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さし上げますのでぜひ遠隔操作型ロボットで来てほしい、と言われたが、僕はこの国で彼らが拠点にしている事務所へ直接足を運んだ。お互いロボットを使うなら物理空間で「会う」必要はない、と思う僕は、古めかしい考えのようだった。
老いた身にはこたえる距離を移動し、後悔がめばえたころに、湾岸部にそびえる高層ビルにたどりつく。そこにワンフロアぶち抜きで彼らは事務所を借りている。そこにはロボットやアンドロイドしかいなかった。
このロボットたちは遠隔操作なのか自律型なのか? どの機体も動きは自然だ。世間で稼動している大半のものより、はるかに。僕が現役のころには遠隔操作でも自律でもこの動きは難しかったものだが。
生身の人間が来ることはめずらしいようで、受付では怪訝な顔をされ、警備は警戒していた。しかし生身の人間が来ないのであれば、なんのために物理空間を借りているのか。
待合スペースは地上四五階から海が一望できる、絶景だった。このビルにほかに入っているのは一部上場企業ばかりである。信じられない額の寄付で成り立っているというこの団体の財力を実感する。よく対話の機会を設けたものだ。
やがて『ブレードランナー』の冒頭に登場するような女性秘書がやって来て、代表室へと案内される。そこからも海がひらけていた。代表は球体フェチらしく、オブジェや小物、照明のデザインやペット型ロボットに至るまで、丸いものが空間に配置されていた。
強い日射しがさしこむ。アンドロイドの皮膚のシリコンを劣化させるので太陽光は避けたほうがよいというのが僕らの時代の常識だったが、今は違う。そう、相手は生身の人間ではなく、アンドロイドだ。
三〇代後半くらいの若々しく男らしい外見に、黒のスーツに白シャツ、黒ネクタイ。まるで葬儀屋だ。代表はそんな格好には似つかわしくないように思える、窓から降り注ぐ後光をまとっていた。ロボットは目に入る光の量を調整できるから、直射日光でもおかまいなし。彼は応接用のソファに私を促す。こんなにやたらと体が沈むソファに腰掛けるのは、いつ以来だろう。
「ご足労いただき、ありがとうございます」
お決まりの挨拶を済ませる。
実際に会うことにしてから、僕は彼らについて少し調べた。
ロボットやアンドロイド、人工知能を人間より上位の存在だと主張する団体はいくつもある。それらは各々に主張が違う。たとえば、ロボット至上主義なのか人工知能至上主義なのか。これは、身体を持つかどうかの違いである。ロボット至上主義は、さらにアンドロイド至上主義なのかどうか、つまりヒト型であることを重視するかどうかで別れる。しかも、アンドロイド至上主義は、特定の人間をかたどったヒト型を最上のものとする派閥と、それを否定する派閥がある。ややこしい。
僕にコンタクトを取ってきたのは、知能ロボット至上主義団体だ。ロボットでもアンドロイドでも人工知能でもよく、人間を規範とした機械であることを絶対視しない。
彼らは、自らの姿と似ていないアンドロイドに「入る」(遠隔操作する)ことにも抵抗がない。つまり目の前の若々しい青年が、リアルな彼の姿を映したものとは限らない。生身の人間と話すときにはヒト型の端末のほうが認知科学的に理にかなっているから、アンドロイドを選んでいるにすぎなかった。彼らのような人たちは、遠隔操作型ロボットを題材にした映画から名前を採って「サロゲータリアン」と呼ばれていた。
「失礼ながら確認ですが……ジャクスンさんは遠隔操作ですよね。それともまさか自律型?」
「どちらでもいいでしょう。私たちの目指すところは遠隔操作と自律になんらの違いがない世界なのですから」
自然な発話をして、ジャクスンは笑う。僕は彼らの思想をもっと知りたかった。僕のアンドロイド化のオファーの真意を知りたかった。それが万が一納得できるものなら協力してもいい。そうでなくても、今の世の中を知る糸口くらいにはなるだろう。
彼らの基本的な考えはこうだ。
われわれは将来のブレインアップローディング時代に備えるものである。しかし、人間の脳だけをデータにしたところで、自分の外側にあるものに触れ、情報を入出力する器官がなければ知覚も行動もできない。だからコンピュータに思考をエミュレートさせるだけではなく、身体をロボットやアンドロイドにすることでこそ、ブレインアップローディングは完成する。それによって人間は不死になり、賢くなり、病気から解放され、外見を変えて生きることができる。もっとも、人間のブレインアップローディングまでは時間がかかるだろう。マウスの全神経回路をエミュレートするのに成功し、ようやく次の段階に進みつつある程度だ。ともあれ、精神のデータ化と身体の機械化が実現すれば、人類は飢えや貧しさ、病気や死から逃れることができる――。
彼らの主張は、テクノロジーのことなどろくにわからないが社会に不満を持っている人たちまでをも、惹きつけていた。「少し、聞いてもいいかな」と僕は切り出す。
「仮にブレインアップローディングが可能になるとして……人間ひとりを機械で運用するにも莫大な計算能力とそれを支えるサーバ、電力が必要となる。それを最初に試すことができるのは君たちを支持している多数の貧民ではなく、資産家だ。たとえ技術が普及して安価になったとしても、貧しい人間たちはマインドアップローディング後も貧しい計算能力しか与えられずカクカクのろのろとした思考や動きしかできない。対して、持てる者たちは支払う対価に見合った快適な計算環境を手に入れる。格差はなくならない。君たちはそれを知っていて言っているのか、それとも――」
ジャクスンが失笑する。
「古いSF小説の読みすぎですよ、片山さん」
「しかし君は昔、SF作家だったそうじゃないか。SF作家が理屈を考えて宗教団体を作れば儲かる、などとSFファンの集まるイベントでむかし言ったとか」
「それは真意がゆがめられています。知性と理念が融合した思想・宗教を立ち上げられるのは一部のSF作家くらいのものだろう、と言ったのです。そして正しき団体になれば人も集まり、結果、儲かることもあるかもしれない、と。最後の儲かる云々はトークショーにつきもののリップサービスにすぎません。そこだけ切り取られてネットに流れているのは嘆かわしいことです。貧しい人間を集めていると先ほどあなたはおっしゃいました。ではなぜそんな団体が儲かるのですか? 主張のつじつまが合わないと思いませんか?」
僕は少し黙っている。
「もし片山さんが先ほど言ったとおりだとしても。私たちは『他人と比べることをやめろ』と説いています。計算能力、個性はそれぞれ違う。今もそうです。機械の身体になったあとこそ、自分に執着するのをやめなくてはいけません。いえ、精神と身体のデータ化が完了すれば、われわれは個体としての意識を持つのみならず、他者とその一部を共有したネットワーク型知性になり、望めば忘我の境地に達することができます」
他人と比べるのはやめるべきだ。その思想には賛同する。しかし、それ以外のことはすべてウソに聞こえる。彼らは人々に現実逃避を提供するだけの集団なのか。
「万が一可能なのであれば、そう設計すればいいだろうが……誰がどうやって設計し、運用するんだ? 君の団体にはそんなことができる技術者がいるのか?」
実年齢はわからないが、対面している相手が外見上は年下に見えるので、乱暴な口調になってしまう。しかしジャクスンは笑うだけだ。イエスともノーとも答えない。
ジャクスンは、議論を小休止することを提案する。ティータイムを経て、改めて団体の意図を説明させてほしい、と彼は言う。