雲にハサミを入れる po/e/t/ry

帽子のなかから
「雲にハサミを入れる —po/e/t/ry—」⑭

最新詩集『ノックがあった』(河出書房新社)発売も話題の詩人、岡本啓さんによるエッセイ連載第14回です。前回に続き、アメリカ・アイオワ大学のInternational Writing Programの話。詩を生み出すワークショップについて。(タイトルデザイン:惣田紗希)

 忘れてきてしまった。ジャケットを。ホテルの部屋にもどったとたん気がついた。さっきの翻訳ワークショップだ。ここからすこしはなれた一軒家でワークショップがあった。日本の感覚でいうと、ここから目と鼻のさきの場所。でもそれが錯覚にほかならないと、ようやくぼくは気がついてきた。

 アイオワに来て以来ぼくは、一ブロックのおおきさのちがいにだまされつづけてきた。あそことあそこを過ぎたらすぐ。どこへいくにもすぐそこという感覚。ただ歩くと平気で一キロ以上ある。そしていまぼくはその片道一キロ以上の道のりをもどってきたばかり。

 取りにいくなら、これからまたもう一往復か。しょうがない、運動だ。ふたたびむかった街外れの一軒家。シャンバハウスは、三角屋根のすてきな住宅で、ポーチに揺れる二人がけのベンチのブランコが目印だ。トビラの前に立ちノックをする。返答はない。ドアノブにふれる。鍵がしまってる。呼び鈴をおしても返答はない。手でおおいを作って反射をおさえながらガラス窓からなかをのぞく。だれもいない。

 あーあ。ポーチを背にまた引き返した。すこし歩いて気配にふりかえると、あれ、だれかがポーチにかけあがって外からトビラをがちゃがちゃやっている。白いシャツにネイビーのナイロンベスト。細身のすがた。クリストファー・メリルだ。クリストファー・メリルは詩人で、International Writing Programのディレクター。2000年からアイオワ大学にて、世界からくる作家の滞在プログラムを指揮してきた。1967年から続くこの歴史あるプログラムも、2000年の手前には、予算がけずられて青息吐息だったそうだ。だが彼がきて活気をとりもどした。

 どうしたのかたずねてみると、彼のほうが重大だった。この鍵のあかないシャンバハウスのなかに彼の上着が。そのポケットには彼の車のキーが。自宅では犬が待っているそう。

 スタッフに連絡して、鍵を届けてもらうことになった。待っているあいだ、立ち話をする。今日の多言語翻訳ワークショップのはなし。毎週金曜にあるこのワークショップは面白いのだ。いま教授はトルコ語が母語のアロンだが、以前は、クリストファーがこのワークショップを受けもっていたらしい。

 今日のクラスでは、ぼくの詩の英訳について話し合った。アメリカで育ったミハルがあらかじめぼくの詩を一篇翻訳してくれていた。日本語と英語がわかるのはミハルだけ。ただ、彼女のおこなった翻訳について、原文の日本語をまったく読めない者たちが意見を出し合う。母語がそれぞれ違う修士の学生たち。そこにアロン教授のアドバイスが加わる。日本の大学にも様々な言語の翻訳コースがあるだろう。しかし、このクラスでは、知っている言語の異なる者たちが一堂に会する。日本にはない珍しいことだ。この教室には個々の言語という細かな視点を超えた、翻訳一般という視点がある。さすが多人種の移民国家アメリカ。多言語の交差点として培われてきただけあるなと思わせる。

 ぼくは、ミハルと今年六月に、東京で一度だけ会ったことがあった。ハワイの詩人が来日して詩のワークショップをした。そのとき、偶然ぼくもミハルも参加していて彼女とペアになった。そこではこんなことをした。一枚の紙きれを半分に折る。ひとりが右側に名詞をいくつか書く。それをもうひとりにわたす。もうひとりは右側かくして左側に形容詞をいくつか書く。左右を合わせて偶然にまかせて新しい言葉をつくる。するとふだんは思いつかない詩句ができあがる。偶然の力によって、じぶんの言葉の殻からぬけだすことができる。その日はこんな言葉の組み合わせができた。こなごなの指先。しずかな耳。それから、まばゆいお好みやき。ただ、その日ぼくは、落雷と書こうとして、落電と書いてしまうカッコ悪い間違いをおかした。

 こんなわけでね、ミハルは、ぼくが英語だけでなく日本語も得意じゃないって知っている、だから彼女に翻訳してもらうのは気楽だったよ。そうぼくはクリストファーにはなした。すると、彼は二十年前に友人の詩人マーヴィン・ベルと一緒に行った詩のワークショップの話をしてくれた。

 色んなやりかたで詩を書いた。あるときはこんなことがあった。ひとつの帽子のなかには地名、もうひとつのなかには野菜やフルーツの名前をいれておく。それをひいて組み合わせるんだ。わたしがひいたのはアラスカとマンゴー、となりの女性はモスクワとリンゴをひいた。それでね、アラスカとモスクワを交換してもらったんだ。mango of Moscowのほうが響きがいいからね。短いものを書いて、で、家に帰った。でもあのモスクワのマンゴーという言葉がずっと頭にひっかかっていたんだ。それでその言葉をもとにふたたび詩を書いた。モスクワを舞台に、イメージのなかで空をとんでいるような感じで。小さなきっかけだった、だけどそれがわたしがこれまで書いた中でもっとも長い詩になったんだ。

 ぼくとクリストファーでは世代も国籍も違う。けれど詩を書く者同士、詩が偶然から発展していく感覚がよくわかる。そのさいのよろこびも。ただ一箇所だけ気になった。彼が一気にはなし終えた内容を頭で反芻しながら、ぼくはたずねた。え、ちょっとまって、どこからその紙切れはとりだしたって。ぼくは聞き間違えたと思ったのだ。帽子? 帽子から?

 そう帽子からさ。

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