人はアンドロイドになるために

5. 時を流す(1)

 *

 例の事件の日のことを、主観的に再構成してみよう。

 僕は定期のメンテナンスのために滞在していたモールで、「アンドロイドにイタズラがされている」との連絡を受けた。なんだ? めんどくせえなあ……と正直思った。

 商業施設内には複数の監視カメラがあり、リアルタイムでモニタされている。問題行動が見つかれば警備員が駆けつける。幼児を除けば、接客用アンドロイドに過度のちょっかいを出す人間はほとんどいない。

 ヒマで寂しく、対話相手を求めて毎日来る失業者や老人もいるが、たいがい無害である。そういう相手を気持ちよくさせつつ、購買意欲がない人間には自然とお引き取り願うよう会話パターンを調整するのも、僕の仕事だった。ロボットは一度来た客を顔認識で覚えておくことができる。しつこい客には「二〇日連続のご来店ありがとうございます」「たまにはお買い物していってくださいね」とやんわり言うようにさせていた。

 報告のあったイタズラは、監視カメラの死角を突いた、計画的な犯行だった。反ロボット団体のしわざか、それに影響を受けた人間によるものだろう、とピンときた。彼らはSNSを通じて、著名な商業施設へのテロ行為、破壊活動を助長する情報を流していた。「ここがセキュリティホールだ」「こうすればつかまりにくい」といったものだ。そういう情報を見つけてモール側に対策案を出し、実現に向けた予算の折衝をすることもたびたびあった。ちょうどこちらの提案が金額面で折り合わず、対策が見送られた矢先のことだった。モール側の責任問題になることは間違いない。

 僕が担当していた接客用アンドロイド数体にイタズラ、破壊行為を行った宇田川は、僕と同じ経路で情報を手に入れたらしいことが発覚している。彼はしかし、ネットワークから入手した犯行プランを実行して人知れず消えていくのではなく、目立とうとした。興奮して、バレて捕まってもかまわないと思ったのだろうか。宇田川は自分がいたフロア内の服飾店で接客にあたっていたミナミ一体を店外に引きずり出し、エスカレータから突き落とそうとしていた。報告を受け、モール内を早足で巡回していた僕はその現場を遠目に目撃し、駆けつけた。ミナミを乱暴に扱う宇田川を見て、脳天の血が沸騰した。

 僕の動きに気づいた宇田川は下りエスカレータを使って逃げようとする。しかし彼は誤って上りエスカレータのレーンに入ってしまう。宇田川は肩に抱えたアンドロイドをエスカレータの手すりの外に投げ捨てて逆走を試み――たところで、僕が追いつく。僕は勢いに任せて、宇田川が投げようとしたミナミに両手を伸ばす。必死だった。アンドロイドを、救いたかった。

 しかし手は届かず、アンドロイドは階下に落ちる。転んで体勢を崩した僕は、宇田川の身体に寄りかかるような格好になる。僕の体重のかかった一撃で宇田川はエスカレータを後ろ向きに転倒、その背後にいた人たちを大量に巻きこみ、一〇メートル近くなだれ落ちた。まさか、と思った。頭が真っ白になる。

 気づけば僕だけが、下のフロアまで転げ落ちることなくとどまっていた。高田屋は天井の高いフロアづくりをした建物で、フロアとフロアをつなぐエスカレータはかなりの長さに及んでいた。エスカレータから落下したミナミも階下にいた老人を直撃し、死亡事故となった。僕のアンドロイドが、人を殺してしまった。このショックは筆舌に尽くしがたい。

 僕は宇田川という犯罪者を止めようとした人間のつもりだった。

 だが脳挫傷で植物状態になった宇田川はそれほど問題視されることはなく、「突き落とした人間」のほうがフォーカスされた。理由は簡単だ。宇田川は移民の母と重度の身体障害者である父を持ち、貧しい家庭に育った。そのうえセクシャルマイノリティでもあった。マスコミが叩く材料としては不適切だった。

 対して僕は、クソみたいなエリート一家の末っ子だ。それも自分がつくった女性型アンドロイドの皮膚をなで回し(それくらいチェックするのは当たり前だし、お遊びでちょっかいを出すことは技術者なら誰でもやっている)、恋しているのではないかと思われるくらいアンドロイドに情熱を注いでいた変人、変態とみなされた。古くさい価値観に染まったままのマスコミが好奇の視線を降り注いだのは、僕のほうだった。不愉快なことに、ネットでも、勘違いに基づく勝手なバッシングや共感が垂れ流された。

 その後の事件報道や裁判では「なぜ片山はエスカレータで目の前にいる人間よりもアンドロイドを気にかけたのか。迷わず宇田川の身体を捕まえていれば大惨事にならなかった」ということが争点となった。「片山はアンドロイドを落とされてカッとなって若者を突き落としたのだ」というわけだ。僕は正直に「故意に突き落としたつもりはないが、アンドロイドをめちゃくちゃにされて怒っていたことは事実」「手塩にかけて育ててきたアンドロイドを、見知らぬ人間より先に助けるのは当然」と警察に供述したため、物議をかもした。

 会社の人間を経由して僕が裸体の女性アンドロイドとにやけた顔つきで並んで撮った写真などが流出したこともあり(被服店の接客アンドロイドを担当しているのだから、何も着ていないアンドロイドに触れることは日常茶飯事である)、「常軌を逸したアンドロイド好きが、アンドロイドのために人間を殺した事件」としてマスメディアは煽るようにして取り上げた。「ロボットに触れすぎると、ロボットと現実の人間の区別が付かなくなる」といった十年一日のごとく変わり映えしない意見を語る、頭の悪い精神科医や評論家もあらわれた。

 僕が「軽薄そうな外見」とは裏腹に、それまで恋人がいたことがなく、童貞であったことも「女性型アンドロイドに恋する青年の犯行」という偏見を助長したらしい。「ナルシストの度がすぎて恋人ができなかったんでしょう」などとコメントした評論家の顔と名前を、僕は一生忘れない。

 生涯未婚率は男性が四割近く、女性が三割という日本社会のなかでは、僕のような恋愛経験の乏しい人間も少なくない。なお僕は女性が好きな男性である。ただ、恋愛をしている時間がもったいなかった。そんなことよりアンドロイドをいじっている方が楽しかった。強がりではない。悔しまぎれでもない。僕は無駄な時間が嫌いなのだ。ほとんどの人間よりは、アンドロイドが好きだった。ただし断じて性的に好きだったのではない。彼女たちとセックスしたことはない。彼女たちを物理的にあるいは空想的に使って射精したことは一度もない。自分の作品であり、自ら生み出したパートナーとして愛していただけだ。そこに自分の好みや理想は反映されていたことは否定しない。誰だってマシーンをカスタマイズして「愛機」と呼んだりするはずだ。

 そういうことが、くそったれな世間には伝わらなかった。

 三審の末、僕は刑務所に入る。

関連書籍