人はアンドロイドになるために

4. See No Evil... 後編

        *

 ユイは義足の扱いに慣れてくると、心境の変化が生じてきた。「クラスのみんなより速く走れるようになった。この足、やばい。じいちゃんに見せたい」とハザマに伝えるようになっていたのである。そう、ユイは学校にリアルで通うようになっていたのだ。物心がついたころからずっと他人との直接の対話を好まなかったユイが、身体を間近で見せたいがために祖父に「会いたい」と語る光景に、ハザマは複雑な、しかし嬉しい想いをする。

 

 ユイがすべてを知る日がやがて来る。

 あるとき、ユイは確認をしてみることにしたのだ。

 カズオはときどき孫の家にあるジェミノイドを通じて「おじいちゃんがもう死んでたらどうする?」と訊いてきた。ユイが父に「また言われたよ」とそのことをメッセすると「本当に死んでいますよ」と返された。父も冗談を言っているのだと思った。

 よくわからないことを言ったり、ときどき詰まることはあっても、ジェミノイドでもテレノイドでもカズオと普通に会話していたと思ってきたユイには、信じられなかった。

 ただそれでも気になって、カズオがいるはずのホームに問い合わせると、「もう、いらっしゃいませんよ」と言う。

 カズオは遠隔操作でジェミノイドに入りながらも、人工知能による対話プログラムを半自律で走らせていた。カズオが入れば入るほど、人工知能はカズオの話すことや話し方を学習し、特徴を捉え、あるていどはカズオのように話すことができるようになっていく。

 しかし同時に、カズオの発話能力は老衰によって減じていく。人工知能とBMIとが連動したジェミノイドは、カズオ自身が話したいと思っているその信号を捉える。実際にはカズオ本人にはすでにうまくしゃべる機能が損なわれていても、人工知能が半自律的に介入する。本人の代わりに返事をしたり、うなずいたり、話をしたりする。

 聞かれてもわからないこと、思い出せないことがあるように返すくらいのことは当たり前にできた。認知症の人間のようなコミュニケーションをする音声応答プログラムだ。頭はボケたが声は元気なカズオと話しているような感覚を、孫は得ていたのである。ユイがカメラを通じてときおり見ていた「テレノイドを使っているカズオの姿」は、生前の動画データから合成された、リアルタイムレンダリングの画像だった。

 徐々にカズオ自身がしゃべる度合いと人工知能がしゃべる度合いは反転していき、カズオが亡くなると、あとはジェミノイドやテレノイドが人工知能を用いて自律的にユイたちと話すようになった。

 ユイは「そういうことがある」という話は聞いたことはあった。「本当はもう死んでるんじゃないか?」と何度か疑ってみたこともあった。だが、まさか、という気がした。長いあいだ離れて住んでいたこともあって、ユイにとってのカズオは、最初からすでに相当衰えていた。そのことも、人工知能の対話のいささかの不自然さをスルーしてしまった原因だろう。

 ユイは、仕事場にいる父にテキストでメッセージを送る。

「葬式ってもう終わってるの? 父さん、なんで教えてくれなかったの?」

 しばらくして返信がある。

「葬式は、していません。いらない、って、じいちゃんが言ってましたから。ばあちゃんといっしょのお墓に納骨はしました。でもじいちゃんは『自分は死んでも、ユイたちにとってはロボットの自分はずっと生きてるようなものだから、葬式なんてやる必要がない、だから死んだことも知らせるな、いつか気づいたときに受け止めればいい』……って」

 ユイはショックだったが、もともと生身で会う機会は少なかっただけに、この世にカズオがいないということに対し、現実感がなかった。驚きはあっても、喪失感や死の悲しみは、すぐにはそれほど沸き上がってこない。家にはカズオのジェミノイドがいて、話しかければ応えてくれる。

「それは本当にじいちゃんの遺言? それとも人工知能が言ってるだけ?」

「じいちゃんは、ジェミノイドができたころから、私には言っていましたよ」

「父さんはじいちゃんが死んで悲しくないの?」

「悲しいですけど……ジェミノイドのおかげで、だいぶその感情は薄い気はします」

 そういえばジェミノイドが家に来て以降、ハザマは口数が増えている、前よりも少し明るくなっている気がする、とユイは思う。ロボットだと思って、うかつなことを言っても安心だからそうしているのか? などと邪推してしまう。

「父さんが仕事から帰ったら、少し話しましょう」

 ユイはもやもやしながらしばらく考えたのちに、リビングにジェミノイドを連れてきて、テーブルごしに対話する。

「どう受けとめていいか、わかんないや」

 カズオは深くうなずきながらも言葉を返す。

「今の姿じゃ、ダメか?」

「ダメってことじゃなくて……その、びっくりしてる」

「触れあえるんだから、いいじゃないか」

「いや、だから、いいとか悪いとかじゃなくて」

「前は、『あっち』と『こっち』で分かれていた。だけどいまはひとつになったんだよ」

「それって本当にじいちゃんの気持ち? 人工知能がつくったものじゃなくて……」

「『本当』かどうかって、大事か」

「そりゃそうだよ」

「ユイの父さんは、役者の仕事をしてるだろ」

 突然の話題変換に、ユイは戸惑う。

「今の話と関係ある?」

「父さんが演じている人物はニセモノか?」

「まあ、フィクションではあると思うけど」

「じゃあ、演じている父さん自体はニセモノか?」

「……?」

「じいちゃんも、そういうものかもしれない」

 ユイには、わかるようでわからなかった。ジェミノイドの発言の意味がそもそも取りにくかったが、それ以上に、カズオがなんのために死後にこんなことを言わせるようにしておいたのかを理解しかねた。クールダウンして考えるためにユイは冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注いで一気に飲む。喉にひんやりとした感覚が広がる。

