答えはいまだに出ていない
僕が文章を書く時に意識していることを三つお伝えします。恐らく、ありとあらゆる文章作法の本をギューッと凝縮すると、必ず行き着く究極の文章作法です。
1.自分にしか書けないことを、誰にでもわかる文章で書くこと。
2.一文は短く、自信を持って書くこと。
3.無駄なことばは、全て削ること。
たった、これだけです。「究極の」と言った割には、当たり前すぎて気が抜けた人がいるかもしれませんね。僕は新聞社に勤めていたころ、連載やコラムを10年ほど書いてきました。いまも毎日、こうして文章に向かっています。そこで見つけたこの「究極」は、いまだに僕を翻弄し続けています。掘り下げても掘り下げても、そう簡単に答えは見つかりません。
そう、単純なことほど、複雑なのです。
書店のビジネス書コーナーを覗いてみてください。棚にはずらーっと、文章作法の本が並んでいます。毎年、新しい本が出版され、しかも結構売れています。文章作法は、困りごと解決ビジネスの一つにもなっているほどです。しかし、よくよく見れば、こうした本は、先に示した三つの内容をさまざまな角度から解説し、マスターするためのアプローチを書いているにすぎません。
その証拠に、「誰にも理解できないよう複雑な文章を書こう」とか「一文は長ければ長いほどいい。自信のない書き方をしよう」とか「余分なことばを重ねてコテコテの文章をつくろう」などと書いている本は一冊もありません。
これだけで文章が書けるというハウツー本が一冊あれば、僕たちの悩みはとっくに解消されているはずです。
ちょっと大げさに言うと、哲学と同じです。ギリシャ時代からずっと「人間の本質とは何か」を追求しているにもかかわらず、いまだに答えが出ていないのです。ソクラテスが「無知の知」とか「汝自身を知れ」などと言っても、それで人間の本質が解明されたわけではありません。その時代時代に、さまざまな哲学者が何とかヒントを見つけて自説を発表しているものの、解決されてはいないのです。それでも、いまもその答えを探す旅を続けているのです。
文章だって同じです。「究極の文章作法」も一つの仮説に過ぎません。
1は、作家・劇作家の井上ひさしのことばです。「これができたら、プロ中のプロ。ほとんどノーベル賞に近いですよ」と続けています。まさにプロ中のプロがこう言っているのです。つまり、答えのない答えをずっと考え続けなくてはならない課題なのです。「そんなことに付き合っている暇なんかないよ」と思ったあなた。大丈夫です。餅は餅屋です。文章を生業にした僕が考えたことをお伝えします。ですから「こんなことで文章が書けるわけがない」とか「これで文章がうまくなれるわけないでしょ」などと言わず、その中から「これは使える」と思ったことだけをうまく使ってください。
あなたのエピソードを書くということ
1で言う「自分にしか書けないこと」とは、エピソードです。
あなたが友達と、旅行に行ったとします。「よかった」という感想を持ったとしても、それぞれ「よかった」と思う内容は違うはずです。友達が風景に感動したとしても、あなたは旅館の食事に感動したかもしれません。それでも感想を聞かれれば「よかった」ということばに集約されるのです。
ポイントはここです。「よかった」と書けば、取り敢えずの状況は説明できます。これでは、あなたと友達のことばが同じになってしまいます。ところが、あなたが「よかった」と思ったところと友達が「よかった」と思うところは違うはずです。そのエピソードを書けば、友達とは違う「あなたにしか書けないこと」が書けるはずです。
あなたが経験したことは、「よかった」「楽しかった」「悲しかった」という単純な形容で収まるはずがありません。経験したことこそが、他の人とは異なるあなた自身の歴史です。その歴史はエピソードで彩られています。「あなたにしか書けないこと」とは、あなたのエピソードを書くということなのです。こう書くと「それはエッセイとかコラムの話でしょ、会社の業務で使う文書には使えない」という人が必ず出てきます。本当にそうでしょうか。確かに会議録をまとめるときに、あなたのエピソードはいらないかもしれません。録音したものを原稿にするだけなら、それこそChatGPTなどの生成AIに任せればいいのです。
ところが、企画書や報告書などには、あなたの視点や考えが加わります。何を課題だと思い、それをどう解決しようとするのかは、あなたという個人のエピソードに紐付いているはずです。部下の人事評価を書くときにも、あなたの意見が反映されます。
無駄なことばを削ることは必要なことばを残すこと
2と3は、米国の作家ヘミングウェイが新聞記者時代に、教わった記事の書き方の一つです。2のポイントは「文を短く」です。「文章を短く」ではありません。ここを勘違いしないようにしましょう。文章はある程度長くないと必要なことが伝わりません。その土台になるものが「文」です。文が短いと主語と述語の関係が明確になるからです。
日本語は主語がなくても通じる言語です。だからこそ、その文の主語を意識して書かないと、文脈が迷走して話がつながっていかないのです。
