人はアンドロイドになるために

6. 時を流す(2)

 引っ越して数日のうちに、住み処にひとりの男が訪れた。

 インターホンごしにその姿を覗くと、真夏なのにスーツを決め、背筋のピンと伸びた、やや鋭角な目つきをした男が立っていた――よく見るとそれは、遠隔操作型アンドロイドだった。リアルすぎて、いまどきアナログな裸眼(ようするに老眼だ)の僕には、一瞬わからなかった。

 彼はロボット至上主義者団体に所属する者で、団体の主宰者は僕の存在を自分たちの運動のルーツと位置付け、尊敬しているのだという。なんのことかわからなかったが、あの事件を「アンドロイドの方が人間より価値があることを世に訴えた」ものとして彼らは捉えているようだった。

 ついては当団体の顧問に就任し、ともに活動してほしい、と言う。

 唐突すぎる。それに僕は「アンドロイド総体」のために行動したのではない。自分が手塩にかけて扱っていた「あのアンドロイド」を助けるために事故を起こしてしまったのだ。顧問になれば食うに困らないことは魅力的だが……こんな団体に協力するのはどうかと思った。

 すると彼らは提案してきた。何もしなくてもいいから、アンドロイドを作らせてほしい、と。あなたの似姿を何体もつくって、我々の思想を世の中に広めるために使わせてほしい、と。言うまでもなく、違法である。特定人物から型を取ったアンドロイドを遠隔操作によって本人以外が利用することは原則禁止だ。自律型での運用でも、家族による利用以外は禁じられ、起動には指紋や虹彩認証が義務づけられている。しかし彼らは法を破ってでも、協力してほしいらしかった。

 それを許可してくれたら老後までの生活も保障する、と言う。僕には仕事もない。失うものはない。悪用されたときにはふたりの兄貴へ影響は及ぶが、彼らももう定年している。

 もしアンドロイドをつくらせてもらったあとで同じ顔のままで生きていくのが不都合なら、「顔と名前を変えての生活も用意する」とまで言う。

「このまま人生を続けるか、まったく別人になって生きるか。このまま人生を続けても、働くあてさえない。別人になれば、一生暮らしていける。あなたが送りたい人生はどちらですか」

 団体からの使者は僕に迫った。失礼なやつだと呆れながら、しばし僕は考える。

 彼らがよけいなことをしなくても、ロボット社会は進んでいる。世間は勝手だ。だからこそ、こうも思う。社会をざわつかせるノイズ、時に思考を促す雑音、あるいは日々の退屈へのひとときのスパイスがあったほうがよいのではないか、と。過激派に自分のコピーが何百体も作られ、おそらく罵詈雑言を世に撒き散らしたり、世間を騒がせたりする。こんな経験はなかなかできるものではない。他人事なのであれば、正直に言えば見てみたいものだった。僕の代わりに積年の鬱屈を晴らしてくれる何かがいるのなら。

 しかし、彼らはシンボルとしての「事件を起こした人間としての僕」がほしいだけで、僕個人そのものは不要なのだ。こんな不愉快な話はない。それに、ロボットやアンドロイドを称揚するのは今では主流派の考えだ。どうして彼らはそんなことを主張しているのか?

 悩んだ僕は、ひとまず彼らの代表と会ってみることにした。

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