ちくま新書

謎に満ちた最高権力者の実像
馬場匡浩『ファラオ ──古代エジプト王権の形成』(ちくま新書)ためし読み

紀元前3100年ごろに成立し、幾度かの混乱期を経つつも、約三千年にもわたり存続したエジプト文明。そのなかでファラオは王権と神性を兼ね備えた最高権力者であり、政治、社会、経済、軍事はもとより、さまざまな象徴物も神話も、すべてファラオを中心とするかたちで展開してきました。馬場匡浩著『ファラオ ──古代エジプト王権の形成』(ちくま新書)は、著者自らも発掘調査に携わった最新の考古学的知見に基づき、その起源から王権・神性の背景、ファラオの果たすべき使命、さらにはミイラの作り方やピラミッドの目的までを幅広く紹介する一冊です。2025年3月10日の発売を目前に控えた本書より「はじめに」を公開します。
馬場匡浩『ファラオ ──古代エジプト王権の形成』(ちくま新書)

 読者のみなさんは、「ファラオ」がエジプト文明の王であることはご存じであろう。そのイメージは、神なる王、絶対的権力をもつ王、豪華絢爛な墓に埋葬された王、などであろう。そのどれも間違ってはいない。だが、ファラオの役割や王権の具体像を知る方は多くはないのではなかろうか。

 ファラオに課せられた使命は、かれらの世界を安寧に保つこと、これに尽きる。権力を振りかざし、ただ優雅な生活を送っていたわけではなく、エジプトを平和で安定した状態に維持するために、ファラオは存在したのである。そしてこれこそが、古代エジプトの王権であり、ファラオは代々、この使命としての王権を頑なに引き継いできたのだ。

 エジプト文明は、アフリカ北東部のナイル川下流域に栄えた、世界最古の文明の一つである。この文明は、最初のファラオが誕生した紀元前3100年ごろから、ローマ帝国の属州となって終焉を迎える紀元前30年まで、およそ3000年間の歴史がある。そのながい歴史のなかで、240人以上のファラオが即位し、かれらを頂点とするピラミッド型の社会を維持してきた。ファラオは、国家における最高権力者であり、行政・軍事・宗教のトップとして全権を担っていた。それはすべて、使命のためである。異国民の侵入を防ぐために軍隊を先導し、秩序ある世界を願って神殿で神々に供物を捧げるのだ。ファラオはこれらを 自ら実行しなければならないのだが、現実的にそれは不可能であるため、官僚や神官たちに代行させていた。

†ファラオの表現

 特別な存在であるファラオは、一目でそれとわかる独特の姿で表現された(図0-1)。頭には、エジプトの北と南をそれぞれ象徴する白冠と赤冠、それらを統一した複合冠、ネメス頭巾などを被り、顎には長い付け髭を付ける。手には、ナイル川の農耕民と砂漠の遊牧民の支配をそれぞれ表す殻竿(ネケク)と王笏(ヘカ)を持つ。衣装では、ビーズ装飾が施されたエプロンをまとい、腰には「ウシの尾」と呼ばれる装飾を付ける。これは雄ウシの尻尾であり、その力強さがファラオのメタファーとなっている。

図0-1 ファラオを象徴するアイテム

 これらはすべて、王を象徴するアイテム(レガリア)である。文明成立とともに、これらアイテムのほぼすべてが出揃っており、この初期に確立された王の表現様式は、王位の正当性を示すために代々踏襲され、それが王権の維持にもつながったのである。

 王を表現するもう一つの特徴は名前であり、これも王権のシンボルとして使われ続けた。王名は五種類存在した(図0-2)。最初に登場したのが「ホルス名」であり、王宮をモチーフとした長方形の枠(セレク)と、神話における地上の王ホルス神で描かれる。ホルス神が王 を守っていることと、王がホルス神の化身であることを示している。

図0-2  5種類の王名

 その後、ハゲワシのネクベト神とコブラのウアジェト神で構成される「二女神名」、そして、植物のスゲとミツバチを楕円の枠(カルトゥーシュ)の上に戴く「上下エジプト名」の使用が始まる。「二女神名」のネクベトとウアジェトは、上エジプト(南部)のエル・カブと下エジプト(北部)のブトをそれぞれ信仰地にもつ。「上下エジプト名」も、スゲが上エジプト、ミツバチが下エジプトの象徴であり、これら二つは、ファラオがエジプト全土の支配者であることを示す。

 そして最後に、「黄金のホルス名」と「太陽の息子名」が加わる。「太陽の息子名」は、太陽信仰が高まったピラミッド時代を特徴付け、ヒエログリフで太陽神ラーと息子を表すアヒルがカルトゥーシュの上に描かれる。

 これら五つの名前のうち、「太陽の息子名」は生まれたときに授かる「誕生名」、「上下エジプト名」は王位を継承したときに付けられる「即位名」であることから、これら二つが頻繁に使われている。