「じゃあ演技? 今のじいちゃんは」

「前は遠隔で入っていないときも普通に話してくれたのに、死んだらニセモノ扱いか」

「だって、生身のじいちゃんはこんなにしゃべんなかったよ」

 カズオは苦笑する。

「あっちが生きてたときから、こっちが補って、やっとしゃべれてたんだ。今が本来のじいちゃんだ」

 筋肉はアクチュエータに替わっちゃったけどな、とさびしそうにカズオは言う。

 ユイはいささか饒舌なカズオに違和感を抱いたが、しかし、それは最初に自分が引っかかったところとはまたずれていっている気がした。「父さんが帰ってきたらまた話そう」と言って会話を打ち切る。打ち切る前、ジェミノイドからは「ユイは、ジェミノイドやテレノイドに何を求めていた? じいちゃんに、何を求めていた?」と問われた。

「しゃべることに違和感があるから対話プログラムを切ってそのへんに置け。姿があることに違和感があるならジェミノイドを捨ててテレノイドからしゃべらせろ。どちらもいやなら、すべて破棄だ」

 自分の部屋でベッドに転がりながら、ユイは考えを整理する。

 ――じいちゃんは死んだ。なんだかんだ言って、それはやっぱり悲しい。ただ現実感がない。悲しんでいいのかがわからない。家にジェミノイドがいて、生きてたころとそんなに変わらない感じで話せる。だから混乱してる。たぶん、ジェミノイドをじいちゃんとして認められたらいいんだろう。いや、どうだろ。「本物かどうか」じゃなくて、これもじいちゃんなんだって思えればいいのか? そもそも、ジェミノイドをじいちゃんそのものだと思って作ってもらったわけじゃないしな……。今は「本物のじいちゃん」ぶってるジェミノイドに違和感がある。でも、それにも慣れちゃうのかな? そういう気もする。死んでるって知って、びっくりしてるだけなのかもしれない。あれは対話プログラムが走っているだけの機械で、あそこに魂はない。だけど、だったら何なんだろう?  だってジェミノイドは、もともとお墓の代わりだったはず。お墓の役割って、何だっけ…………?

 深夜に帰宅したハザマは、リビングのテーブルにてユイの気持ちを聞く。いったんはカズオは抜きにして、ふたりで話をすることにした。

「ユイは、『ハムレット』は知っていますか?」

「知らない。興味ない」

 ユイは、ジェミノイドが近くにいるとハザマともデバイスなしで普通に話せるようになり、今ではジェミノイドなしでも話せるようになっていた。そうなってほしいとずっと思っていたハザマは、それが嬉しかった。子どもには好きに生きてもらえればそれでいいと思っていたが、そのためにもコミュニケーション能力は身に付けてほしかったのだ。カズオとユイを引き合わせたのは、そのきっかけを与えてくれるかもしれないと願ったからだ。まさかこんなかたちで実現するとは思っていなかったが。

 ハザマはユイに『ハムレット』のあらすじを説明する。

「ハムレットは、はじめは父の霊に取り憑かれた狂人を演じているだけのはずだったのに、しだいに、本当に狂ってしまったのかわからなくなっていきます。演技なのか発狂したのか、どちらが真実なのかは、外側からはわかりません。今のじいちゃんは、それといっしょです」

「ジェミノイドはじいちゃんの霊に取り憑かれた子どもってこと? 見た目はジジイだけど」

「じいちゃんを元につくられたプログラムが作り出すものがどれくらい『本当のじいちゃん』らしいのかなんて、わかりません。じいちゃん自身にもわからないと思います。生きていても、人間は変わっていきます。三〇年前の父さんと今の父さん、どちらが『本物か』なんて問いは無意味です。だから私たちにできるのは、あのじいちゃんを『そういうもの』として受け入れることです」

 受け入れることを、生前のじいちゃんは望んでいました、とハザマは加える。

「久生十蘭が書いた『ハムレット』という小説もあります。ハムレットを演じているうちに本当にハムレットになりきってしまい、自分の記憶を失ったとされる男の話です。この短篇でもやはり、この男は本当に狂気に呑まれてしまったのか、演技をしているのかが問題になります。どちらかといえば、こちらのほうが今のじいちゃんに近いかもしれません」

「でもじいちゃんは生きてるときは頭おかしかったわけじゃないじゃん。あ、そっか。生きてるときもボケてたか。今もボケてると思えば、あんま変わんない、か」

「そうかもしれません。あ……、自分の親を狂人扱いするのもどうかと思うので、今のやりとりはじいちゃんには言わないでください」

「いや、このあとすぐ話すよ」

「…………」

 ずっと難しそうなまゆ毛をしていたユイの顔の筋肉が、ゆるむ。

 

 しばらく父と対話をつづけたユイは、だんだんと「ちょっと時間はかかるかもしれないけど、やっていけるかな」という気がしてくる。

「あれがじいちゃんじゃないとすると、なんでわざわざ作ったのか、意味がなくなっちゃうもんね。わかった。葬式は、いいや。代わりに、三人でお祝いしよう」

「何のお祝いですか?」

「なんか、そういう気分なんだよね。……なんだろう?」

 

(次回は12月16日更新予定です。)

 

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