ちくまプリマー新書

理想とのギャップで自己嫌悪…でも思春期はそれが大事!
『自己肯定感は高くないとダメなのか』試し読みを公開!

成長途上の若者が「自分はまだ未熟だな」と思うのは自然な事です。本当の自己肯定感を育む方法が見えてくる『自己肯定感は高くないとダメなのか』より本文の一部を公開。

自分に満足できなくなるのは心の成熟のしるし

 この本を手に取った人には、自分の自己肯定感が低いことが気になっているという人が多いはずだ。でも、ここまで読んできて、そんな自分はけっして特殊なのではないとわかり、少しホッとしているのではないか。ここで、さらに安心できるデータを紹介しよう。

 ちょっと古いデータだが、小学5年生、中学1年生、中学3年生それぞれに、自分に満足しているかどうか、自分が好きかどうかを尋ねる調査が、心理学者の遠藤毅によって行われている。その結果をみると、「自分に満足」という比率は、小学5年生では57.5%と過半数を占めるのに、中学1年生では30.0%と半分くらいに低下し、中学3年生では20.5%とさらに低下している。「自分が好き」という比率も、小学5年生では54.8%と過半数を占めるのに、中学1年生では45.0%と低下し、中学3年生になると32.5%とさらに低下している。

 ここで注目すべきは、児童期には多くの子が自己肯定しているのに、思春期になると自己肯定する子が一気に少なくなるという傾向だ。

 このような傾向は、小学校高学年から中学校高学年にかけてしだいにダメな人間になっていくということを意味しているわけではない。これには、児童期から思春期にかけての認知能力の発達が絡んでいる。

 認知能力が発達し、抽象的思考ができるようになることで、「こうありたい」「こんな自分になりたい」という理想の自己を高く掲げるようになり、それとの比較で現実の自分を厳しい目で見つめるようになる。自分自身に対して批判的なまなざしを向けるようになるため、自分に対する満足度が低下し、自分が嫌いという比率も高まることになるのだ。

 このように考えると、自分に満足できないというのは、けっしてダメなわけではなく、むしろ心の成熟のしるしといった面があることがわかるだろう。自分に満足できないことが世間で言う自己肯定感の低さにつながっているのだとしたら、それはべつに気に病むようなことではない。

自分の現状に満足できないからこそ成長できる

 思春期から青年期にかけて、ますます認知能力は発達し、自分の内面に批判的な目を向けながら、「どう生きるべきか」「どんなふうに生きるのが自分らしいのか」「いったい自分はどうしたいのか」「どうしたら納得のいく人生になっていくのか」などといったアイデンティティをめぐる問いとの格闘が続くことになる。それは、今の自分に満足することができず、もっと納得のいく自分になりたいとの思いに貫かれたものであり、自分の現状に満足できないことが、より良い自分の探求につながっていると言える。

 心理学者の元永拓郎は、自らの学生時代の苦しさについて、つぎのように述懐している。

 「自己肯定をしない学生時代はある意味、苦しいものであった。その苦しさの中で「自己肯定」しながら生きてきたのもまた事実であると思う。もっとも当時は「自己肯定」という言葉を重んじなかった。逆に自分を肯定してはだめだと思っていた。そんな中でも自分が認められる瞬間はやはり嬉しかったのだから、そんな瞬間の集まりを手繰ぐり寄せながら、自己肯定の感覚を紡いでいたのだと思う。」(元永拓郎「自己肯定感の育つ環境」『児童心理』2014年6月号所収)

 僕自身の思春期・青年期を振り返ってみても、けっして自分に満足していた日々とは言えない。

 とくに中学時代は、「こんな自分じゃダメだ。もっとマシな自分にならないと」といった感じの自己嫌悪に苛まれることが多かった。もし、そんなときに、「今の自分に満足していますか?」などという質問をされたなら、「まったく満足していない」と答えたに違いない。そうすると、自己肯定感が著しく低い人物ということにされてしまう。

 大学時代は、自己嫌悪というよりは迷いの時代だったように思う。「自分はどうしたいのだろう」「自分らしさって何だろう」「どうすれば自分なりに納得のいく人生になっていくのだろうか」といった思いが絶えず脳裏を駆けめぐり、とても自分の現状に満足できる状況ではなかった。

 自分だけではない。自分の進むべき方向に迷い大学から姿を消していく友だちがいたり、同じく自分を見失い留年して哲学や精神分析の書物を読みふける友だちがいたり、そんな友だちと語り合いながら理系から文系への転部を考える自分がいたりと、多くの学生が自分の現状を肯定することができず、どうすべきか悩み、もがき苦しんでいた。

 自分の現状に納得できず、「何とかしなければ」ともがき苦しみながら自分の道を見つけ、軌道修正する。しばらくすると、「何か違う」と違和感に苛まれるようになり、改めてもがき苦しみながら何とか自分の道を見つけ、軌道修正する。そうしたことの繰り返しが自分の人生を歩むということだと思うが、思春期・青年期はとくにそうした自己形成の営みが盛んな時期と言える。

 自分の現状をそのまま受け入れ肯定するだけでは、なかなか自分なりに納得のいく人生になっていかない。自分の現状を肯定することで上辺だけの自己肯定感を維持しようとしても、ほんとうの自己肯定感は手に入らないだろう。そのような意味でも、安易に自己肯定を促す今の教育環境は好ましくないと言わざるを得ない。

 このように考えてみると、このところのほめまくりの教育、自己肯定を促すばかりの教育は、非常に大きな問題を孕んでいることがわかるはずだ。いくらほめて良い気分にさせ、「自分はこれでいいんだ」といった思いに導き、上辺だけの自己肯定感を取り繕ったとしても、そんなことでほんとうの自己肯定感は育まれない。

 やたらほめまくり、自己肯定を促すばかりの教育環境は、自分の現状に疑問を抱き、ときに現状を否定し、今の自分を乗り越えていこうともがき苦しむ機会から、若者たちを遠ざけていることになる。それは、成長の機会を奪っていることに等しい。

 そこからわかるのは、自分の現状に満足できないのは、けっして悪いことではなく、むしろ成長を強く求めている証だということである。



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