†ファラオという呼び名

 「ファラオ」という言葉は、古代エジプト語の「ペル・アア(大きな家)」に由来する(図0-3)。王は大きな王宮に住み、そこで執務を行っていたからだ。この呼び名がギリシア語 に訛ってファラオとなった。

図0-3 ファラオを表現する文字

 ペル・アアと呼ぶようになったのは新王国時代からであり、王朝の開始からつねに王は 「ネスウ(植物のスゲ)」 と表現されていた。「上下エジプト名」のそれである。現在ではファラオの呼称が一般化していることから、本書では、いつの時代の王でもファラオと呼ぶこととする。

 しかしなぜ、スゲなどの水生植物が、いってしまえばそんな弱々しい草が、王を表す文字となったのであろうか。おそらくそれは、花を咲かせたスゲの文字「シェマウ」も上エジプトを表すことから、スゲそのものが南方のシンボルであり、ファラオの来歴が南にあることをこれらの文字は留めていると考えられる。ちなみに、下エジプトはパピルスの文字「メフウ」である。

 文字にみるこうした南方起源は、私が調査に参加するヒエラコンポリス遺跡の発掘から も支持される。ここでは、どこよりもはやくエリート(支配者)が出現し、ファラオの使命につながる儀礼祭祀の実践もみられるのだ。

†本書の構成

 ヒエラコンポリス遺跡における近年の調査により、これまで資料不足で具体的な議論ができなかった王権の形成について、その考古資料を得ることができた。それが、本書を執筆する契機となっている。よって本書の構成は、ファラオと王権の形成を主軸としたものとなっている。

 まず第1章では、ファラオのエジプト文明を知っていただくための基礎情報として、自 然環境と歴史概要について述べる。通史というものは、往々にして退屈なものであり、とりわけ古代エジプトは3000年にもわたる歴史があるので、概要であってもながくなってしまう。そのため、本章は軽く読み流していただいてもかまわない。次章以降を読み進めながら必要に応じて立ち戻ってみると、より理解が深まるであろう。

 第2章は、ヒエラコンポリス遺跡の調査成果から、エジプト文明という国家の成立につ いて考える。まずは、私たちの発掘によって明らかになったことを詳しく紹介する。それをもとに、社会の複雑化という視座から、ファラオを推戴する初期国家の形成について述べる。

 第3章では、文明成立後の王朝時代におけるファラオの神性を扱う。古代エジプト人が 創造した世界観と神話、そして、その世界におけるファラオの位置づけや役割などについて紹介する。

 第4章では、そうしたファラオを生み出した根幹となる王権について述べる。王権を概 観したあと、ヒエラコンポリスのエリートたちが実践した動物儀礼を基軸に、権力とイデ オロギーの生成の制度化という視点から、ファラオと王権の形成について迫ってみたい。

 第5章は来世についてである。古代エジプトでは再生復活の死生観が編みだされたが、 それはもともとファラオに特化した考えであり、なおかつ、復活を成し遂げる場がピラミッドであった。冥界で復活するために必要な要素とプロセス、その指南書である葬送文書、そして、魂が必要とするミイラについて紹介する。

 そして第6章はピラミッドである。ピラミッドは、これまで述べてきたファラオの神性・王権・来世のすべてが凝縮された建造物である。まずは、その誕生から発展の変遷を追い、そして、あまり知られていないピラミッドの機能について解説する。最後に、ピラミッド時代が終焉を迎えたその要因を考察し、墓か否かの問題についても述べてみたい。

 日本語の出版物ではあまり扱われていないファラオの実像について、実際の発掘成果と最新の研究成果を盛り込みながら迫っていくことにしよう。

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†『ファラオ ──古代エジプト王権の形成』目次

はじめに

第1章 背景 ――自然環境と歴史概要
1 自然環境
2 古代エジプト小史

第2章 起源 ――エジプト文明はいかにしてうまれたか
1 ヒエラコンポリス遺跡の概要
2 遺跡を発掘する
3 社会の複雑化
4 新たな国家形成論

第3章 神性 ――神とファラオの世界
1 神話の世界
2 ファラオの世界

第4章 王権 ――権力とイデオロギーの制度化
1 制度としての王権
2 動物儀礼と王権の形成
3 エリートとファラオの形成

第5章 来世 ――その死生観とミイラ
1 魂、冥界、再生
2 オシリス信仰の興隆
3 ミイラとは何か

第6章 ピラミッド ――その誕生と機能
1 ピラミッドの誕生
2 階段ピラミッドから真正ピラミッドへ
3 ピラミッドの絶頂期
4 ピラミッド・コンプレックスの意味
5 ピラミッド建設にまつわる誤解
6 ピラミッド時代の終焉
7 ピラミッドはお墓?

おわりに/あとがき/古代エジプト年表/参考文献/図版出典─────────────────────

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