と手配したり、文化の違う作家たちのリクエス卜に対応したり。1967年から続くアイオワ大学のInternational Writing Program。今年は29の国と地域から集った。滞在中にこのプログラムの同窓生がノーベル賞を受賞したとニュースがはいり、みんなでよろこんだ。若き日のハン・ガンも1998年の秋をアイオワシティで過ごしたのだ。みんなでかなしんだニュースもある。このプログラムの創設者ポール・エンゲルの妻、聶華苓が99歳で亡くなったのだ。お金を出し合いお花を贈ろうという話しになった。歴史のある分、プログラム同窓生にはそうそうたる作家たちが名を連ねる。たとえば第一回目の67年には日本からは田村隆一が滞在していた。
半分くらいの作家の滞在費は、アメリカ国務省がだす。ぼくもそう。残り半分くらいの作家は、それぞれ各種財団や自国の基金から滞在費を受け取る。作家といっても詩人、小説家、ノンフィクションライター、ジャーナリストなどさまざま。年齢や肌の色、アクセント、ひどくさまざまな学生だ。ただ文学においては、ずばぬけた学生かもしれない。母国や住まいのある国の大学で、教えているひともたくさん。みなで散歩していると「気をつけないとわたしの小説の登場人物になるよ」と書かれたTシャツをみかけた。わらいあった。ほらあなたも、気をつけないとわたしの小説の登場人物になるよ。
ぼくはこのプログラムに運命をかんじた。というか、こんなときにひとは、運命をかんじるって言い方をするんだろうなとおもった。アイオワが、ぼくを詩の道へと導いたともいえるからだ。ぼくは白石かずこの古いエッセイでInternational Writing Programについて読んだことがあった。白石かずこは73年の秋にアイオワに滞在したのだ。その『アメリカン・ブラックジャーニー』というエッセイが面白くて、白石かずこの詩集を買った覚えがある。二十代半ばのこと、ぼくのはじめて買った詩集だ。まさかそのプログラムがいまも続いているとは思わなかった。ふりかえって考えてみると、このアイオワのプログラムの登場するエッセイを読まなければ、詩を知り、詩を書きはじめることもなかった。
ただ運命っていうにしては奇妙すぎる。だってごくごく日常なのだ。すごく奇妙な日常。滞在しているホテルの名前は卒業生ホテル。ぼくがいる509号室の壁紙のストライプは、なぜか野球ボールの網目を模していて、本物の野球ボールをじっと想像してみると空間がまるごと歪んでくる。そして、書き物をしようとむかっているこのテーブルには、こう記されたトウモロコシ型トロフィーの飾られている。
ここは天国だろうか、いいえ、アイオワ!