筑摩選書

戦争と平和の四〇〇年
『国連入門』自著解題

今年2025年は国連創設80年に当たります。しかしウクライナ戦争やガザ紛争といった危機の中で、国連は機能不全に陥っています。国家という「猛獣」を手なずけて平和を築くためにはどうすればよいのでしょうか。2月の新刊『国連入門』の著者の一人・中山雅司さんに解説いただきました(『ちくま』3月号より転載)。

 本年1月28日、米科学誌「原子力科学者会報(BAS)」は、毎年発表している人類滅亡までの残り時間を象徴的に示す「終末時計」がこれまでで最も短い「残り89秒」と発表した。核の脅威、生物学や人工知能(AI)の進歩の悪用、そして気候変動を主な要因として挙げた。ウクライナ戦争から3年、ガザ紛争も停戦合意の行方に注目が集まる。第二次トランプ政権の誕生も相まって、世界は一層混迷の度を深めている。

 本年2025年は、第二次大戦後80年を迎える。それは同時に国連創設80年でもある。このたび、元外交官で国連代表部にも勤務した山本栄二氏と共に『国連入門-理念と現場からみる平和と安全』を書いた。国連安保理が機能不全を起こす中、国連が掲げる「平和と安全」の理想と現実を問い直し、よりよい世界への道筋を探ろうと試みた。国連の前身は第一次大戦後の国際連盟であることはよく知られる。その構想はドイツの哲学者カントに遡る。1795年、カントは著書『永遠平和のために』において、共和制にもとづく「自由な諸国の連合」を提唱、その思想に影響を受けたアメリカのウィルソン大統領によって国際連盟はつくられた。しかし、結局、第二次大戦を防げなかった。その反省をもとに国連は誕生したが、国連も平和への処方箋を明確には描けずにいる。

 人類史はまさに戦争と暴力の歴史でもあった。それは、現在の主権国家体制のもと、科学技術の進歩による兵器の大規模化に伴って一層顕著となった。その究極が核兵器である。近代国際社会のきっかけとなったヨーロッパにおける三〇年戦争のさなかの1625年、「国際法の父」と呼ばれるフーゴ・グロティウスは一冊の本を著した。『戦争と平和の法』である。キリスト教徒同士が血を流し合う悲惨な戦争を目の当たりにし、法によって戦争を緩和できないものかと彼は考えた。

 それからしくも本年は400年となる。三〇年戦争は1648年のウェストファリア会議によって終結し、やがて主権国家の時代が始まった。今日まで続く国際社会、いわゆるウェストファリア体制の誕生である。それは、上に政府(公権力)がない分権的な社会であり、自然状態ゆえに抗争を内包し、上からの抑えも十分効かない。

 国家は私たちを守る重要な存在である。しかし、時として勝手気ままに振る舞う猛獣(国家)をどう手なずけるか。これは未だ変わらぬ国際社会の命題である。猛獣をコントロールするための方法を三つ。

 第一に国家を縛ること。国家を縛るとは、法(ルール)による規制と秩序の維持である。ここに国家間の法としての国際法の役割がある。かつては戦争さえも合法な時代もあった。しかし、二度の大戦を経て武力行使は違法とされた。それが容易たやすく破られる現実もあるが、違法な武力行使はもはや正統性をもたない。

 第二に国家をつなぐこと。単独行動を許さないという意味である、ここに国連の役割がある。国連は国家を超えるものではないが、国家をつなぎ合意を通じて地球的課題に対処する機関である。このマルティラテラリズム(多国間主義)にこそ国連の存在意義がある。しかし、国家を縛ろうとしても、つなごうとしても猛獣は暴れようとする。場合によって国民に牙をむくことさえある。

 そこで、第三に大事になるのが国家を動かすことである。すなわち、民主主義国家の主役である市民社会の役割である。もっとも今日、民主主義そのものが揺らいでいる。であるからこそ、私たち一人一人に賢明な判断と行動が求められている。

 世界を「戦争の文化」から「平和の文化」へどう転換するか。その重要な鍵は正しい価値観とグローバルな視野をもった人材の育成である。その意味で教育の役割が一層重要になると思う。筆者自身、大学という教育の現場に身を置いて約40年。ゼミからも多くの卒業生を送り出してきた。混迷の時代であるからこそあらためて教育の重要性と人を育てる醍醐味を実感する。その学生が羽ばたく春がまた巡ってくる。

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