「自信を持って書く」ことも重要です。いまは人を傷つけまいと、婉曲に話をもっていくのが言語表現のトレンドです。そのため「〜ではないでしょうか」「そんなふうに思われることもあるのではないだろうか」というような書き方が増えて、自信を持って言いきることが少なくなっています。曖昧な表現では自分の考えを明確に伝えることができません。人を傷つけることと、言いたいことをはっきり伝えることとは違います。ここをはき違えないようにしたいと思います。
自信をもって言いきるには裏付けが必要になります。たとえば「リンゴが2、3個あった」というより「リンゴが2個あった」と書いた方が、明確です。ところが、断定して言いきるには、実際に2個あったことを確認しなければなりません。裏付けがないと、間違った文章になります。このわずかな差が文章の信頼性を増すのです。
3の「無駄なことばは、全て削ること」が、一番難しいかもしれません。誰もが無駄なことばを使って文章を書いているとは思っていないからです。ところが、同じ内容を何度も書いていたり、エビデンスもなく内容もほとんどないのに、字数を稼ぐために回りくどい表現を繰り返したりするのです。
米国の劇作家のニール・サイモンは「舞台の上に無駄な登場人物を置いてはいけない」という趣旨のことを言っています。登場人物は、劇の中で何かしら意味があるものでなければならない、ということなのです。無駄なことばを削る、ということは、必要なことばを残すということです。無駄なことばは、意味を持たないのです。ことばも登場人物も、生きてこそ、その価値が生まれます。
文章において無駄なことばを削るという作業は、ことばに価値を吹き込むことに他ならないのです。
以上が「究極の文章作法」の概略です。少し具体的に見ていこうと思います。
書くなら肉まんよりミルフィーユにしよう
「肉まんよりミルフィーユ」。これは文を短く書くコツを、食べ物にたとえたものです。おやつに食べるものとしては甲乙付けがたいのですが、文章を書くなら断然ミルフィーユの方が「おいしい」のです。
肉まんには美味しい具が詰まっています。しかし、具の中身をすぐに言い当てられますか? 恐らく、挽肉、玉ねぎ、シイタケ……。しかし、いままでに肉まんを解体して具の中身を調べた人はほとんどいないでしょう。僕たちは、何が入っているのかがわからないまま、美味しいと言って食べているのです。
つまり、肉まんとは一つの文にたくさんの要素(=具)を詰め込んだ文と同じ構造なのです。肉まんのように、一文にぎっしりたくさんの要素が詰まった文章を読まされたら、まず理解できないはずです。それは要素が多すぎて、それぞれが果たすべき役割がはっきりしないからです。肉まんのような文を書くには、よほどの力量がないと難しいのです。
ミルフィーユはフランス由来のお菓子です。ミルはフランス語で1000、フィーユは葉っぱのことです。1000枚の葉を重ねたお菓子という意味です。
構造は単純で、パイ生地と生クリームが相互に重なり合ってできています。イチゴが挟まったものもありますが、とてもシンプルです。一層の要素が基本的にパイかクリーム以外にないからです。イチゴが加わったとしても、肉まんのようにそれらが渾然一体となることはありません。それぞれの役割がはっきりしています。
パイとクリームをうすく重ねたミルフィーユは、一つの要素でつくった短い文を重ねてつくられたわかりやすい文章のようです。
ここでクイズです。次の二つの文は、肉まん、ミルフィーユのどちらだと思いますか?
1.日照りが続いており、水不足が心配だ。
2.今年の夏は暑く、熱中症が増えている。
この二つの例は、ともに肉まんなのです。文自体が短いので、大きな混乱はありません。それでも文の構造としては肉まんそのものなのです。1も2もそれぞれ二つの文(要素)がつながってできています。
1.日照りが続いている + 水不足が心配だ
2.今年の夏は暑い + 熱中症が増えている
1は「いる」が「おり」に、2は「暑い」が「暑く」に、動詞や形容詞を変化させて、二つの文をつないでいます。そのため文の前後で、主語と述語が二つずつ使われていることがわかると思います。こうした用法を中止法と言います。中止法については、第四章で詳しく説明したので、ここでは割愛します。
1も2も、連用形を使っていったん文をとめて、次をつないでいます。当然、一文が長くなります。ところが、
1.日照りが続いている。だから、水不足が心配だ。
2.今年の夏は暑い。そのため、熱中症が増えている。
というように、前の文を終止形にし、後ろの文を接続詞でつなげば、一つの文は短くなります。肉まんのような文はいったん分割して、要素をわかりやすく整理すればいいのです。
第四章で「文構造のルール」を見てきました。それは、肉まん構造の文をミルフィーユ構造の文に作り変える作業でもあったのです。肉まん構造の文は、同じことばを繰り返したり、抽象的・概念的なことばを使ったりして複雑になりがちです。簡潔な文にするため小さな要素を積み重ねる感覚で書く。これが、ミルフィーユの書き方です。
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